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なぜ「逢魔が時」は怖いのに「マジックアワー」は美しいのだろう

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夕暮れ時って、なんとも言えない「恐ろしさ」がありませんでしょうか。

若い頃には「草木も眠る丑三つ時」・・・深夜2時などの、人が寝静まったような時間が怖かった覚えがありますが、、、今はそれよりも夕方の方に畏怖する感じがあります。

「逢魔が時(おうまがとき)」って言うんですよね。
ちょうど夕方と夜の中間の、黄昏時。

読んで字のごとく、魔物に逢ってしまう時間なわけですよ。

なんでこのぐらいの時刻って、何やら恐ろしい感じがあるんでしょう??

そこにいるのは知った人間か・・・?

上にも書いた「黄昏時」。

この「たそがれ」っていうのも「誰ぞ彼」から来ている言葉だそうで。
要するに「そこに人みたいなんいるけど、顔見えんな・・・」っていう、そういう時間みたいです。

夜とは違って、明るいんだけれど・・・なーんか顔がわかりづらい。
はて、いますれ違ったあの人は、なんだか口元だけニヤついていなかったかしら・・・?

昔の人はそういうことを考えながら、ちょうど魔物が人や木などから姿を変える時間帯と考えたんでしょうね。

※実際には「魔物」というよりも、何か悪いことを企んでいる人間が行動する時間帯ってことだったのかもしれないなぁ。

言い方変えたら美しいものに・・・

ただ、同じ時間帯でも、これを「マジックアワー」「トワイライト」と言うと、一気に「畏怖」から「美しいもの」に変わるんですよね~。

僕、「逢魔が時」はちょっと怖いけれど「マジックアワー」はたまらなく好きなんですよ・・・。

不思議ですよね。
同じものを見ているはずなのに、感じ方が全然違うっていうのは。

おそらく、マジックアワーはどちらかというと遠景を眺めて「綺麗な夕焼け空だな」と感じる時の言葉だけれど、逢魔が時っていうのは自分がその風景の中に入り込んでいる状況で感じる・・・ということで。
その時の「体感的な暗さ」の違いが、感情にも違いをもたらしているのかな。

おわりに

ま、それだけのお話なんですけども。

なんか同じような夕焼け空なのに、かたや魔物、かたや魔法っていうのがおもろいなーとw

ちなみに、大学生の頃には毎日の帰宅時に団地の敷地を歩いて帰っていまして。
ちょうど時間としては黄昏時だったんですけども、その団地の台所から聞こえてくる料理を作る音や、お風呂から聞こえていたであろう子供たちの声を聞いて、その生活音の美しさを感じると共にすごく死にたい気持ちが湧いてきたのを思い出しました。

そういう魔が差す感じも含めて、逢魔が時ってことなのかなぁ(違う)

追記

そんなことを書いていた矢先、夜の暗さの中を一人で歩く機会がありまして。
あれですね・・・人の気配もない、灯りもない夜っていうのはやっぱめちゃくちゃ怖かったですw

   

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