なぜ世代間で笑いのツボはズレるのか?
2021/12/22
先日妻と深夜のお笑い番組を観ていた時のこと。
芸人さんが漫才やらコントやらでバトルして、勝ち上がっていくという内容の番組だったのですが、僕らの感じる「面白かった」と会場の「面白かった」がすり合わなくて・・・なんだか煮え切らない感じになりましたw
僕も妻もオジンオズボーンさんやバンビーノさんのネタがめちゃくちゃ面白かったんですよ。
けれど、両者とも勝ち上がれなかったんです。
そこで僕と妻が瞬時に考えたのは「なんかバイアスかかってるよね」ということでした。
要するに、番組側や事務所側のゴリ押しだとか、審査員の中に勝った芸人さんのファンがいたとか・・・そういう被害妄想的なことです。
でも、冷静に考えたら笑いのツボはズレてて当然なんですよ。
今日はそんなお話です。
笑いのツボは生き方に比例する
僕らはなんとなく、笑いのツボはみんな同じなんだろうと思ってしまいがちです。
同じ人類だし、同じ日本人だし・・・っていうところから「同じ笑いのツボ」って思うんでしょうね。
だからこそ、自分が面白いと思った人が評価されなかった時には「わかってねえなぁこいつら!」って感じちゃうのです。
・・・でも、「わかってない」のではなく、その人たちは単純に「面白くない」と感じていることを理解しなければなりません。
なぜならその人たちは同じ番組を観ている同じ日本人でありながら「別の人種」であるからです。
笑いは「想像できるか否か」が左右する
僕らがお笑いを見るときには、「そこで行われている事象を想像できるか」というのがかなり大きいと思っています。
たとえば時事ネタを扱う芸人さんは多いですが、時事に関心のない人からしたら何について話しているのか全くわからないわけで、面白いのかどうかを判断するレベルに達せていないことが考えられます。
もっと簡単な例だと・・・「スマホのあるある」ネタがあったとして。
これ、普段からスマホを使わない層には「あー、あるあるw」とならないということは想像に難くないのではないでしょうか。
要は「育ってきた環境、見てきたものや聞いたことが近しい人」であれば、そこでネタにされていることを想像することができるため、笑いに繋がりやすいわけですよ。
内輪ネタなんかがまさにそうですよね。
「〇〇先生のモノマネ」とか、クラスの中では大爆笑を取れたとしても、その先生を知らない人からしたらそれが似てるのか、そして面白いのかどうかもわからないわけです。
前フリをネタの中で作るのか、生活から持ってくるのか
お笑い芸人さんのネタの中では、全く見たこともないような状況から「想像できる」を作り出すこともあります。
2700さんたちがキングオブコントか何かでやっていた「キリン」のネタはまさにそれで、ネタ時間の最初数分を費やしてまで「こういう笑いをやりますよ」という説明をし、視聴者に状況の想像させていました。
でもこういうのって稀で、たいていは普段の生活の中で想像できるものを持ってきますよね。
そうなると、たとえば女子高生が見ている世界とオッサンが見ている世界っていうのは別なわけで・・・そりゃ笑いのツボがズレるのは仕方ないんです。
テレビとかって、そういう「ターゲッティング」を無視しているというか、あくまで「全年齢向け」のように番組を作るわけですよ。
そうなると「お笑いが大好きなオッサン」向けに作られた番組は「お笑いが大好きな女子高生」にとっては「クッソつまんない」となってしまうのです。(逆も然り)
アダモちゃんやリーダーに母が大爆笑していた気持ちがわかった
そこで思い出したのが、僕が小さいころに母がテレビで島崎敏郎さんや渡辺正行さんの笑いを見て大爆笑していたことです。
僕は小さかったこともあってか、なぜ母がそこまで面白がるのか不思議でなりませんでした。
でも今ならわかります。
母は、彼らのお笑いを見て育ってきた人で、僕はそれを知らずに育ってきた人間だった。
ただそれだけのことだったと。
逆に母は、ダウンタウンの松っちゃんのお笑いはやや否定気味w
大爆笑している僕を後目に「何がそんな面白いの」という感じでした。
つまり、冒頭のテレビ番組だって同じことで、審査していた人たちは僕とはツボが違ったということなんですね。
だって僕が審査員だったら彼らが勝ってたもんなぁ・・・w
おわりに
さて、そんなことを考えていた先日、ふと思い立って息子に「だっふんだ!」と言って例の顔をしてみました。
もうすぐ3歳になる息子は大爆笑。
今までにないぐらい笑い転げて、「もういっかい!」「もういっかい!!」とせがまれることに。
・・・いままでに見たことも聞いたこともないフレーズと顔だったのにね。
ほんと、志村さんってすげえんだなぁ・・・w
2021/12/22