承認欲求も実はそんなに悪いもんじゃない?
承認欲求とかいう、厄介な欲があるじゃないですか。人間には。
あれね、SNSの普及と共に広がったせいか悪者かのように扱われているきらいがありますけども。
なんていうか・・・実はそんなに悪いものでもないのかも?と思うようになってきました。
今日はちょっとそんな話ザマス。
承認欲求とは!?
承認欲求というのは、アブラハム・マズロー氏が唱えた欲求階層説の中にある人間の基本的欲求の一つです。
マズローの、人間の基本的欲求を低次から述べると、以下の通りである[1]。
- 生理的欲求 (Physiological needs)
- 安全の欲求 (Safety needs)
- 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
- 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
- 自己実現の欲求 (Self-actualization)
Wikipediaより
これですね。
要するに人間っていうのは、ご飯食べたり寝たりウンコしたり・・・っていうのができないと、安全確保よりも何よりも先にそれを満たすことを選ぶわけですよ。
わかりますよね・・・お腹が減って減って仕方なかったら、どこかに盗みに入ってしまうかもしれないもの。。。
それが満たされることによって、安全な住処だったり、治安のいい場所だったりを求めるようになり。
安全が満たされたら社会に属していること、愛されていることを認めたくなり。
それすらも満たされると承認欲求・・・「他者から価値のある人間であると認められたい」という欲が出てくる、というわけです。
岡田斗司夫さんはこれを生存戦略の一つと仮説していました。
「群れの中で価値がある存在であれば、見捨てられることはないだろう」っていう深層心理ってことですよね。
ゆえに、SNSを使えるような層・・・安全な生活も確保できて、会社やら学校やらに属している、または家族に愛されている等がある人なら承認欲求を欲してしまう(いいね!が欲しくなる)のは当然のことなんですな。
※ちなみに、バイトテロみたいな行為はもしかしたら承認欲求じゃなくて社会欲求の一つ(愛をください)なのかもなーと思ったり。
承認欲求を満たすために行動しているか否か
でまぁ、そういうわけなので「SNSは使っていいのに承認欲求を持ってはいけない」というのは無理があるんですよ。
僕の友人はこれを「アクセル踏みながらブレーキ」って言ってましたけど、本当にソレで。
SNSなんてもんは承認欲求満たすためのツールと言っても過言ではないのかなとw
じゃあSNSなんて使っちゃいけないのか、承認欲求なんて持っちゃいけないのか・・・っていうと、一概には言えないと思うんです。
たとえば承認欲求つってもね、ただの自慢みたいなのあるじゃないですか。
やれ「限定のアイテムゲットしたぜ!」とか「おれのコレクション見て見て」みたいなの。
ああいうのは、あんまりこじらせちゃうと危険だと思うんですよ。
一方、自分が行った活動の報告とか、自分が手掛けた商品の案内だとか・・・そういったところに付く「いいね!」ってのは悪くないんじゃないですかねえ??
これ、何が違うのかって、前提が「承認欲求を満たすために起こした行動か否か」ってところかなと。
先日書いた「コミックアプリの承認欲求」もそうですが、「いいね!をもらうためのコメントを書く」っていうのは、なんかもう本末転倒だと思うんですよ。
そうではなくて、自分がやってきたことに「結果的にいいね!がつく」っていうのが正しい承認欲求の満たし方なんじゃないかなと。
やっぱね、「他者の評価を気にしてはダメ、自分の評価は自分が下す」みたいなことが言われがちですけども、他者の評価ってのはすんごいパワーがあって、格別なんですよw蜜の味なの。
それがまた次の活動のエネルギー源になったりもするのでね。
それを端的に悪者扱いするのは違うのかもなーと。
おわりに
ちなみにうちの妻は他者の評価とか要らないタイプの人でして。
全然SNSとかも興味ないんですね。
たぶん「自分の価値は自分で決める」が素で出来る人なんでしょうね。
自己実現とはまた違うのかもしれないけれど、他者の評価に頼らない人生ってのは強いなーと思うのです。
だからまぁ、承認欲求を欲しがるのも決して悪ではないし、かといってそこに頼り過ぎてしまうのもダメ。
「他者から評価してもらえるのは嬉しいし活力源になるけど、なかったらないでOK」ぐらいの気持ちで生きるのがベターかなー!