「昭和って楽しそう」とかいうけど、今の方が何倍も楽しいと思うけどなー
小5の息子が傘をボロボロにして帰ってきました。
なんでも友達とチャンバラしてきたそうで・・・w
本来なら叱るべきシーンなんでしょうけども、「おー、楽しかったか!」みたいな言葉が先に出ちゃって。
あわてて「いや、傘を壊すのは良くないことだぞ」と。
なんていうか、うちの子が・・・なのか、最近の子は・・・なのかはわかりませんけども、昔の子みたいに乱暴じゃないんですよね。
だから「やっと傘壊してきたかー!!」っていう、ちょっと嬉しい気持ちが湧いてしまったというかw
それで思い出したんですけども、最近SNS等々でよく「昭和って楽しそうだなー」っていう意見を見かけます。
昭和後期~平成初期にキッズだった僕は常々「いまの方が何倍も楽しいだろ!!」って思ってたんですけども、もしかしたらそうでもないのかもなー・・・などと考えました。
昭和って不自由だったからな!
言うて、昭和50年代に生まれてる僕なので、本当の昭和なんて全然知らないんですけども。
一応ギリギリ昭和も生きた男として言わせてもらうと・・・やっぱ昭和って今よりも不自由だったと思うんですよね。
物理的なところで言えば、スマホがなかったですから。
遊ぶ約束して現地に行っても誰もいない・・・みたいなことがよくありましたし。(集合場所と時間がちょっとでもズレると会えないのだ)
携帯ゲーム機なんかもなかったし、家でファミコンやってたら怒られたから、夕方まで友達と公園行くしかなかったし。
そんなことよりも、今みたいに「多様性」とかっていう概念がなかったですからね。
わりと「こうあるべき」っていう育てられ方をした子たちが多かったんじゃないかなと。
大人になったら結婚して、子どもを育てて・・・っていうのが当たり前だったりね。
YouTuberになる、なんて言ったら張っ倒されるような時代ですよ。ねえ。
それに比べたら今なんてヌルゲーやヌルゲー。。。
でも、こんなに息苦しくなかったなー
でもね・・・なんか多様性の弊害っていうか、最近はすごく言葉狩りが横行してたり、ハラスメントを意識しすぎなければいけなかったり、息苦しいなぁと感じることが多くて。
昭和の時代はそういうのってなかったよなーとは思いますね。
だってSNSがないからね。「叩かれる」っていうのがなかったんだもんなー。
SNSって、弱者と言われる人たちが簡単に声を上げることができて、今までは倒せなかったような強大な敵をも屈服させられるすんごいツールなんですけども。
相互監視が強すぎて、やっぱ窮屈に感じている人も多いんじゃないかなって。
こういう息苦しさと自由のバランスが取れていればいいんですけど、今はちょっと息苦しさの方に傾いちゃってないか??と感じます。
逆に、今の子たちがこの状況に息苦しさを感じないのであれば、やっぱり全然ヌルゲーっていうか・・・良い社会なんじゃないかなとは思うんですけどね。
ただ、昭和的な「楽しさ」っていうのは、どっちかっていうと「いい子にしてたら得られないもの」だったりしそうなので、今の時代にそれを得るのは難しいのかもしれないなぁ。
おわりに
とはいえ、今の方が技術力だったり便利さは圧倒的に昭和よりも優れていますので、”楽しもうと思えば”絶対にあの頃よりも楽しいと思います。
たとえばお化け屋敷って、怖い怖いと言って入らなかったらその楽しさは得られないじゃないですか。
ジェットコースターもそうかな。
僕は恋愛や結婚、子育てとかもそうだと思うんですけども。
もしかしたら今の子は賢くなりすぎちゃって、全部論理的に考えて判断して・・・っていうのが「楽しさ」から外れちゃってるのかもしれないっすね。
何かを判断する時だけでももうちょっとだけバカになれたら、また違うのかもしれないなー。