自宅に表札っている?いらない?表札を付けない人は果たして「常識がない」人なのか
15年ぐらい続けていた賃貸暮らしをひとまず卒業して中古の一軒家を購入した我が家。
いろいろとリフォームをしていく中で「表札どうする?」という話題があがりました。
表札っていうのはその家の顔なわけで、僕の実家にも大層なもの(今は亡き父の名前が大きく載ったもの)が掲げられています。
でも僕は自分が購入した家には表札をつけたくなかったんです。
それでいろいろ調べてみたところ「表札をつけないなんて、どれだけ悪いことをしてきたのか」とか、「社会性に欠ける。常識がない。」とか一方的な意見が多く、ビックリしました。
はたして表札を付けないことは良くないことなんでしょうか?
今日はそんなことを考えてみました。
僕はなぜ表札を付けたくなかったのか
まず、大前提として・・・なぜ僕が表札を付けたくなかったのかというと、単純に「これって個人情報じゃん」って思ったからです。
このご時世、Google Mapなんかで簡単に「その場所の住所」っていうのはわかるわけですよ。
僕も今住んでいる家を買う前に、不動産屋から提示された写真をもとにGoogle Mapのストリートビューで場所を調べて、その住所を割り出したりしてました。
そこに表札があって名前が書いてあれば・・・どこそこに住んでいるだれそれさん、っていうのが簡単にわかってしまいます。
個人情報の取り扱いに敏感になりまくっている今、あえて自分から個人情報を晒すということにすごく抵抗があったんですね。
ネット+個人情報=犯罪
でまぁ突飛な話に思うかもしれませんが、個人情報がわかるっていうことはインターネットを使っていくらでも犯罪に利用される恐れがあるわけですよ。
つい先日、僕も友人に釘をさされたばかり。
たとえばツイッターで「飛行機なう」とか言ってたら「あー、あいつんち、今は留守なんだな」ってのがすぐバレる、みたいな。
表札っていう個人情報はこういうのとは属性が違うかもしれませんが、犯罪者たちはどんな角度から狙ってくるかわかりませんからね。
自己防衛はしておくに越したことがないと思うのです。
表札を付けないで困ること
では表札を付けなかったとして、困ることはあるのでしょうか?
冒頭で書いたとおり、僕は15年近く賃貸(マンション)住まいだったのですが・・・この時は1度たりとも表札を出したことはありませんでした。
それでも郵便物などの荷物は問題なく届きましたし、ご近所さんとの付き合いも特に問題はなかったと思っています。
というかご近所さんも表札が出ていない人が多かったので特に違和感がなかったのかな。
来客があっても必ずアポイントがあったのでこちらから迎えに行けましたし・・・本当に(住んでいる立場としては)何も困らなかったかなと。
もしかしたら配達人の方たちは「部屋番号だけじゃ合ってるかわかんないよー不安だよー」って思ってたかもしれないですけどね~。
荷物の届け間違いは表札があっても起こる
事前に調べた時の意見では「郵便物を届ける人が困る。配達間違いが起こる」というようなものがあったんですが、そんなのは表札があったって同じことです。
というのも、僕の実家では表札がしっかり出ているにも関わらず、うちの荷物がお隣さんに届いたり、お隣さんの荷物がうちに届いたりなんていうのはしょっちゅうありました。
それって単なる配達人の人的ミスじゃないですか。
それを減らすために個人情報を晒すリスクを取れ・・・というのは何だか変な話です。
逆に、友人が僕宛に送ってくれた荷物が、住所表記が全然違っていた・・・なんてこともしばしばあったんですが、、、普通に届いてたんですよ。
要は配達してくれる人だって「ここには誰々さんが住んでいる」というのを心の中で把握してくれてるわけで、その人のスキル次第ではカバーできる案件だったりもするんです。
表札をつけない人は常識がない?
それでも「表札をつけないなんて常識がない」と言う意見があるのはなんとなくわかります。
僕だって子供の頃から「家にはそれぞれ、そこに住んでいる人の名前が書いてあるもの」として育ってきましたので、それが当然であると疑わない人がいるのは何らおかしなことではないでしょう。
でも、なんていうか・・・「表札をつけない」=「常識がない」っていうのは、単に決めつけているだけですよね。
「ゆとり世代」=「人を殺す」とか言ってるようなもんです。
ハッキリ言って、そんなのは4歳児の考え方と同じなんですよ。(暴論)
実際、僕らは引っ越したすぐの時には表札がないままでしたが、両隣と向こう三軒などには菓子折りをもって挨拶に行き、熨斗にはしっかり名前も書きましたし、読み仮名も告げました。
その方たちとは今でも外で会えば挨拶をしたり雑談をしたりという仲だったりします。
むしろ挨拶に伺った家で表札に名前が2つあるのに1人で暮らしている・・・みたいなところもあったりして、、、やっぱり一概に「表札がある」=「常識人」みたいなのは決めつけられないよなと思いました。
海外の場合
日本での常識に海外の話を出すのはナンセンスかもしれませんが、一応参考までに書いておくと・・・アメリカなんかでは表札ってやっぱり掲げてないんですよね。
ではどうやって家を判断してるのかっていうと・・・表札の代わりに大きくその家の番地が書いてあるわけです。
これって結構考えさせられる話で・・・たとえば配達人であればその家に住んでいる人の名前がどうであれ、届ける番地さえしっかりしていれば問題ないわけですよ。
じゃあそこに住んでいる人の名前がどうしても必要な人って誰なんだろう??って。
その家にどんな人がいるのかは知らないけど、名前だけは知っておきたい人・・・?
住所はわからないけど名前だけを頼りに訪ねてきたい人・・・??
我が家の解決策
結局のところ、我が家では海外方式に習い・・・表札には大きく番地を書くことにしました。
ただ、これだけだとやっぱり不便に感じる人がいるのかなぁ・・・とひよってしまい、下の方に小さく”ローマ字で苗字”だけを記載。
これでまぁ・・・何か悪いことに使おうと思う人がいても当てずっぽうに漢字を書くしかないので、ちょっとしたリスクヘッジになるかなぁ・・・と。わからんけど。
そうそう、実は僕、以前いきなり訪問者にドアをガチャガチャっとやられたことがあるんですよ。
あの時はマジで怖かったんですが・・・そういう人の中には「いるんでしょー?すいませーーん!!」みたいなことを叫ぶ人もいたんです。
その人が僕に本当に用がある人なら「〇〇さーん」って言いますよね?
でも僕の名前を知りもせずに訪ねてきた人だったら、名前を叫べないわけです。
それがもし外に表札があって名前が出ていたら・・・たとえ僕の名前を知らなかったとしても「〇〇さーーん!!」とか言えちゃうんですよ。
そういう意味でも本当は「名前なし」、それが世間体的に問題ありそうなら「ローマ字」ぐらいがいいんじゃないかと思います。
おわりに
というわけで・・・表札いるの?いらないの?と疑問に思った方は、「常識」とかいうパワーワードに負けることなく「番地を掲げる」で乗り切ってはどうか?というお話でした。
表札を出してたってご近所さんとあいさつすらしないような家はごまんとありますし、逆に表札なんかなくたって周りに住んでいる人との信頼関係なんか築けますので。
ただし・・・番地すら出さないとか、番地だけじゃその家が識別できないとかだったら話は別ですけども!