なぜ車椅子ユーザーにエレベーターを優先的に使わせることが「平等」なのか
先日、車椅子の女性がエレベーターを優先的に使わせてもらえなかったどころか暴言を浴びたという記事をみまして。
もうなんか情けないと言うかなんというか。。。ものすごく寂しい気持ちになりました。
あのさぁ・・・「平等」の意味を履き違えてないか!?
誰にも同じように接することのみが平等ではないぞ!?
平等の意味を知れ!!!
平等・・・それは、差別することなく等しく扱うことである。
・・・ただし!
前提として「自分のコントロール外の部分で、ほぼ同じ条件の者同士の場合」というのが付くんですよ!!
明確にそう決められているわけじゃないけど、みんなそれはわかってんの。
「言わせんな」って感じのことなの!
なんでもかんでも等しく扱うのが平等ではない
たとえば!
頑張って仕事で成果を出したAさんと、仕事をさぼっていたBさん。
どちらも平等に同じお給料をあげました。
こういうケースだったら平等と言えるでしょうか??
二人の仕事に対する評価は同じではないので、報酬額が等しくなるのはむしろ平等ではなく「不平等」ですよね。
一方・・・
頑張って仕事で成果を出したAさんと、仕事をさぼっていたBさん。
Aさんにだけボーナスをあげました。
この場合、仕事で成果を出したAさんだけがボーナスを得ているため、二人の扱いは等しくありません。
・・・が!!
これはむしろ「平等である」と言えるのではないでしょうか?
つまり「平等である」ということと「等しく同じ結果を得られる」ということはリンクしないのです。
ハンディキャップがある人はそもそもが不利!
では冒頭の車椅子の方の場合。
他にもエレベーターを使いたい人がいたため、順番待ちをすることになりました。
一見すると「同じ人間」というくくりであれば、みんな等しく我慢して順番を待っているため、車椅子の方も順番を待つのが「平等」だと思うかもしれません。
・・・が!!!
違うんですよ!!
そもそもハンディキャップがある人というのは、健常者に比べて選択肢が少ない場合があるのです。
この件で言えば、健常者なら階段やエスカレーターという手段も用意されているのに対し、車椅子の方はエレベーターのみ。
つまり階を移動するのに3つの選択肢からエレベーターを選ぶのと、そもそも選択肢が1つしかないのとでは前提となる条件が違うのです。
これがもし、趣味で車椅子に乗っている人・・・なんだとしたら。
それは自分のコントロール下での行動なので、みんなと平等に順番を待つべきでしょう。
でもそうではない・・・たとえば事故や病気、または先天的な理由で車椅子生活を余儀なくされているのだとしたら、エレベーターを選ぶというスタート時点ですでに不利なのです。
つまり「平等に」というのを推し進めるのであれば余計に、優先的にエレベーターを譲ってあげるべきと言えるのではないでしょうか。
男女だって平等じゃねーぞ!!
あとですね、最近は「男女平等」が謳われて久しい感じですが。
僕は男女だって平等じゃねーぞ!って思ってます。
たとえば、政治に参加するだとか・・・どの職業に就くかとか・・・そういったところは平等であるべきだと思いますよ。
その能力が高い人が選ばれて、そうでない人は選ばれないっていう・・・「男女関係なく選考する」っていうのはね。あって然るべき。
で・す・が!!!
じゃあたとえば体力とか!
これはもう、どう考えても男性の方が(生物学的に)筋肉が付きやすいとかってのがあるでしょ??
それを「男女平等だから同じように殴り合って良い」とかにはなってはいけないと思うんです。
また、女性専用車両とかもそうですよ。
どうしたって男性の方がこじらせた変態が多いわけですし・・・(データ出てるんでしょ?w)
被害にあった女性が体力面では勝てないかもしれない・・・と考えれば、女性専用車両もあって然るべきなのです。
つまりね・・・平等なんてものはその状況に応じて変化するものであって、万物に対して全て等しく接することではないの。言わせんな!!
おわりに
そういうわけなので、「なぜエレベーターが優先なのか?」等を考えて行動できる人間になりたいですね。
ハンディキャップがある人に変に気を使うとか、ありえないほど優しくするとか、そういうことではなくて。
あれよ、お年寄りとかもそうだからね。赤ちゃんも。
20代~50代ぐらいの脂乗ったヤツが偉そうに「人類みな平等」とか言って同じような扱いしちゃダメだからね。
平等であることを謳うのなら、とりあえず手術で筋肉削って、薬で脳の活動も低下させて・・・そっからだぞ!
追記
とは言ったものの・・・人はそもそも誰しもが同じ条件では生きてないですけどね。
たとえば目に見えない部分で「他者と接するのが苦手」という人だっているのに、全員同じように接しないといけないような風潮もあるし・・・。
勉強のできるできないだって、自分のコントロール外の部分ていうのはあるのでね・・・(親の教育や裕福さで絶対に左右されるもんなぁ、、、)
なのでまぁ、できる範囲で他者に優しくできたらそれで万々歳というかなんというか・・・