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PCを使えない若者が増えている現実に「幼年期の終わり」が既にSFではなくなっている事を感じる

 - スマホ雑記

      2018/12/09

アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」が気になって気になって、
本編を読む前にサマリーを読んでしまった事をとても後悔しています。

くそぅ・・そのミステリ的な衝撃を僕も味わいたかった。。

これが今から60年以上も前に書かれていた事に驚き。
僕の母より年上でやんの。

さて、幼年期の終わりはまさしくSF小説なわけですが、
SF・・・つまり「S(すこし)F(ふしぎ)」な世界を描いているのが60年以上も前ということは、
現在にとっては現実に近づいているとしてもおかしくないのではないかと思います。

年よりが老害と叩かれる事や、若者が「最近の若いヤツは」と言われる事って
実はアーサー・C・クラークが幼年期の終わりで言っていた事と通じているのではないか?と感じました。

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ゆるやかなChildfood’s End

最近の若いヤツは、PCを使えないんだそうです。
僕みたいに青年期にPCがインターネットが一般化した世代からしたら信じられません。

あのころは「パソコン使えるならさぞかし高尚な仕事に就けるんでしょうね」という親世代の風潮があり、
僕の母なんかは未だに「お母さんもパソコンが使えたらもっと違う仕事があるのに」という主旨の発言をしています。

僕ら世代からすると、PCの延長線上にスマホやタブレットがあるわけで、
当然PCを使いこなせるヤツらがそれらを手にしている印象だったわけ。

でもよくよく考えると、スマホやタブレットはより一般化していて、
パソコンを使えないと言っている母ですらスマホでLINEを使ってやりとりしてたりする。

僕らより上の世代の人からしたら、PCってのはWindowsやMac OSに代表されるようなGUIを持つものではなくって、もっと文字と文字のやりとりでプログラムが走る機械だったわけです。
彼らからしたら、「Windows使えるのにシェル使えねーのかよ」みたいな感覚かもしれません。

原始時代の人間と現在の人間は”同じ人類”か

何が言いたいかというと、要するに「ゆるやかに人類も進化している」ということじゃないかと思うんです。

「幼年期の終わり」はオーバーロードという存在によって人類が急激に変化したわけですが、
僕らの現実もゆるやかではあるものの確実に変化しているということ。

時間を1年とか10年、100年で切り取るからその進化は微々たるものに感じられるけれど、
1,000年、10,000年という規模で考えたとき、当時の人類と今の僕らが果たして”同じ人類”だったと言えるでしょうか。

そして僕たちが「科学の力で進歩していっている」と思い込んでいる事象が、
実はもっともっと高尚な存在の、理解できない力によって変化していっている可能性を捨てきれる事も出来ないのではないかと思うんです。

手塚治虫先生が、火の鳥「未来編」で描いていた「宇宙生命(コスモゾーン)」の話は、僕もずっと考えていたことで、宇宙とはまさに人智を超えた存在の細胞そのものなのかもしれないわけです。

言うなれば「宇宙」の外側にはオーバーマインドのような存在があり、
人間はその存在の意思(があるのかどうかも微妙だけれど)次第で進化をするのではないか?みたいなことです。

子供はすでに新人類である

そういう事を考えると、「漫画っていいよなぁ」とか思って、
普段タブレットでYoutubeばかり見ている息子に「将来は漫画を読んでくれるようになるといいな・・」なんて想いを馳せるんですが、
そもそも息子がタブレットでYoutubeを選択しているという事が、もはやすでに進化の1つなのかもしれないとも思えるわけです。

それはまるで僕らが子供の頃、「ゲームばかりしてないで外で遊んできなさい!」と言われた事にも通ずるし、
僕らの親世代だって「漫画なんか読んでないで勉強しろ!」と言われてきたのかもしれないわけです。
※僕ら世代では「漫画は悪」とか言ってるのって結構ナンセンスですよね。

時代によって常識感も、求められる物も変わってきています。
ということは、その時代その時代に適応する人類だって変化するのは当たり前で、
緩やかに進化しているということは、もはや年寄りと若者は”同じ人類”ではないとは考えられないでしょうか。

”同じ人類”ではない息子たち世代から、どうしてタブレットを取り上げる事ができようか。
きっと今取り上げたところで彼らは求めていくだろうし、そして彼らもまた老害になりゆく・・そんな大きな流れに逆らう意味はないのではないか??そんな事を考えました。

おわりに

「幼年期の終わり」を小説でしっかりと読んでいないので、
原作を忠実に理解しているわけではないので、内容には語弊があるかもしれません。
もし変なところがあったらご指摘ください。

僕らの息子世代は少なくとも僕らよりは「新人類」に近い存在であり、
(これは時代のせいなのかもしれないけれど)僕らよりは明らかに意欲が低くなっていくんじゃないかと思います。

これは「幼年期の終わり」の時代にはSFだった事が、今まさに緩やかな現実となってきている事なのではないかと、そう感じたというお話でした。

【関連】「幼年期の終わり」の一節に「火の鳥 望郷編」を感じた話
【関連】宇宙人はいるのいないの言ってるヤツはちゃんと漫画読んだんだろうな!って話

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