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「下品」とは何かを考えさせられる

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文春オンラインに掲載されていた、五味太郎先生の対談記事「褒めて育てるとか、下品だよね」に衝撃を受けました。

[参考]「褒めて育てるとか、下品だよね」五味太郎さんが感じる子どもに体験を消費させる大人たちの共通点

目から鱗というか・・・確かになぁ~!と。
そこで「下品」って言葉が出てくるかー!って。

五味先生が言うには、産業資本主義によって教育も商売になると認識されてるってことでして。

だから短絡的にいうと、「子どもの教育のため」っていうのは、子どもは商売になるなと思ってる一派がいるってことよ。「子どものための本」っていうのもそっから派生してくるわけ。そこにちょっと頭きて、抗って、気がついたら50年経ったのが五味太郎だよね。

要するに「子どものためー」と言っているけれど、その根底にあるのは本当に「子どものため」ではないのではないかと。
それを商売にしたい人たちに扇動されて、そう思わせられてるだけなんちゃうかと。

家庭の経済状況によって出来ることと出来ないことの「体験格差」が生まれてしまうということを本体談では取り上げられていて、そもそも親がお金を積むことで「体験させてあげる」という感覚が「下品」である、というようなお話でした。

そうなんですよね。
自分の人生で考えたらわかるんですけども、体験の格差なんてものは普通に存在していたし、大人になった今「で?」って話ではあるんですよ。

だから僕らが子どもに対して「~~をさせてあげる」のではなくて、子どもが勝手に「~~をする」というのが本来の意味での「子どものため」なのかもなぁと。

自分がガキのころに基本的に思った感覚っていうのは「ほっといてよ!」って感じ。落ち葉はどうのこうのとか、星の光は何万年も前にうんたらかんたらとか、「いいから!」って。「そのうちびっくりするから!」って。

↑五味先生が語ってらしたこの部分がまさに!って感じですねw
「そのうちびっくりするから!」って、面白いなぁ。ホントそれ。

言うて。

僕も家での教育はわりとソレに近いというか・・・息子のことは「親子ではあるけれど自分の分身ではない」と理解していますし、「子どもではあるが一人の人間である」という付き合い方をしています。
なので、退屈なことを言われたら辛辣な対応もしますし、何かをやる、やらないの話の時にも最終的には「君の人生だから自分で決めてね」という結論になることが多いかな。

ただ、放任主義ってわけでもなく、自分が親にしてもらったことや、「こうしておけばあとあと楽やな」っていうようなことはヒントとして与える感じですかね。
それを生かすも殺すも自分次第だし、いつの日か「あー、父ちゃんが言ってたのコレかー」ってなるんでもいいし。

そもそも下品とは・・・

アー、前置きが長くなりました、、、とにかく五味先生の対談はクッソ面白いので全員読んでおくように。

で・・・閑話休題。
そもそも下品とは何か?というと・・・

人柄・様子などがいやしいこと。品(ひん)が悪いこと。

なんだそうです。

つまり件の「褒めて育てる」なんていう考え方は、その裏に産業の匂いがしてしまって、ちょっと卑しいよね、ってことなのかな。

どことなく「上品なふりをしてるけど、それって下品だよね」みたいな。
そういう感覚を得て、目から鱗だったのであります。

上沼恵美子の件

この話題と前後する頃に、とんねるずのタカさんのセクハラが報じられた件に関連して、上沼恵美子さんがとんねるずの芸を「(下品で)大っ嫌い」と言っていたことが報じられました。

[参考]上沼恵美子「失礼やなと怒鳴った」石橋貴明の騒動に言及「できへん人がやんねん」とバッサリ

その番組自体を観ていたわけじゃないので、どういう温度感で言っていたのか、実際にはどう言っていたのかなどはわかりません。
また「下品だ」というようなことを言ったのかどうかも記事によってマチマチではあります。

少なくとも「とんねるずの芸は下ネタをよくやって、明るい下ネタで沸かすようなバラエティーっていうのは、私は大っ嫌いです」ということは言っていたみたいなんですけども。

個人的にはこういうことを言ってしまう人こそ「下品」なんじゃないかと思ってしまうんですよね、、、
タカさんが現役バリバリで売れっ子の時に言うんならまだしも、病気で休養して、かつセクハラが報じられて・・・と精神的にダメージくらってそうな時に「ここぞ!」とばかりに叩きにかかるって・・・ちょっと品がないかなぁと。。。

おわりに

まぁ、そういう感じで。
下品とはなんぞや?上品の反対ってわけでもないのか?などなど色々考えさせられたお話でした。

お上品っていうのもね、よくよく考えたら産業資本主義の「商売になる」って部分から生まれてるんだろうし。

どっちかっていうと、言葉による「上品」だの「下品」だのっていう固定観念を取っ払って物事を広くフラットに考えられるのが真の上品なのかもしれんよなー。

ちなみに!
上沼さんが言っていた「下ネタで笑いに持っていくというのは、(中略)できへん人がやんねん」っていう主張は絶対に間違ってますw

そりゃ「うんこちんこ」言うのは誰にでもできる底辺の笑いだと思いますけど、下ネタってそれだけじゃないですからね。
とりあえずどぶろっくさんたちに謝ってほしいかなw

なぜオヤジギャグは寒いのか?親父ギャグやシモネタの境界線。

   

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