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「保育園死ね」の件で妻と話して感じた「結局は自分さえ良ければいいのでは?」ということ。

 - 雑記

   

息子が歩けるようになってからというもの、毎朝息子と30分間散歩に行くのを習慣にしています。

今朝は息子が妻の手も引いて一緒に行こうというので、久しぶりに3人で朝の散歩をしました。

そこで何気ない会話から、今話題の「保育園落ちた」のアレに。
僕ら夫婦はそこまでこの話題に詳しくないから見解が間違っているのかもしれないけれど、
おおむね二人の意見は一致して、やっぱり夫婦なんだなと思いました。

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結局、自分さえ良ければいい

妻が今朝の話題として出したのは、
「保育園に受かった人も抗議している」
「保育園に関係ない人も抗議している」
という事を”問題視している人”について。

こういう事を問題視するという事はつまり、
「保育園に受かったんならいいじゃん」
「保育園に通わせる必要ないならいいじゃん」
っていう、「自分さえ良ければいい」という考えに基づいているんじゃないかなと思ったわけです。

「保育園に受かった人も抗議する」というのは至極当たり前のことで、
「自分が受かったからそれでいい」というわけじゃなく、日本の行政の在り方についての抗議だという事なわけですよ。

要は「自分だけじゃなく、みんなも平等に恩恵を受けられるべきだ!」という抗議。
すごく真っ当だよなと。

でもそれを問題視する声があるというのはつまり、自分が良ければそれでOKという感覚が蔓延している事に他ならないんじゃないかなと思ったわけです。

・・・うん、書いてて自分でもなんだかよくわからなくなってきた。

でも、ちょっと待って

で、そういう話を妻としていた時に、ふと

「あれ、でも、そもそも保育園落ちたって騒いでる人って”自分さえ良ければ”って思ってない?」

って思ったんです。

だって、そもそもなんで保育園に入れなきゃいけないの?っていうと
「自分が働きたいから」でしょ?

なんで働きたいのかっていうと、今と同じぐらいのお金が欲しいから。
なんでお金が欲しいのかって言ったら、今と同じぐらいの生活がしたいから。
それでいて将来の為に貯蓄したいから。

・・あれ、これって、自分の事しか考えてなくない・・?

仕事は無限にあるわけじゃない

で、大前提として書いたとおり、僕はこの件について詳しく知らないので、間違っていたら申し訳ないんですが、「保育園入れろゴルァ!」って思っている人って、仕事が無限にあると思ってないか?と。

その人が子供を保育園に預けて仕事を出来るようになるという事は、
他の人が仕事をする機会を奪っている事にも繋がるんじゃないかと思うわけです。

仕事って、需要があって、お金を使ってくれる人がいて、初めて成り立つわけじゃないですか。
働いたからお金が貰えるわけじゃないんですよ。

そもそも最近の不況って、要するに人々が安価で満足するサービスに慣れすぎてしまった事から来る「有料のサービスへの興味のなさ」から来てるんじゃないかなって思うんです。

例えば、iPhoneなんて発売された当初は未来感がすごかった。
でも国民のほぼ全員がスマホを持つような時代になった今、iPhoneの新作が出るってだけじゃ「すごいすごい!欲しい!!」ってならない。

企業は頑張って今ある製品を陳腐化させようとするんだけど、
一部のユーザー以外は「いや、でもこれまだ使えるし」ってなるよね、っていう。

ちょっと脱線しちゃったけれど、結局は国民・・いや全世界の人が「お金を出してでも享受したい!」っていうサービスが無限にあり続けるのなら話は別だけど、そういうわけじゃない。

てことは、結局のところ仕事だって奪い合いなわけですよね。
言わば認可の保育園に入れるかどうかも、いい仕事に就けるかどうかも戦争なわけですよ。

勝ち取った人たちだけが、「自分だけいい想いができる」っていうこと。

国に何を求めているの?

で、これって結局のところ、「資本主義なんだからあたりまえじゃね?」ってとこなんですよね。

僕みたいにお金にとことん縁がなくて、仕事もお金もないような人間がいるのだって当たり前なんですよ。
負け組はいい想いが出来ない。当然のこと。

だから”自分だけは勝ち組に入れるように”頑張って抗議するわけですよね。

そう思うと次は、「じゃあその人たちは結局のところ、国にはどうしてほしいんだろう?」と疑問なわけです。

認可の保育園に入れるようにしてほしいのはわかる。
だけど現実問題として、保育士一人あたりが面倒を見る事ができる子供の人数にはどう考えたって限界はあるわけだし、かといって余っている保育士を全員認可に入れるほどの財源もないわけでしょ。

「議員の年収を削ればいいじゃない」

っていうのはすごくよくわかるけれど、
それだけで足りるような額なのか?そしてそこだけに財源を割いていいのか?みたいなのを考えると、どうも現実的ではない気がする。

じゃあ税金上げてでも「子供を預かって貰える社会」を形成するのが正解なのか?というと、
なんかそれも違う気がします。

そう思うと、そもそも根本的な「教育」から見直さないといけないんじゃないでしょうか。
言ってみたら、「仕事をして、高いお給料をもらって、質のいい生活をして、老後の為に貯金して」みたいな話が、そもそも時代にあってないんじゃないか?みたいな。

これって結局は学校で明確に習ったわけではないにせよ、日々の生活から教育されてきた事ですよね。
資本主義社会として、これが正だとでもいうかのように。

でも人々の興味が薄くなってきている事や、年老いてもまだまだ生きていられる時代になったことを考えると、今の時代にその教育が合わないわけですよ。

だから大人も子供も教育し直し!っていうのが正しいんじゃないか?と思いました。
ただ、「老害」といじめられる老人たちよろしく、今の30代40代の大人だって「いままで君たちに教えてたことは違うから」って言われたって絶対に納得しないですよね。
今まで30年40年生きてきた常識にガチガチに頭は固められていますから。

そう思うと教育のし直しもやっぱり難しいんだろうなー・・と。

国や他の国民のメリットは?

で、結局のところ、教育のし直しって言うのは「資本主義の見直し」にも関わってきそうな気がするんですが、そんなのって国にとって全然メリットがないですよね。

ぶっちゃけ、貧乏で死ぬヤツがいようとも、保育園に入れなくてブーブー言うヤツがいようとも、
資本主義国家としてお金が回っていて、自分たちの生活が守れたらそれで十分なわけですから。

会社にとっての社員というのは顧客も同然で、社員の不満を買い続けた会社はいずれ滅ぶというのはわかりますが、国と国民の関係は決して「会社と社員」の関係ではありません。

そもそも国は(国債とかはあるけれど)利益を追って動くような存在じゃないですよね。
そう思うと国は国民の不満を受け入れる必要がないわけです。

そういう関係性の時に、こちらの要求ばかり飲ませようとして相手のメリットを考えなければ、そんな要求が通るはずがないんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。

おわりに

と、いうような事を、朝のさわやかですがすがしい時間に妻と話しました。
子供を連れながらするような話じゃなかったかもしれないですw

僕は高校からずっと理系だったので、政治経済的なことはとーんとわかりません。(という逃げ)
妻も同じです。だから意見が合うのかもしれないけれど。

だから、もしかすると「保育園に入れなかった」と騒いでいる人たちだって、
国民の為を思って・・つまり、細かく見れば僕の利益になるような事として抗議してくれているのかもしれない。

そうなのであれば頑張って欲しい(他力本願)し、そうじゃないのなら「なんだかなぁ・・」といったお話でした。

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