94歳で他界した祖父のお葬式はもっと和やかだと思っていた
祖父が亡くなりました。
享年94歳とのことで、僕なんかからすると「大往生」だったかなと思います。
というわけで急遽父の故郷へ行き、葬儀へ参列して来たのです。
前述のとおり僕は祖父に「長生きしたね!お疲れ様!」という気持ちで告別式に臨んだんですよ。
僕の弟も同じような感覚だったみたいで、軽い気持ちで・・・と言っては失礼だけど、もっと和やかなお葬式になるかなと思っていたのです。
・・・が!!!
僕らの予想に反して、お葬式はものすごく厳かというか・・・シンミリとしていました。(あたりまえ)
大往生かどうかを決めるのは本人だ
お葬式の会場では普段とても明るい性格の祖母(といっても祖父の後妻なので直接僕と血の繋がりはない)が酷く疲れた顔をしていて、それがシンミリとした空気を助長させていたんだろうなと思います。
電話で祖父の死を知らせてくれた時もとても気丈に振舞っていたのに、やっぱり告別式を迎えるとなると一気に「これでお別れ」という想いが強くなるんでしょうね。
結局、泣き崩れる祖母を見て「大往生」なんて僕らが勝手に決めちゃダメだったなーと思わされたのでした。
本人は何歳まで生きたかったかなぁ・・・
他にも祖父の弟さんがスピーチで「兄もこんな形で亡くなってしまってさぞや悔しかったと思う」みたいなことを言っていて。
やっぱり94歳まで生きたから万々歳!なのではなく、何歳だったとしても病気で亡くなるということは本人にとって悔しいことなんだろうなーとも。
まぁ、自分に置き換えたらわかりますよね。
やりたいことも全部やりつくして、まぁーもういつ死んでもいっかぁ~!!って思えた状態で亡くなるならまだしも、「まだまだ生きたい!」と思っている時に病気で不本意に死ぬのであれば「くそー」って思うかもしれないし。
いったい祖父は何歳まで生きて、そして何を成したかったのかなぁ・・・。
僕が大人になってからはほとんど会話をすることもなかったし、なんかそういうのもわからなかったなぁ。
おわりに
死は誰にも平等に訪れるので、特別なものではありません。
葬儀でお坊さんもそんなようなことを言っていました。
(大半はむにゃむにゃと念仏を唱えてて、何言ってんのかわからなかったけど)
人間ははたして、何歳まで生きたら満足なんでしょうね。
本当に祖父はもっともっと生きられなくて悔しかったのか?それは、本人からはもう聞けないのでわかりません。
なのでまぁ、孫が軽々しく「おじいちゃん、大往生だったね」なんて言っちゃいけないんだろうなぁ。
安らかに眠ってくれぃ!!(ワイらももうしばらくしたらそっち行くでの!)