広告はなくして有料コンテンツを増やしていくべきという主張は正しいのだろうか?
2020/05/04
先日ふと読んだ記事に「Google主導の『広告ありき』のコンテンツは有害である」という主張を見かけました。
※この文章は僕が勝手に変更したものであって、実際にはもう少し柔らかい表現だったけど。
要するに今のインターネット界隈はGoogleがほぼ主導権を握っていて、何をやるにも広告がついて回っているということに問題提起していたわけです。
たとえばGmailを何も疑わずに使っている人がいるけれど、何気にあれもずっと広告表示がされているっていう状態でして・・・それに対して「どうなの?」と。
その方曰く、広告収入による無料のコンテンツが増えていくことは「中身のないゴミコンテンツが量産される」ということであり、また無料であることが普通になってしまうことで有料コンテンツが売れなくなってしまう・・・という懸念をしているんですね。
僕もそれはすごくよくわかります。
最近は人々がお金を使わなくなった(使えなくなった)と実感しているし、実際自分も無料コンテンツばかり利用していますし。
※かくいう、その人が書いていた記事に広告が貼ってあったのは笑ったけどw
ただ、一方の意見だけで「無料コンテンツは有害」としてしまうのはどうかと思うし、世間の大きな流れというのは人為的に変えられないんじゃないかとも思うのです。
今日はそんなことを考えたというお話です。
果たして「広告ありき」のビジネスモデルは有害なのか
今は本当に自分たちの身の回りにあるコンテンツがなんでも無料化されていると思います。
僕にとって身近なのは漫画とゲームですね。
魅力的な漫画アプリが増えすぎてしまったせいで、買い続けていたワンピース、進撃の巨人、ベルセルク以外はコミックスを買わなくなってしまいました。
また、ソシャゲもクオリティが上がりまくっている上に、無料でもかなり楽しめるため・・・我が家にはコンシューマーゲーム機がありませんし、ゲーセンにもほとんど足を運ばなくなってしまっています。
※そもそもゲームはスーファミ以降買ってないけどな・・・!
ではこういう無料コンテンツがどうやって成り立っているのか?っていうと・・・大手さんがやっているヤツは未だに「その先にあるものを売る」っていうスタイルだと思います。
たとえば漫画アプリなら「無料で連載した漫画をまとめたコミックスが出るから買ってね!(乳首券も発行されるよ!)」みたいなのだったり、ゲームだったら「ガチャが引けるジュエルを買ってね!」っていうのですね。
でも中にはすでに広告に収益を委ねたビジネスモデルに移行しているものもあるんですよ。
漫画アプリだと特に多いですよね。広告を観たらもう一話読めるとか。
で、こういうのが増えてしまうと良くないぞ・・・っていうのが、僕が最近見かけた記事に書かれていたことでした。
なぜ無料コンテンツが増えると良くないの?
その記事に書かれていた内容からすると、広告ありきのビジネスモデルが広く認められるようになってしまうと参入障壁が下がる・・・ってことなのかなと思います。
つまり、それまではコンテンツって「売るためにしっかりと責任を持って作り上げるもの」だったわけですよ。
売れなきゃ死活問題だし、それなりのクオリティのものができていた(はず)なんです。
でも無料でコンテンツを流せるようになると、そのハードルがグッと下がるんですよね。
消費者はお金を払わなくて済むから、極端な話「うんこみたいなコンテンツ(うんコンテンツ)」を配信したとしても咎められないというわけ。
じゃあ検索流入だけを期待したような「うんコンテンツ」を量産し、そこに広告を貼りまくれば稼げるんじゃないか??と考える人が増えてもおかしくありません。
(僕もそうだしね!)
結果的に世の中にはクオリティの高いコンテンツが少なくなり、しょうもないもので溢れるようになってしまう・・・という懸念なんでしょう。
たしかに有害無料コンテンツはめちゃくちゃ多い
では実際どうなってるのかというと、計測したわけではないけれど「うんコンテンツ」はめちゃくちゃ多いですよね。
ブログで言えば「タイトルで煽って、中身が全然ない」とか。
ゲームもそう。
一方、有料コンテンツはたしかに優良なものが多い印象はあります。(有料だけに)
ただ!
それが果たして「お金の有無」だけの問題かどうかはまた別問題なんじゃないかとも思えるのです。
テレビのCMと同じじゃない?
僕が思うのは「広告ありきで作るから無料で提供できるコンテンツ」って・・・ずっと昔からあるテレビ番組の在り方と一緒だと思うんですよ。
CMを流して、それを視聴者に強制的に見せるということができるからこそスポンサーからお金を貰えるわけで。
お金を貰えるからコンテンツが作れる・・・というわけです。
今はスポンサーのお金を使う場所がテレビからウェブ・アプリに移った・・・ってだけなのかなと。
テレビ番組がスポンサーに左右されてステマ的な番組になるのと同じように、ウェブコンテンツがステマ寄りになるのも同じ感じですしw
結局そういう思想の偏りがある部分ではテレビって有害かもしれませんけど、コンテンツ自体のクオリティで言えばそこそこ高いと思うんですよね。(無料のくせに)
何が正しいかは立場で変わる
で!
先の記事では「コンテンツはどんどん有料化していくべき」という方針で締めくくられていたのですが・・・やっぱりそれはそれで困る人もいるんです。
もちろんお金に余裕がある人はどんどん有料コンテンツを利用して盛り上げていって欲しい。
むしろそれでゴミのようなコンテンツが防げる手段があるのなら、そうして排除していってもいいと思います。
ただ、世の中には「なんでもかんでもお金を払える」という人ばっかりではありません。
サービス提供を受けておいてお金を払わないというのはおかしいと思うかもしれませんが、結局のところそれが「合法的にできてしまう」という現状である以上、お金がない人が無料で使えるコンテンツに手を出してしまうのは仕方ないのではないでしょうか。
むしろ有料コンテンツしかなくなったら、もっと取捨選択の必要性が高くなり・・・いろんなところでの格差が広がりそうな気がするんですよ。
今はとりあえずスマホさえ持っておけば格差を少なくできる状態だと思っています。
みんなそれなりにコンテンツを楽しめるわけですからね。
たとえば「新聞を買わなければ最新情報がわからなかった時代」に比べて「スマホがあればニュースを知れる時代」の方が僕は正しいような気もするのです。
結局「どういう形が正しいのか」という議論は、その人が置かれた立場が平等でない以上は結論が出せないのではないでしょうか。
※老人が「年寄りに住みやすい街づくりを・・・」と願っても、若者は「追い先短い人たちよりも、若い世代に希望のある街づくりを!」っていう、あの感じ!
そもそも、なぜお金を使わないのか?
そもそも、ですよ。
みんなが有料コンテンツにお金を使わない理由って「広告ありきの無料コンテンツ」というビジネスモデルが出来たことが原因なんでしょうか?
スマホが台頭してくる前だってテレビが同じようなビジネスモデルでやってたわけで、その頃にはみんな有料コンテンツにお金を支払えていたと思うんですよ。
もし無料コンテンツが全て消えたとしても、有料コンテンツの全てが高クオリティになるわけでもないですし。
クオリティが高ければお金を払うってわけでもないと思います。
結局のところ、もっと根本的なところに問題があるんじゃないかという気もしませんか?
なんだろう・・・民衆の総意、みたいな感じというか。
要は「そういう時代になった」っていうだけなんじゃないかと。
だとすると・・・それを人為的に「どうにかしなければ!」って考えてしまうこと自体がナンセンスなのかもしれません。
例えるなら、「山から流れてきた川の水を、どうにかして山の上の方へ逆流させよう!」みたいな。
もうちょっと無料コンテンツと有料コンテンツが共存していく方向で何か解決案があるんじゃないですかねえ~。
おわりに
というわけで、そんなことを考えたよーってお話でした。
まぁ正直、無料コンテンツに慣れてしまった人はお金の払いが渋くなるってのはあると思います。
僕も恥ずかしながら、ソシャゲには1円も落としたことがありません・・・。
無料で読める漫画ならコミックを買わなくてもいいじゃん・・・って思っちゃう。
※それでもどうしても手元に置いておきたい漫画はあるけれど。
かと言って世の中から無料コンテンツが消えたら今以上にお金を使えるか?って言われたら、そもそも使えるお金を持ってないんだよなぁ!!
もしかして抜本的な解決方法としては「世界中の人が今よりずっとずっとお金持ちになる」っていうことなのかな。
2020/05/04