お金が仕事の報酬(対価)にならなければ良いのになぁ!
ちょっと前に、世界的なアーティストであるレディ・ガガさんの愛犬が誘拐されるという事件がありました。
なんでも犯人はレディ・ガガさんの愛犬とは知らず、「(高額転売できる)フレンチブルだから」という理由で犯行に及んだのだとか。
僕はこれを聞いた時に、「なんてハイリスク・ローリターンなことをしているんだ!!」と感じたものです。
だって・・・フレンチブルの成犬なんて、転売したところでたかが知れてるでしょ・・・?
その数万、数十万のために発砲したりしてんだぜ・・・?
・・・バカじゃん。
でも、そう思えるのは僕が贅沢こそできないまでも、一応ご飯は食べられているし、着る服もあるし・・・寝るところもある、っていう生活を送っているからなんですよね。
逆にいうと、短絡的な犯罪に手を染めてしまう人っていうのは、もっと「お金がない」または「極端にお金がなかった時代があった」というような人なのかもしれないのです。
・・・ではなぜ「お金がある人」と「お金がない人」が存在してしまうのか!?
僕はその原因が「仕事の報酬がお金だから」というところにあるのでは!?と考えました。
お金のために仕事をしてないか!?
僕らはなぜ仕事をするのか??
その答えは・・・「仕事しなかったらお金が貰えないから生きていけない」ってとこだと思うんです。
つまり生きるためにはお金が必要で、そのために仕事をしているわけですな。
しかも仕事には優劣があり、少しの労力でお金がたくさん貰えるものと、たくさん働いてもなかなかお金が貰えないものとがあるのです。
これが資本主義なわけですよ。
それゆえ、働いても働いてもお金が足らん!という人も多く、犯罪に手を染めてしまうこともあるのでしょう。
※ただし、犯罪に手を染めない人の方が多数!!
お金が貰えなかったら仕事をしないのか??
ではお金を貰えなかったら?
嫌々仕事をしている人なら、お金が貰えないと思ったら即辞めるだろうと思います。
一説には社会主義の国とかだと「やってもやんなくても同じ」みたいな感じで、仕事の効率が悪くなってしまうなんて話も聞きますし・・・まぁ、そういうもんなんでしょう。
でも一方では、ボランティアのようにお金を貰えなくても「やりがい」を糧にして仕事をしている人というのも存在するわけですよ。
この両者の違いは何か・・・?
それは「お金を報酬と思っているか否か」ではないかと思うのです。
「やりがい」「人徳」的なところが報酬だったらどうなんだろう?
無給でも自分が「やりがい」を感じる仕事をやってみるとわかるんですが・・・何気に「やりがい」って良いんですよ。
よくネットで「仕事にやりがいとかw」みたいな意見も見かけますけど、全然・・・人の役に立つことって結構気持ちいいっていうか、やってて楽しい部分があったりします。
でも、そういう「無給の仕事」ができるのって、そもそもの生活基盤があってこそ、なんですよね。
やっぱりお金がなければ生きていけないわけで・・・だからまぁ、「これでお金も貰えたらなぁー」なんて思ったり、「お金の心配がなければワイもこのボランティアを続けるのになぁ・・・」という葛藤と戦うことになるわけです。
もし、「お金はみんなに一律で配る」、そして「仕事ではお金が増えない」ということが確定したらどうなるでしょうか??
お金に囚われまくっている投資家の人たちなら・・・即その国から逃げていくでしょうね~。
中には「一日中何もしないで過ごすわwww」って人も出ると思います。
でもその一方で、「何か人に喜んでもらえることはないだろうか?」と仕事を探す人っていうのも出てくるんじゃないかなぁ・・・?
※ベーシックインカムが導入されたらこんな感じなのかも
それでも「犯罪」に手を染めるのだろうか???
さらにいうと、人は生活できるだけのお金が手元にあったとしても、さらなるお金をもとめて「犯罪」に手を染めてしまうのでしょうか???
なんとなく真っ当な(という言い方が適切かはわかりませんが)感覚では、犯罪というのは切羽詰まった最後の手段であって、生活に対する不安がなくなればそれをやろうという人は少なくなるのでは?・・・と思うのですよ。
・・・甘いかなぁw
まぁ・・・生まれつき他傷行為で快楽を得られる人もいるだろうし・・・犯罪の完全なる撲滅は無理なんだろうけども。。。
新しく、便利で素晴らしいサービスは生まれない?
懸念点があるとすれば、資本主義的な部分から外れることによって新しいサービスが生まれにくくなるのかな・・・?といったところが考えられます。
やっぱり競争しないとね、こういうのって難しいと思うので。
でも・・・どうなんでしょうね?
なんか今でもみんなSNSとかに(誰からもやれと言われていないのに)面白い投稿とかをしまくってるじゃないですか。無給で。
あれって根底にあるのは「誰かを楽しませたい」とか、あとは「自分がよく思われたい」とか、そういう部分なわけで。
そう思うと、そういう承認欲求を満たすために頑張る人たちのおかげで、新しいサービスが生まれる可能性もあるんじゃないかしら。
(ただあれかー・・・お金がないとクオリティとか保守とかいったところに手が回らなくなるのかなぁ)
おわりに
こういうことを考えていたら、たまたまキングコングの西野さんがサロン内でやっているという「信用を増やす」という仕組みの話が目に留まりまして。
これって「お金に囚われない」っていう意味ではすごく良いことなのかなーと思いました。
※ただまぁ、その信用をお金で買うようなことをやってるみたいだし・・・信用を得ることでお金を増やしやすくする・・・という考え方みたいなので「結局お金かーい!」という感じではありますが。。。
あとですね、テレビでかまいたちの山内さんが、奥さんからのプレゼントに「俺が稼いだ金でプレゼントされても」みたいな発言をしていたそうなんですが・・・この辺もやっぱり「お金」が変な風に働いてしまっていますよね。
(というか、奥様の家事や子育てなどに対して十分な「お金」という対価を支払っていての発言なのだろうか?w)
なんとなく「お金」と「報酬」が一緒くたになってしまってるのって気持ち悪いことなんじゃないかなぁ・・・。
(でもそれが一番わかりやすいし、簡単なんだろうけれども)
追記
やっぱりお医者さんとかも「お金のために!」と思って働いてらっしゃるんですかね??
「高給取りだから医者になろう!」みたいな・・・?
その根底には「そこそこお金も貰えるけど、人命を助けられるというやりがい・使命感」みたいなところが糧になっていたりしませんでしょうか。
(やったことないからわからんけども)
僕の知人で保育士になるべく勉強をしていた子が、その薄給ゆえに仕事を諦めたということが過去にありまして。
なんだかすごくもったいないと感じてしまったのを思い出します。
介護職なんかも「生産性がない」みたいなところで、仕事に対する十分な賃金が得られないようですが・・・こういうのも全部全部仕事とお金が直結しているせいだったりしないのかしら・・・?