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京極夏彦の小説を読み返したい(いつどこにそんな時間が?)

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学生時代にミステリ小説にハマった時期がありまして。
でまぁ、例に漏れず(?)京極夏彦先生の百鬼夜行シリーズに辿り着いたわけですよ。

初めて「姑獲鳥の夏」を読んだのは大学生の頃だったので文庫版が発売された後でした。

続編の「魍魎の匣」までは読めたんですが、その次の「狂骨の夢」は途中で断念してしまい・・・未だに読み切れていません。
なにしろ1,000ページ近くもある文庫本ですからね。
「絡新婦の理」なんて1,400ページもあるんだって。あの「サイコロ」と揶揄される文庫本よ・・・。

もう一度読みたい京極堂

当時、綾辻行人先生の小説に脳天ブチ抜かれた僕としては、新本格ミステリの一環として紹介されていた姑獲鳥の夏を読んで「なんじゃこりゃあああ!」と怒りのような呆れのような感情が沸いたんですよ。
事実、「ミステリとしては弱い」というような意見もあり、京極先生も「妖怪のお話にミステリ要素を入れただけ」と仰っていたそうで、おそらくはミステリと期待して読んではいけなかったのかもしれません。

た・だ!!!!

なんていうか・・・めちゃくちゃ癖になるというか、、、
なんなんですかねアレ?

未だにふとしたタイミングで京極堂や榎木津といった登場人物のこと、作中で衝撃的だったシーンなどを思い出しては「読み直してえ・・・!」ってなるんです。
(魍魎の匣に至ってはトリックすら覚えてないというのに、、、)

ミステリと思って読み始めると「無駄に長い」と思ってしまう描写の一つひとつが、もしかするとこうやって後で思い出すのに必要な要素だったのかもしれないなぁ。

ただし・・・読み返せないのだ・・・!

それでふと・・・「実家から京極先生のシリーズ持って帰ってこよう」と頭をよぎるんですけど、待てよ?と。

あんな分厚い文庫・・・いつ読めるん?
僕、いつそんな時間あるん??

個人的なこだわりなんですけど、やっぱ小説っていうのは熱があるうちに一気に読み切ってしまいたいという想いがありまして・・・。
途切れ途切れでしおりを挟みつつ・・・みたいなのは性にあってないのです。
(その昔、リビングで熱中して読んでしまい、母親に話しかけられてるのに無視してしまって叱られる、みたいなのもやらかしました)

となると少なくとも数時間はこれに没頭できる時間が必要なんですが、、、やっぱ他にもやりたいことがたくさんあるしなぁとか考えると、やっぱり気軽に実家から持ってこれないのだ。

だってどうせ読めなくて、四角いオブジェになってしまうことが目に見えているもんなぁ。。。

たとえば長時間フライトの旅行に行くときだとか、リゾートで本当に一日のんびりする時だとか、そういうタイミングを狙わない限りは読み返せないよなぁー。

というわけで・・・実家からは小野不由美先生原作の漫画「屍鬼」(プティタキテュー)を持ってくるにとどまりました。(久しぶりに読んだらこれもクッソ面白かったぜ、、、)

そうか、京極堂のコミカライズを買えばもっと気軽に読めるんやな。

おわりに

ちなみに僕が「姑獲鳥の夏」で特に衝撃的だったシーンは久遠寺涼子と関口のアレで・・・

↑検索したらイラストにされてる方がいて、そうそう!まさにこのイメージ・・・!

1950年代という戦後高度経済成長期における、東京の片隅というのはきっと僕らが妄想するよりも何倍も「現実」に近いのだと思うのだけれども、京極先生の描く昭和の風景はどうにも薄暗く、どこか夢の中の世界のような危うさがあって。
それがとても魅力的で僕の脳裏にこびりついてしまっているんでしょうねえ!

追記

そいや実写映画も観たなぁーと思って検索してみたら・・・アニメ版なんかもあって。
何気に京極作品を気軽に観られる時代だったりするんですね!

   

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