ブログが書けたよ!

自分がやってきたことだけなんでも書く、ジャンルむちゃくちゃマガジン

まず「イエス」か「ノー」で答えんかい!!!

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我が息子くん、僕に似てとても優柔不断なヤツなのです。

たとえば友達が「今日遊べるー?」って誘いにきてくれた時、「だれだれ君がなになにって言ってたからさ~」みたいなことをごにょごにょダラダラと延々話してて。

僕が「遊べるか遊べないかをまず答えんかい!」と横やりをいれて初めて「あそべるよー」みたいな。

で、よくよく話を聞いてみたら「自分で決定したくない」という想いがあったそうなんですよ。
だから自分の心境を相手に伝えて、相手に遊べるのか遊べないのかを決めてもらおうとしていた・・・と。

全く・・・日本人みたいなヤツだな!()

まぁ、僕は日本のそういう「察する文化」というのは嫌いじゃないというか、むしろ好きではあるんですがw

ただやっぱり相手の立場で考えると、イマイチ良くないのかもなーと。

相手の立場で考えて?

息子がダラダラと友人に自分の心境を話していたのは「言い訳」なんですよね。

そもそも言い訳はあくまで「自分の保身」のためであって、相手のためにするものではないので・・・あまり宜しくないのです。

言い訳は事態を好転させないどころか、悪化させる可能性が高い

 

※相手から「なんでダメなの?」と聞かれて話した時に初めて「言い訳」から「理由」に昇華されるのだ・・・!

相手の立場で考えたらわかると思うんです。
遊べるのか遊べないのかを聞いているのに、自分にとって何の利益にもならない情報を延々語られる・・・。

これって、僕や高嶋ちさ子さんのようなせっかちさんだったら(軽くイラつき気味に)「・・・で?どっち?」ってなりますよ!

せっかちさんというのは、そういう異種の生物なのだ。

日本人には難しいのだ

ただ・・・わかる。
これは日本人には割と難しい問題なのだ。

僕もやっぱり、なかなか決断ができず・・・先延ばしにしてしまう傾向にあるので、息子の気持ちはよくわかるのです。

人は信じたいものを信じるがゆえ、曲解による誤解が生まれるのである【確証バイアス】

「相手の気持ちで考えて?」っていうのも、日本人ならではのコミュニケーション方法であって。
つまりは言い訳することで相手が察してくれることを待つというのはある種、わびさびのある美しい対処方法とも言えるのでしょう。

でもまぁ・・・真に「相手の気持ちを考える」のであれば、やっぱりまず最初にイエスかノーかを伝える方がいいんじゃないかな。
相手が求めてる答えって、そこだもんね。

おわりに

そういうわけで、息子くんには「イエス・ノーで答える練習してこうぜ!」という話をするに至りました。
僕もなかなかできないので練習中です。

ちなみに息子は「イエスかノーか答えて?」と聞くと、数分(ガチで)だんまりを決め込むことがあって。
親としては「考えてるんだろうなー」と理解できますが、コレ・・・他所でやったら「あれ?聴こえてない??」とか「無視されてる?」とかなってしまう可能性もあるんですよね。

なので「『イエス』か『ノー』か、『ちょっと待って』の三択」というのを練習させております。

まぁ、考えるってことは「自分にとって何が一番得か」みたいなのを計算してるんだと思うんですけども。
もっとワガママに生きてもいいと思うんだよなー。

追記

というか、誘う方も「遊べる?」ってのは良くないんですよ。
「(時間的に)遊べるけど、(気持ちとしては)遊びたくない」ってのは言いづらいものw

かと言って他にベストな言い回しがあるわけでもないですが。
(あれこれ整合性等々を考えずに「あそべなーい」って言えばいいだけなんだけどね)

「学校を休むために風邪を引く」とほざく息子には「理由もなく断れる」人間に育ってほしい!

   

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