努力は美しいが作品の評価とはリンクしない
努力って美しいですよね。
僕は努力の美しさって、努力をした人にしか伝わらないと思うんですよ。
なので、テレビで「努力している姿」を主体にしたエンターテインメントとかがありますけど、あれに感動できるかどうかは「自身に努力の体験があるか否か」で左右されるんじゃないかなと思ってます。(もちろんそれだけじゃないと思うけどね)
さて・・・そんな折。
分かる。なんかそういうのあんまり考えず楽しみる人でありたいよね
ただ金と労力のかかってるクソ映画なぞごまんとあるしそれはやっぱりクソ映画なんだよなという気持ちもある pic.twitter.com/tizxsJ9dqx
— RIN-CHAN-05 (@Rinchan051Dmc12) August 11, 2023
元ツイは消えちゃったみたいですけど、
ディズニーのショーパレ評価ランクみたいなのをしてる人見るけどさ。
本気になって取り組んで何百時間も練習して何年間もかけて考えたショーの関係者やダンサーに失礼すぎる。
という投稿に「いいね!」が1,000超ついてて。
僕はなんていうか・・・これは別軸で考えるべき事項なんじゃないかと思いました。
努力をしたら「良い作品」なのか!?
ディズニーのショー・パレードに出演される方やそれを作り上げる方がどれぐらいの努力をされているのかは僕には想像もつきません。
ですが、(こんな言い方をするとアレだけど)それでお金を貰っている以上、努力をしていないわけがないのです。
これは何もディズニーに限った話ではなくて・・・たとえばマクドナルドの商品開発部だってそう。
世の中に出ている商品、サービス等々は、基本的に努力の上に成り立っています。
だからといって努力を蔑ろにして良いわけではないですが、それはそれ。
僕らエンドユーザーが評価する部分は「努力したか否か」ではなく、「その商品が優れているか否か」という部分なんですよね。
だって考えてみてください。
飲食店で高額なメニューがあって。
オーダーしてみたら全然美味しくなかった場合。。。
もしシェフが「めちゃ努力したんすよ・・・」と言ってきたとしても、その料理が美味しくなるわけじゃないでしょ?
政治家がめちゃくちゃな政策をして日本経済が地に落ちたとして・・・「努力したんですが」と言われても許せないでしょw
つまりエンドユーザーが評価するのはあくまでその成果物に対してであり、努力したか否かは問うてないのである。
努力は努力として褒めてあげて!!
ただ、前述したとおり、努力したことを蔑ろにするのも違うと思ってまして。
うちの息子なんかが「パパ見て~!!」と自作のゲーム(紙に書いたヤツ)を見せてきたりするんですが、やっぱヘタクソなんですよ。
でね、僕は「つまらんなぁー」とかガチの評価をしてしまいそうになるのです。
すると息子は「こんなに頑張ったのに!!」とか言って泣き出してしまうので、評価する前に僕はまず「頑張った」という部分を褒めることにしているんですね。
頑張ったのは認めるし、これをここまで作ったのはすごいけど・・・でも、つまらんなぁー みたいなw(結局)
件のディズニーのショーパレだってそうですよ。
彼らが頑張ったことはショーを見れば一発でわかります。
でも、それと「面白いか否か」は別なので、「めちゃすごかった!だけどつまんなかった!!」みたいなのが正しいんじゃないかなって。
おわりに
ちなみにワタクシもよく「ブログを毎日書いていてすごいです!」と褒めて頂けることがあります。
それは自分でもすごいと思うし、そう言ってもらえるとやっぱり嬉しい。
「でもブログの内容つまんないっす!!」と言われたら・・・まぁ、ショックだよなぁw
でもそれが事実なんだから仕方ないというか、、、努力したから面白くなるってわけじゃないですからね・・・。
そういう意味で、少ない投資で最大限のレバレッジを得ている人達っていうのにすごく憧れるんですよ僕は。
なるべくだったらあまり努力をしないで成功したいなーって。
だから手抜き系ライフハックが大好きなんですけど、でもでもやっぱりみんな「努力したヤツ」のことが好きだったりするから、、、難しいよなぁ!!