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いじめがなかったなんて嘘よりも、それに立ち向かう学校の方がカッコよくね?

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つい最近、お父さんのアカウントを使ってTwitterでいじめの告発をしていた子がいたと思ったんですが・・・失念してしまいました。

でまぁ、結局は学校も教育委員会も市も「いじめはなかった」みたいなことを軽々しく言うわけですよ。

「いじめがない」なんて・・・そんなわけないじゃないですか。

バカの一つ覚えみたいにいじめを隠蔽するぐらいなら、「うちはそれを認めて、こう取り組みました!!」っていう発表のほうが何倍もその学校、市等々の評価があがると思うんですが・・・どうなんでしょうか??

もういじめがないなんて言わないでゼッタイ

「いじめがない」なんて言う人のことは10000%信用できません。
その人が持ってくる儲け話があったとしても僕は絶対に乗らないと思います。

だって、いじめはあるもん。

こんなの、今に始まったことじゃないし、日本だけの話でもないし、人間だけの話でもないんですよ。
生物はみんな等しく「いじめ」をするの。

たまたまその件での加害者になる人、被害者になる人っていうのがいるけれど、これが余裕でひっくり返ることがある・・・っていうのが物語ってるでしょ。
誰でも一定の状況下にあればいじめをする可能性がある・・・ぐらいの感覚でいた方がいいんです。

※なので「僕は絶対にイジメをしない」というような人のことも信用できないかもしれません。

隠ぺいしたってなくならない

ほんで、いじめがあった事実を隠蔽したところで、いじめなんてなくならないんですよ。当たり前じゃん。バカなんじゃないの?

某ミステリ漫画の犯人でもそういう人いましたよ。
殺人をしても死体を隠してしまえば(見えなくなれば)安心する、みたいな。

ちがうちがう。
臭いものに蓋をしたところで、その臭いものがなくなるわけじゃないの。

「いじめはありませんでした」と言えばいじめがなかったことに・・・なんてならないんですよ!

だったらいじめがあった事実を早々に認め、加害者・被害者ともにケアに努めるのが教育者や指導者の仕事じゃないんですかね、、、

学校は「ミスを許さない」の方針だろう

ただね、学校っていうのは昔から「兵隊を量産する工場」なわけで・・・。
要は文科省だとか日教組だとか、そういうところが望む日本の青年像を育てるための機関なわけです。

でね、その方針っていうのは「ミスしちゃダメよ」っていうものなんですよ。今も昔も。

本来はエジソンよろしく、ミスしたとしても「これは失敗じゃねえ・・・成功するための実験の一つや」っていうのが正解だと思うんです。
でも日本人は老若男女ともに失敗を非常に恐れる傾向にありますよね。

転職なんかがまさにそれじゃないですかね??
海外では「自分に合わない職場はどんどん変える」というのが一般的で、自分が働きやすい職場にいられることが一つのステータスにもなりうるのに・・・日本は「いかに長年そこで我慢して働き続けたか」という点が評価されがち、っていう。

だから転職を繰り返した人はそれだけで再就職が不利になるのだそうな。

まさにそれが学校でのいじめにも適用されるのではないでしょうか?

「いじめの報告があがっているけれど、都度対処して報告をあげている学校」と、「いじめが全くない学校」・・・果たしてどちらの方が安心して子供を預けられるだろうか。

おわりに

昔は学校の先生ってすごく偉い人なんだと思ってましたけど、大人になってから見ると全然「同じ人間なんだなぁ」っていう感覚が強くなりますね。

まぁ、あたりまえなんですけども。

数年前に同級生で中学校の教師をやってるヤツが同僚の先生と飲み会をしているところに遭遇したことがあるんですけど・・・まぁー、俗物でしたもんw

でね・・・何が言いたいかっていうと、結局のところ先生(校長先生含む)もただの人間ですし、教育委員会だのの偉いマンだってただの人間なので・・・できることには限りがあるわけですよ。神様でもなんでもないので。

そう思ったら「いじめに気づけなかった」とか「いじめを予め防止できなかった」っていうのは、もう先生の責任でもなんでもないと思うのです。

であれば、いじめが発覚したことで減給になるとか、いじめを隠蔽できたら昇進できるなんて話もありますけど、逆に「いじめが発覚して、適切な対処ができた」という先生を評価してあげる仕組みの方が正しいのではないでしょうか!?!?

   

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