ブログが書けたよ!

自分がやってきたことだけなんでも書く、ジャンルむちゃくちゃマガジン

悪を叩いてる風のヤツらに正義なんてないべ

 -

   

北九州で中学生が刺殺されるという痛ましい事件がありました。
あれに関してSNSで

可哀そう可哀そう言ってる人たちが多いけど、そんなに正義感強いならいじめ問題にも声をあげろよ

みたいなことを言ってる人がいたんですよ。(ソース失念)

でね、思うんですけど・・・SNSの発言なんてみんな「正義感」でなんかやってないでしょ。
彼らを突き動かしてるのはですね・・・

SNSの正義マンなんてコレでしょ

僕がこんなことを考える前に、経済学者の成田悠輔さんがこんなことを書いてましたよ。

まさに。
もう、まさにコレよ。

要はSNSで悪を叩いてる風の人って、それが「社会にとっての悪である」という意思ではなく、「ワイにとって不愉快だから」って理由なんですよね。

それがたまたま合致するときが正義になるだけで。

たとえばSNSで明らかに難癖つけられてるアカウントがあったとて、自分にとっての害でなかったり、世論が「叩こうぜ」って風向きの時であればその正義を発揮することなんてなかったりするんですよ。

本当に正義なのであれば、そこに「自分にとっての利害」なんてものを絡めてはいけないと思うんです。
悪は悪ですから。

“松本”の問題もそうで。
本人同士が同じ土俵で戦うというのならわかるけど、「不愉快だー!」つって外野が石を投げるのは「どっちが悪人??」ってなりません?

「松本人志に帰って来てほしい」が言いづらくモドカシイ・マイノリティ。

 

本当の正義ってなんじゃろな

糾弾されている側がどれだけ「自分は間違ってない」と主張しても、社会が許さなければ許さない・・・みたいな。
世間の善悪なんてたいていは多数決で決まるわけで。

そうなってくると、本当の正義ってなんなんすかね?

冷静に神の視点で物事の全体像を捉えて、そのうえで「現時点においての弱きを助ける」というのが本当の正義だったりしませんでしょうか。
であれば「集団で悪を叩く」といういじめもまた新しい悪として認定されることにはならないか・・・?

それとも罪の大小かかわらず、悪事は全て糾弾するのが正義だろうか?
(純真で全く穢れていない人って世の中にどれだけいるんでしょうね・・・?)

おわりに

そんなことを思ったーって話でしたー。

そうねー。
だれかこう「ワイにとっては不愉快だけど、この人は間違ってないから全力で守るで!」みたいなSNSヤーが出てきてくれたらおもろいんですが、、、
(弁護士ってそういう仕事なんだろうなー)

   

 -

   

スポンサーリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です