なぜ色んな人がいるのは面白いのに、自分と違う主張は不愉快なのか?
人間はそれぞれが特有の存在であって、誰一人「同じ」ということはありえません。
それゆえ、自分以外の人は当然「自分とは違う」のであります。
自分とは違う感性の人などを見ていると「面白いなー」と思う時が多いのですが、たまに違う感性の人の意見を不愉快に思っている自分がいることに気が付きました。
おそらくそれは「自分と違う」ということなら興味の範囲として許せるのだけれど、自分と違うことを強制されそうになるのが嫌なのかもしれません。
ギャルとか超面白い
僕はわりと真面目な人間なので、ギャルとかって真逆の存在だったりするんですよ。たぶん。
で、テレビとか雑誌でギャルを見ていると、なんか楽しそうで良いんですよねw
面白いなーって感じるのです。
一方、自分と同じようなステータスの人が自分とは違う意見を言っているのを聞いた場合。
これにすごくイライラすることがあるのです。(毎回じゃないんだけど)
たとえば先日たまたま目に入って来たこちらの記事。
[参考]「アマゾンにレビューを書く時点でオカシなやつ」43歳男性が「買い物のとき毎回レビューを見る癖」をやめれたワケ
誰に頼まれたわけでもないのに、長ったらしい感想を書いて悦に入ってるようなやつって、冷静になればかなりオカシイっていうか。要するにそんなオカシイやつの感想文を気にしてどうすんだって。
これも本来なら「ほえー、そんな考え方の人もいるのかー、おもろw」ってなっておけばいいのに、なんかイラッとしてしまったんですよw
な ぜ な の か ?
自分ごとか否か?
もしかしたらこれ、「自分ごと」になっているか、それとも「他人ごと」で済ませられているかの違いなんですかね。
つまりテレビで見るギャルっていうのは自分とは全然接点がないので、単なるエンターテインメントに過ぎないんです。
なので、どんなにアホな事を言っていても「おもしれー」つって済ませられちゃう。
でもこれが自分に関わってくる人だったら?
たとえば同じ職場に配属された後輩とかで、教育中に大爆笑された挙句「マジウケルw」とか言われたらプッチーン!!ってなるかもw
逆に↑のレビューの人の場合、これも自分とは関わってこない人間なので関係ないはずなのですが・・・。
僕はおそらく「誰に頼まれたわけでもないのにレビューしてるヤツ」っていう部分で、ブロガーとしての自尊心が少し傷つけられて「自分ごと」になってしまったのかもなぁーと。
※それとこれとは関係なく、アマゾンのレビューはある程度「見るべき」だと思ってます。
レビュワーがアタオカなヤツと決めつけてしまうのはもったいないというか・・・中には有用なレビューもありますのでw(もちろん役に立たないウンコレビューも山程ある)
おわりに
まぁ、それだけです。
なのでね、たまに「このオッサン、なんで急にこんなことでブチギレてんだ??」って思うシーンに遭遇することがあると思いますが、その時は「ああ、あの人にとっては『自分ごと』だったのか」と思ってあげてくださいw
そう思うと、全ての事が他人事のように感じられるようになったらすごく生きやすいのかもしれませんね~。
できるだけ色んな事に「おもしれー」と言って生きて行きたいなぁ。