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将来に絶望しないために、「今の普通」を受け入れるという話

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最近割と「自殺者が増えた」というような話を聞きます。

女性の自殺者がーとか、未成年の自殺者がーとか。
みんな世の中に絶望しているってことですよね・・・。

まぁ・・・わかるなぁ。

話題のChatGPTに「将来人工知能が発展し、人間の仕事が奪われてしまった場合、人間はどう生きることができるか?」という質問をしてみたところ、「AIが代わりに仕事をするから働かなくても済むんじゃね?」みたいな回答が返ってきたんですけど、個人的にはそうなるまでの過程に多くの人間が絶望するフェーズというのがあると思っていて。

※要はAIにほとんど仕事を取られ、一部の人以外は「稼ぐことができない」という状態になるんじゃないかなって。

その時にはさらに多くの自殺者が生まれてしまうのではないかと懸念しております。

そこで・・・世の中に絶望しないために、今の「普通」っていうのを受け入れていってみてはどうか??ということを考えてみました。

世の中に絶望しないために・・・

自殺を選ぶ人の絶望にもいろんな種類があると思うんですが、昨今は「コロナ禍で急増」ということを考えると、「将来への漠然とした不安」というのが増してしまった結果なんじゃないでしょうか。

将来の漠然とした不安・・・ありますよね。
何が不安って、やっぱりまずは「自分と自分の家族が生きていけるのかな」っていうところですよ。

ただでさえ収入が少ないのに、物価はガンガン上がってますし。
税金や年金、保険料っていうところがさらに首を締めてきますからね。

こんなに毎日不安に押しつぶされそうになるなら、死んで楽になりたい・・・と思うのは決して異常なことではないはずです。

※死んだら楽になれるのかどうかは実証してないからわからんけどね。

なんとかなると信じてみる

でまぁ・・・世の中に絶望しないためには、まず国や社会に過度な期待をしないことw
そして「まぁ、なんとかなるっしょ」って信じてみることが大切かと。

期待したらした分だけ、裏切られた時には反動で絶望しますのでね。

マニアックにのめり込めないのは過度な期待をするせいだ

「もう国や社会はワイのためには何もしてくれないっしょ」って思っておけばいいんじゃないかなって。
(ま、だから選挙の投票率が上がらないんだけどね)

その一方で、「正しくは生きられないかもしれないけど、どうにかなるんじゃね」っていう開き直りができれば、そこまで絶望しないかもです。

そもそも日本人はやや生活水準が高いところにいますので、とかく「正しく生きよう」と思いがち。

でも、そういう固定概念に捕らわれなければ、極端な話をすれば・・・寒さと空腹さえ凌げれば生きていけますもんね。

※そんな暮らしはしたくないから死を選ぶんですよね。わかります。

幸福感の低さが出生率の低さなのではないか?みたいな話。

普通なんて「まやかし」であると心に叩き込む

あとは「普通の生活」なんてものが最早「まやかしである」ということを心に叩き込んでおくべきだと思ってます。

今は生活の格差が広がってますので、みんなが思い描いている「普通の生活」というのは一部の成功者だけが得られる権利なんですよ。

いや、これまた極端な話だなって思うかもしれませんけど、、、少なくとも今後は「普通の生活を得られない方が普通」っていう状態になっていくでしょう?

冒頭でも挙げたとおり、企業はAIやらIoTやらを導入してどんどん人手がいらなくなってますし・・・かといって無意味に利益を”働かない人”に分配するなんてことはありませんから。
一部の人だけが儲かり、多くの人が職にあぶれるというのは時間の問題かと。

そうやって収入が減る一方で物価が上がって生活費の出費すら増えているのに、全員が「それまでの普通」を保てるのか?
・・・小学生でもわかる足し算引き算の問題ですよこんなのw

つまり、「それまでの普通」っていうのは「これからの普通」とは違うんです。
普通の水準っていうのは僕らの上の世代の人と比べたら低くなってしまうのは当然なんじゃないですかね。

※逆にもっと上の世代の人は「普通の水準」が今よりも低かった可能性もありますし。

なのでね・・・僕はとっとと「今の普通」というのを受け入れていくべきなんじゃないかと思ってます。
その方が気持ちが楽になるんじゃないのかなぁ~・・・。

(などなど言うておりますが・・・ワタシもバイオリズム次第ではすぐに気持ちが落ちますのでね、、、こんなことを言えている今はまだマシというだけなんだろうなぁ)

おわりに

僕らの親世代って「終身雇用」が当たり前だった時代を生きているわけですよ。
でもって退職後は年金もそこそこ貰えるわけです。

で、こういう人達に「生き方」を教わってきた僕らはどうしてもそれが普通なんだと信じてしまいがちです。

・・・が!
諸先輩方はいわゆる「普通の生活」が出来てしまっているので、生き方の教育もアップデートされないんですよね・・・。

生意気なことを言わせてもらうと、そんな人達からは正しい回答を得られるはずがないわけで。

となると、お年寄りの政治家さんたちに国が任せられている以上は、やっぱり僕らは過度に期待をしてはいけないわけです。
そのうえで「ま、どうにか生きていけるべ」ってぐらいの図太さを持って絶望を回避するしかないんだろうなぁ~。

追記

ちなみに「どうにかなる」の具体的な話ですけど・・・たとえば日本には生活保護というシステムもありますので、最低限の住むところと食事は確保できる・・・みたいなのですよね。
これだっていつまで続くかはわかりませんけどもw

税金なんかも申請すれば免除してもらえる可能性がありますしね。

もちろん「そんな生活するぐらいなら死んだほうがマシ」と言えばそれまでですが・・・逆にいうとそこまで行っても国が助けてくれるってことなので。
下手に「お金が足りないからどこかから借りよう」だとか、安易に「犯罪に手を染めよう」と考えるのではなく、「今は生活水準が低いのが当たり前」と思って楽観的に行けたらいいのかなぁと。。。

あとですね、こういう話になると「仕事なんて選ばなければいくらでもある」とか言う人もいますけど・・・僕はやっぱり「どうしてもやりたくない仕事」っていうのもあると思うんですよ。
「甘えだ」と言われるかもしれないですが、、、いやいや。できる人は「たまたまそれができる」ってだけなのでね、、、

努力できるのも才能か?⇒才能に決まってる って話。

なので、生活水準が落ちようとも、誰に罵られようとも、やりたい仕事に出会えるっていうのが理想かなと思っています。
きっとやりたい仕事をしている方が、生活が苦しくとも絶望しづらいと思うので。(貧乏と貧困は別、って話に似てますな)

   

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