我が町からもついに本屋が姿を消しました
表題の通り。
僕、子供の頃から本屋さんって好きで。
なんでしょうね、あの「なんでもある感」というか。
とにかく何かしら刺激が欲しい時は「本屋さん行けばなんとかなる」みたいな感じだったんですよ。
図書館とは違って、雑誌やらコミックやらが豊富な俗っぽさも強者の証じゃないですか。
そんな本屋さん・・・我が町にも僕が越してきた時(14年前)で大小合わせて5店舗あったんですが、先月最後の一店舗がお亡くなりになりました。
これでもう、本屋さんに行きたいとなったら車に乗って近くのショッピングモールまで行くしかなくなったのです。寂しい。
にっくきアマゾンの野郎
それもこれもAmazonのせいですよ。(あとは楽天ブックス。)
もうね、本屋さんに行かなくても家でポチポチーってやれば本が買えちゃうんですから。
しかも送料無料で、早ければ当日中に届いちゃうっていうんだからね。
そりゃー本屋さん、やってらんないっしょ。
電子書籍化が進んで紙の本の需要がなくなった・・・なんてことではないと思うんです。
たしかに電子派の人も増えてますけど、やっぱりまだまだ「紙のぬくもりが」って人も多くて・・・僕なんか高くてもわざわざ紙の方を買ってますからね。
それでもやっぱり田舎の一店舗に置ける本の数なんてたかだか知れていて。
本屋さんに出向いたはいいものの、そこでは売ってなかったからAmazonで買う・・・みたいなことも多かったです。
まぁほんと、人一倍Amazon使ってきた僕がいうことじゃないですけど、Amazonの野郎ォ・・・!ですよ。
お前のせいで街から本屋が消えとんじゃボケェ・・・!!!
消えゆく商店街と同じなのだ
しかしこの構図・・・僕らはもっと前にも体験してるんですよね。
大きなスーパーが出来ることで商店街の八百屋さんや魚屋さんが姿を消していく、っていうのを。
実はその時から言われてることですけども、「スーパーが悪い」のではなく、より資本力があって利便性も高いスーパーが出来ているのに「現状維持」でお店を続けようとすることに無理があるんですよ。
フィクションなのでたとえ話になるかはわかりませんが、ミステリー小説「騙し絵の牙」では、窮地に立たされた商店街の小さな本屋が起死回生の策を打つことで唯一無二の存在になることができました。
つまりにっくきAmazonとの共存が可能ということなんです。
これねー、飲食店とかもそうなんすよ。
サイゼリヤとかスシローとか、安くて美味しくて利便性が高いお店がたくさんできる中、どうやったら個人店が生き残れるのか?っていうのを各店主は考えて実践していかなければならないわけ。
そう思うと、Amazonが日本に上陸してから旧態依然で続けてしまった本屋がなくなってしまうというのは、これはもう仕方のないことだったのかもなぁ。
おわりに
そういや最近は「墓じまい」もブームなんだそうです。
なんでも日本における墓形態(遺骨を墓石の下に入れてお参りする)なんてのは近年(戦後)流行ったものにすぎないそうで。
死生観の変化に伴い、墓を重要視しない動きが多くなってきている、と。
わかるなぁ・・・僕も母親を墓に入れたら墓じまいしちゃいたいもん。
でも、それを墓地の人とか、お寺さんとかはどう見てるんでしょうね。
「そういうもんかー」と思っていれば、やっぱり継続できなくなっていくんじゃないかな・・・。
話がそれましたね。
まぁ、そういうわけで、昔ながらの本屋さんが我が町から消えてしまったことが僕はとても悲しいのであります。
この地域の人は今後、どこに本を買いに行くんだろうなぁー??