ブログが書けたよ!

自分がやってきたことだけなんでも書く、ジャンルむちゃくちゃマガジン

批判を受けて落ち込んでいる人に知っておいてほしいこと!否定的な意見はスルーできるようになろう。

 -

      2022/04/13

一年強、ブログでいろいろ発信するというのを続けてきました。

もし、これからブログをやっていこうと思っている人、またはブログじゃなくても何かしらの表現(たとえばユーチューバーとか、飲食店主とか、アーティストとか、お笑い芸人さんとか)をしていこうという人は覚悟しておくべきことがあります。

それは「批判される」ということ。

いろいろな方のブログを観ていると、みなさんそれなりに批判を受けており・・・これはもう避けられないことなんだろうなと思います。
逆に言えば、批判すらされない状況にいるパフォーマーは、存在していないにも等しいと言えるのかもしれません。

では批判を受けた場合にはどうすればいいのか?
僕は「スルーする」というのが正解だと思っています。

もちろん時と場合に寄りますが、要は「うんこみたいな批判なんて気にしない」というマインドを持つことがとても重要なんです。

これからスタートさせていきたい人、または今現在批判を受けて落ち込んでいる人の参考になれば幸いです。

なぜ批判されるのか?

正直、僕みたいな弱小ブログをやっている人間でさえ、一定数の批判は受けるものです。
(このブログではないですが、某掲示板で晒されてヒヤヒヤしたこともありましたw)

一般的な感覚だと「批判される」「叩かれる」ということは「間違ったことをしている」ことの表れだと思うかもしれません。
ですが、僕はそれは違うと思っています。

というのも「間違ったこと」をしていても叩かれない人というのが世の中にはいるから。

それは誰だと思いますか?

答えは「目立ってない人」です。
つまり「間違ったこと」をしていても、誰にもバレないところでやっている人なら直接的に批判を受けるということがないんですね。

出る杭は打たれる

たとえば飲酒とか喫煙。
多くの人が成人する前にちょろっとやっているものだと思いますが、これも法律的な観点で言えば「間違ったこと」です。

「そういう間違ったことなんて絶対にやっていない」という人がいることを否定するつもりはありませんが、まぁ・・・本当に多くの人がバレないようにやってるわけですよ。

もちろんバレてないからやっていいというつもりはありません。
ただ、叩かれるのは決まってバカッターとかで晒したヤツらなんですよね。
賢いヤツは表に出さないんですよ。

僕の同級生で某有名進学校に行ったヤツなんかは当時から日常的にタバコを吸っていましたし、学校で賭博、しかもイカサマをして荒稼ぎしていると僕にだけ自慢していました。
彼は親同士の間では「優等生」でしたし、事実を知らない友人から叩かれるようなこともなかったです。

当然こういったことは犯罪だから叩かれて然るべきなんですが、目立っていなければ叩かれない。
逆に「目立つ人」というのは犯罪行為をしていなくとも「気に入らない」という理由で叩かれる可能性があるのです。

いわゆる「出る杭は打たれる」というものですね。

2:8の法則

世の中には「2:8の法則」というものがあるのをご存じでしょうか。
たとえば「飲食店の売上のうち8割は2割のお客さんが生み出している」とかそういったものです。

先日、小池一夫氏がツイッターでこんなことを呟いていました。

「人間であること以外は何の共通点も無い」
これは深いですねえ~!僕もそう思います。

さて、この呟きからは「2割は信者、6割は普通な人、2割はアンチ」ということも読み取れると思います。

信者はもう本当に何をやっても応援してくれるんですよ。
たとえばAppleの信者はiPhoneがどんな方向に進化を遂げても「マーヴェラス!!!」となりますよね。

逆にアンチは何をやってもどうせ叩いてくるんです。
ワンピのアンチはワンピがどんな漫画になったって「読んでないけどつまんない」って言うようにw

ワンピースの信者はなぜアンチに嫌われるのか?「バトル漫画」と思っているかどうかがキモ。

これがだいたい2:6:2で分かれるのであれば、たとえば読者が10人なら2人は信者、6人はどちらでもない人、そして残りの2人はどうしたってアンチになるんですね。
単純計算で読者数が100万人いればアンチは20万人に膨れ上がるということ

もちろんこの確率論はわかりやすく説明しただけのものであって、実際に2割・6割・・・のように分けられるものではないでしょう。
ただ「全体数が増えれば、信者もアンチも増える」ということはわかると思います。

アンチの数が増えれば、叩かれる可能性が増えるのも自然な流れですよね。

つまり、叩かれるということは、それだけ「目立っている」ということを意味するわけです。

そう思うとそれが「有名税」みたいなものだというのも納得できるのではないでしょうか。
情報を発信する、何かを表現するという立場にある人からしたら「避けて通れない道」なのでしょう。

現に僕も有名人の批判的なことをブログに書いたりしちゃうし、有名人っていうのはそういうのを日常的に目にしているんだろうなぁ。

スルーできることの重要性

僕はこのブログを始める前にも小さなブログをやっていたり、SNSで日記を書いたり、あとは飲食店を経営したりして自己表現をしていました。

そんな頃からも批判というのは一定数あり、そのたびにブログを閉鎖したりSNSの日記を消したりしたものです。
飲食店でハンバーガーを出していた頃なんかは「マックの方が美味しい」みたいなことを書かれたりもしましたし。

・・・いや、マックは普通に美味いだろ!!!w

それはさておき、 批判的な意見を受けたときって、普通の人はどうしてもそちらに引っ張られてしまうんですよね。
例えそれがアンチの悪意ある意見だったとしても、「そうなのかな」って思っちゃうんです。

否定的な意見はなぜか輝いて見える

たとえば明らかに誰がみても可愛いアイドルだったとしても、大手掲示板やブログコメントに「なにこいつ、ブスじゃん」って書かれたりしたら「私ってブスなのかな」って不安になっちゃうんですよ。
批判とか否定的な言葉というのはそういう力があるものなんです。

それはたとえ「肯定的な意見が100個あった中の、たった1つの否定的な意見」だったとしても、それが輝いて見えてしまうものなんですね・・・。

でも、それって一生懸命肯定的な意見をくれたり、応援してくれている人に対して物すごく失礼なことだと思いませんか?

たとえば僕はマクドナルドのビッグマックって超美味いと思ってるんですが、もしアンチの「モスの方がウマイ」「改善しろ」って言う意見に引っ張られてマクドナルドが味を変えてしまったとしたら・・・それはファンである僕への冒涜だと思うわけですよ!

なので、批判を受けたとしても安易にに引っ張られてはいけないのです。

一生懸命反論するのは無駄

また、批判をされるとどうしても弁明したい気持ちに駆られます。
「あなたは誤解をしています!」と、自身の潔白を証明したくなるというか。

アンチの場合は論理が破たんしていることもあるので尚更理論的に正したくなるもの。

批判に対して弁明をするというのは「全員にわかってもらいたい」という気持ちの表れだと思われますが、悲しいかな、「全員にわかってもらう」なんてことはありえないのです。
というか、それができるなら戦争なんて起こらないですからね・・・。

キリスト教やヒンドゥー教の人に、僕ら無宗教(もしくは多宗教)である日本人の考えは到底理解できないと思いますし、逆もまた然りでしょう。 

僕も一時期「ゴミをポイ捨てする人をどうにか説得できないか」と考えたことがあります。
でも、前述の小池氏のツイッターじゃないですが・・・その人が僕と同じ人間だと思うことがそもそも間違いなんですよ。

同じような姿形をした別の存在と考えれば諦めもつくのではないでしょうか。

絶対にわかってもらえないことに、一生懸命反論をするのは時間の無駄ですし、精神もすり減らしますし、いいことがありません。
特に「わかってもらおう」と思う事は自分の意見の押し付けであって、相手の意見を否定することにも繋がってしまいますので、結果的にあなたが「アンチのアンチ」にも成りかねませんし。

なので、スルーできることはスルーする。
これが正解なんだと思います。

人間だからいろんな考えがある

さらにいうと、2:6:2の「6」に値する人たちにもいろんな人がいます。
この人たちはその内容次第で味方にもなれば敵にもなると前述のツイートに書かれていましたが、この6割だってひとくくりにはできません。

教養がある人もいれば、そうでない人もいるし。
お金持ちもいれば貧乏な人だっている。

こちらが同じことを言ったって、受け手が物事をどう理解するかは、その人が育ってきた環境や経験、現状などに大きく左右されるもの。

「パンがない」という状況において、一般市民は「やべえ・・・死ぬ」って思ったけれどマリーアントワネットは「ケーキを食べればいいじゃない」となったというのはネットで有名な逸話です。
同じ時代の同じ人間に起きた同じような状況だったとしても、感じ方って違ってしまうわけです。

そう思うと大切なのは「相手の考えを否定せず、自分の意見も否定しないこと」なんじゃないですかね~。
「そっか、そういう意見もあるんだなー」ってぐらいでスルーしておくのがきっとお互いに一番幸せなことなんですよ。

もちろん本当に間違っていることを自分がしてしまったのなら反省しなければならないとは思いますけどね。

でも、それが本当に間違っているかどうかは、2割のアンチだけでなく、残り8割の「信者と普通の人」の意見も聞いてから決定していく必要があるのではないでしょうか。

おわりに

・・・と、こういうことをブログに書くと、友人と飲みに行った時に「ブログ見たけど何か嫌なことでもあったの?」とか心配されたりしますw

で、「実際にコメントとかをくれなくても心配してくれる仲間っているんだよなー」と実感できるわけですね~。

結局こういう時に大切なのって「少ない味方と、なんとも思ってない大勢の人、あとは自分のことを嫌いな人、誰と仲良くしたい?」ってことなんじゃないかな。

ただまぁ、頭ではわかってても、それでも否定的な意見にはモヤモヤして2~3日落ち込みますけどねw
あれはもう凶器ですよ。胸をえぐられる。

でも否定的な意見を受けるということは、もしかしたらその相手に対して先に僕が不愉快なことをしたということかもしれないわけで・・・なんとも難しい問題ですね。

最近立て続けに否定的な意見を受けたあと、幸いにも肯定的な意見や応援を頂けてこう思うに至りました。
また落ち込みそうになったら自分でも読み返してみようと思います。

   

 -

      2022/04/13

スポンサーリンク