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努力できるのも才能か?⇒才能に決まってる って話。

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      2021/04/20

某所にて「努力できるのが才能か否か」というテーマが燃えていた件を受けまして。
ちょっと僕も私見を述べさせて頂きたく筆を取った次第です。

僕が観たのはあるブロガーさんのポストで、「『努力できるのも才能』という言葉に違和感を覚えた」というものでした。

その方曰く、業界で成功している人たちは「『努力できるのも才能』なんて言葉を聞いたことがない」とのこと。

なるほどなぁ。
要はプロになる人は努力を努力と厭わず、やるべきことをやってきたからこそその位置に行けている、と。

言わんとしていることはわかる。
・・・でも、僕はやっぱり「努力できるのも才能」だと思うのです。

恵まれた環境にいると、それを当たり前だと感じてしまうのだ

なぜ「努力できるのも才能」なのか?

その答えは「努力できない勢」からするとものすごく単純なのですが、「努力を努力と思ってない勢」には全く理解できないものだったりします。

というのも、前述した「プロになる人」のように、努力を努力と思わないで頑張れた人にとってはそれが当たり前なんですよね。
だから「できない」という人のことなんて理解できないし、理解する必要もない。

なぜなら自分はできるから。

同様に、プロになれなかったとしても一定の努力が出来た人なら、「努力ができない」という人のことを「次元が低い」とか「甘え」だとかいう言葉で片づけてしまうことがあると思います。

でもね。
それはその人の目で見た基準でしかなくって、「自分は努力ができたから、他の人もできるはず」っていう盲目的な考え方に過ぎない(可能性がある)のですよ。

できるかできないかは本人にしかわからない

たとえば、一日8時間もギターを練習する。
これだけやればそこそこギターは上達すると思います。

ただ、その努力ができるかできないか?
それを「努力と感じるか否か」はさておき、できるかできないかっていうのはもう本人にしかわからないことじゃないですか。

もちろん根性論で「できるよ!やろうって気持ちが足りないだけだよ!」って言いたい気持ちもすごくよくわかります。
どちらかというと僕も「人間だれしも、やってやれないことはない」って思ってるタイプなのでw

なので本当は「できないんじゃなくて、やらないだけでしょ?」って言いたくなっちゃう。

・・・でも、それでも「できない」っていう人がいるのも事実なんです。

なぜそういう人がいる可能性に辿り着くことができないのか?
それは自分が「できる」からに他なりません。

つまり自分にとっては「できる」ということが普通である環境に慣れ過ぎてしまっていて、それが当たり前だと信じ込んでしまっているんですね。
だから「できない」という人を安易に否定することができてしまうのです。

(なんか「できる」「できない」のゲシュタルト崩壊。。。)

「逃げる」という選択肢がとれない人がいる

これが例になるかはわかりませんが、「いじめ」のシーンを考えてみてください。

いじめって、いじめられてる側は物凄く苦痛だと思うんです。
毎日学校や職場に行けばいじめられることがわかってて、それでも行かなければならない環境があるわけですよ。

これって「痛いのがわかっているのに針山に登らなければならない」っていう地獄の構図と似てると思いません?
あなただったら「地獄にいるからこれ以上は死なない」とわかってても裸足で針山に登れます???

・・・僕は無理。
だから、僕だったら逃げちゃうと思うんです。

でも、いじめられてる人って「逃げる」っていう選択肢が取れないんですよ。

これって僕のように「逃げられる人」からは理解できない感情なんだけど、事実としてそういうことが起きているんです。
逃げた方が楽になるとわかりきっているのに、できない。

もっとわかりやすい例だと、アフリカとかに貧しい部族の人達がいたとして、この人達に「事業興してお金持ちになったらええやん」なんて言っても・・・たぶん無理でしょ?

自分が育ってきた「あたりまえの環境」が違うということを理解できなければ、「努力できない人がいる」ということにも向き合えないのかもしれません。

人間は誰しも「才能」がある

「才能」なんて言葉を聞くとものすごく仰々しくて素晴らしいものかのように感じてしまうものですが、僕はこれってもっと簡単に考えていいと思うんですよ。

たとえばサッカーのリフティング。
僕なんか3回ぐらいしかできないんだけど、これが練習もなしに4回できる人がいたら・・・それは才能だと思ってます。

逆に言うと、3回もできる僕は1回もできない人よりは才能があるってことでしょ?

いや、もっと簡単な話にしましょう。

ええっと・・・そうだ、「スプーンを持つ」!
これって才能だと思いません??

才能って相対性で考えるものなんじゃね?

「いや、スプーンなんて誰でも持てるから」
・・・って思った人は、きっと「スプーンをもつこと」が当たり前すぎて、それを才能だと気づけてないんですよ。

でも例えば、生まれつき指の筋力がめちゃくちゃに弱くて、スプーンすら持てない人がいたら???
その人にも「スプーンを持てないのは甘え」とか言えるでしょうか。(いや、いえまい)

・・・まぁこれはものすごく”こじつけ”というか、無理矢理たとえ話を用意した感じではありますが、要は「努力」に関してもそうなのよ。
それを努力と思わずにできる人が「努力できないなんて言い訳じゃね?」って言ったとしても、そこには何の説得力もないのです。

だって、あなたは”それができないという次元では悩んでない”んでしょ?

なので、努力できている時点でそれはもう(努力ができない側からしたら)才能があるということなのです。(断言)

ネガティブよりポジティブに考えた方がよくね?

さらに言うと、僕はこういうのをネガティブに考えるのがあんまり好きじゃなくて。

「できないのは甘え」とかいうより「できるおれSUGEEEEEEE!!!!」の方が楽しいと思うんすよね。

だから、努力を努力と厭わない人は「こんなの努力と思ってませんけど?」ってスタンスじゃなくて「努力できるおれ、すごくね??」って思ってて欲しい。
その方が精神的にも良かったり、生活の質が向上したりしませんかねえ・・・?

こういうブログ書ける僕、すごくね!?!?

おわりに

とまぁ、そういうことを感じたで~ってお話でした。

実は僕がこういう風に考えるように至った経緯には、うつ病になった友人の存在が大きいのです。

当初、僕はうつ病のことを「甘え」だと思っていたんですよ。
でもその友人と話を重ねていくうちに、そうではないということに気づかされました。

「恐怖」はフィジカルに左右されるものなので、堂々と怖がって良いという話。

↑「うつ」がなぜ「甘え」じゃないのか、はこのコラムがちょっとだけ参考になるかも!

なんていうか、人間って一人ひとり「ちがう」んです。
それがあたりまえなんです。

でもなぜか同じようなことが「できる」同士で徒党を組んで、それを「あたりまえ」としてしまい、「人間はこういうもの」っていう型を作りがちじゃないですか。
あたりまえのことって、「できるひとがすごい」んじゃなくて「できないひとがおかしい」っていうね。

僕は30年近くずっとそういう環境にいて。
だから「うつ病になる人」のことを理解できなかったんだと思います。

これってトランスジェンダーとかも同じ感覚ですよね。
あー、今回の件ってそれに似てるのかもなー?

なので、出来る人が出来る立場から「なんでできないの?」「まずは努力してから言って?」みたいなのを偉そうに語ってるのって、(たとえそれがオリンピック選手の言葉だったとしても)僕の心には全然響かないのであります。。。

追記

あと、「努力できるのは才能」っていうのと「努力したから/才能があるから成功できる」っていうのはまた別のものとして考えなくてはいけなくて。

才能があっても努力が出来ない人っていうのもいるし、努力しても成功できないっていうのももちろんありますな。

まぁ、そりゃそうでしょって話だけどw

さらに追記

誤解のないように書いておくと「努力はしなくてもいい」なんて話ではないです。
努力はした方がいいし、努力しなかったことっていうのは他者からもすぐにバレるのでw

   

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      2021/04/20

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Comment

  1. ロードランナーK.K. より:

    お疲れ様でふ
    どうしたの!?
    社会派なテーマが続いてるじゃないのさ?
    努力なぁ…
    嫌いじゃないですね👍
    努力してる自分大好きだからw👍
    努力しても結果が出ない(出せない)なんて日常茶飯事よ
    でも頑張った分だけおのれの血となり肉となる訳で、そういう意味では「努力は裏切らない」っていうのを信じてます
    だから若い衆には早い内から挫折とか失敗をいっぱい経験して、人の痛みが分かる人間になって欲しいんだよおじさんは
    才能とかセンスなんて生まれもったものだから、妬んでもしょうがないんだ
    SMAPじゃないけど、「オンリーワン」を目指せばいいと思います
    オレも少年期~青年期前半まではコンプレックスの塊だったんだけど、最終的には性格の方が勝っちゃって、「オレはオレなんだから誰も追い付けないし、真似出来ないっしょ!」っていつも思ってますw
    あれ?
    何の話だっけw

    〉「努力を努力と思ってない勢」には全く理解できないものだったり

    言葉は悪いですけど、才能がある輩って浮世離れしてる人が結構多いでしょw
    オレみたいな凡人からしたら、そういう人種って頭のネジが飛んでたりとかw常識はずれだったりしますよね
    やっぱり世の中にあるボーダーを越えていく人っていうのは「規格外」な訳で
    だから自分が努力してても、それが努力だって気付かないパターンなんじゃないですか?w(暴言)
    でも身近にそういう人がいるんだよなぁ
    他人の感情だとか世の中の流れに相当疎くて、ある種の「紙一重」ってやつなんだけど、オレが思うに、そういう人が【最強】なんだろうなぁって思う次第
    そういうのに限って才能の無駄遣いしてるんだけどね!w
    オレは才能とかセンスなんか要らない
    だってそんなのがあったらそれを伸ばそうとして悶絶しちゃうし、回りから勝手に期待されたりしても知らないもん!
    だからオレは人から何言われてもヘラヘラしてる奴になりたいけど、やっぱり無理w
    マジメか!
    金曜日の夜にマジメか!!w
    ブフーッ.∵・(゚ε゚ )
    明日寒い寒い言いながらHW買いに行かなきゃなんだよ!
    もーっ!
    だが、嫌いじゃない👍
    また違うお題を投下願う👍

    • kaketayo より:

      ロードランナーK.K.さん

      コメントありがとうございます!

      えっほんと!?続いちゃってた!?
      いや、続いてないやないかーーーーーい!!

      こんなことを書いていますが、僕はどっちかっていうと「努力を努力と思わない勢」だったりします。。。
      好きなことをやっている限りは。
      逆に嫌なことだとすぐに投げちゃうので、嫌なことで努力をするっていう経験はあまりなかったのよね。

      でもまぁ、思い返してみたら人生で嫌な経験もたくさんしてきたし、それが血や肉となっていたのも確かなので、アニキが言う通り若い子たちにはたくさん失敗や挫折をしてほしいです。

      >少年期~青年期前半まではコンプレックスの塊だった

      おお!そうでしたか!
      でも最終的に性格が勝ったって・・・K.K.さんらしいっすわwww
      おっしゃるとおり、最終的に何になりたいか?の答えが「オレ」なんだったら、誰も追いつけないのよ・・・。
      それが正解なんですよ!

      >ボーダーを越えていく人っていうのは「規格外」

      ですね~。
      なので、そもそものスタートラインが違いますので、その人たちと同列に物事を考えたりするのはちょっと難しいよなと。
      ・・・というか、その人のモノサシで語られても、自分は自分なんで・・・ってところかな~。

      努力している自分が好き
      努力しているけれど気づいてない
      本当に努力でもなんでもない

      いずれも才能かなとw

      >そういう人が【最強】

      ある特定のジャンルでは最強、って感じですかね!
      僕は気づかいできる人とか大好きですよ!!

      >マジメか!

      Youはマジメなのよ!ワイも。
      だから売り場でクネクネしちゃうの!

      脱却してえ~!!

      >寒い寒い言いながら

      どんとぽっちぃ・・・
      今日は暖かかったナリよ。

      >嫌いじゃない

      好きって言って!(ウフーン)