60歳からの人生の伏線回収という話
岡田斗司夫先生が動画で「60歳を過ぎてから人生の伏線回収が始まる」というような話をされていて、目から鱗でした。
齢45のワタクシも最近たまたま似たようなことを感じていたんですけども、やっぱそうなのかー!という感じで。
こりゃ残りの人生もちょっと楽しみになってきたかなと。
人生の伏線とは一体何なのか?
今回はその辺についてむにゃむにゃと綴っていきたいと思います。
人生の伏線回収
日本人特有なのか、人間全てがそうなのかはわかりませんけども、年老いていくことに少し憂鬱になることってあると思うんです。
やっぱ頭の回転も悪くなるし、体もいまいち動かなくなるし。
あとはいろんなことに興味がなくなるというか・・・たいていのことは「やりつくしたなー」とか「予想つくから飽きそうだなー」とか、まぁなんかネガティブな感じになるんですよw
でも、年を重ねることが悪いことばかりじゃないっていうか、岡田先生曰く「そこから本番」みたいな感じだそうで。
20代、30代というのは「映画でいうならAパート」で・・・つまりそこで全てを知った気になってしまうと非常に勿体無いと。
たとえば最後にどんでん返しがある映画なんだったら、Aパートだけで判断してる人って「惜しいなー」とか「違うんだよなー」って思うでしょw
せめてB、C、Dパートぐらいまでは進んでから判断して欲しいわけですよ。
ワタクシが感じる伏線回収
んでっ・・・僕がこの歳になって思う伏線回収なんですけども。
僕は今、小学生ぐらいの頃から今に至るまでの知識や経験っていうのをフル活用して子育てだったりエンタメだったりを楽しんでるんですよね。
息子に何かを教えるにしても、彼が10年弱しか生きてないのに比べて、こっちには35年のアドバンテージがあるので、多角的に攻められるわけです。
わかりづらい問題があっても的確な「例え」が出せたりする、と。
ブログ書いたり、趣味のシールを作ったりというエンタメの部分でも、45年分の経験を乗せることができるのでバリエーションがそこそこ豊富になります。
で、そういうのがバチッとはまった時。
教育であれば息子が「なるほど!」って理解できた時。
エンタメなら相手が「面白い!」って思ってくれた時。
その時に「あーっ・・・!今までの人生ってこのために存在してたのかー!!」って実感できるという、、、
人生には「無駄なこと」っていうのも在って良いんですけども、それでもやっぱり「無駄なことなんて何一つなかったのかもなぁー!!」って思えるわけです。
おわりに
それが齢45で起きてるってことは・・・これ、たぶんまだBパートとかそこらでしょ?
今後の人生でまた色々なことがあって、60歳を過ぎたころには「ぬわわーーっ!!!45歳の時のアレはコレかーーー!!!!!」ってのがあると思ったら、ちょっと楽しみになってきましたよ僕はw
これね、何も情報発信者であるとか、教育する立場にあるとかに限らないんですよ。
(僕はたまたま例として挙げましたけども)
自分がやってる趣味ごとや仕事、普段考えていることなんかでも、きっとどこかでバチッとハマる瞬間があって。
その時に初めて「Aパートのアレが効いてきてる、、、」って感じられるんじゃないかなって。
こういうのを死ぬギリギリで見るのが走馬灯だったりすんのかなー。
Comment
40になって・・・老眼にぃ
50になって・・・ヒザがぁ
60になって・・・体幹がぁ
節目節目を感じる肉体ょ
50過ぎてから、こけたらキズが1年くらい残るようになった。
でも、でもね
5年前から脱サラして肉体労働していますが、いまのほうが活き活きしてますよ!
ワイの場合はまあまだ伏線かな~
poncha2016さん
コメントありがとうございます!
肉体が衰えるのは生物の理なので仕方ないとして。
って、脱サラして「肉体労働」っすか!!めちゃ元気やん!!!