ブロガーのアフィリンクはなぜ急に白々しくなるのか
2019/12/14
先日、友人から来たメール文面が笑えると同時に考えさせられました。
わかるなーと思いつつ、自分もやっちゃってるよなーと言う部分で笑えるけど笑えない、みたいなw
自分がこのブログに書いた記事で何かいい例ないかなーと思ったんですが、
こんなのしか見つかりませんでした。
[参考]年に一回は海外旅行にいくなら、VISAのゴールドカードで20,000円以上得する件
つまり、どういう事かというと、
途中まで読み手の利益になることをたくさん書いているんですが、
急に「そんな時はこの有料カードを作りましょう!」みたいな。
言ってる事はわかるんだけど、
「なんか急にその商品売りに来たな!」
って思える記事ってことです。
自分で書いてる時はその記事の不自然さって気づかないんだけど、
他人から見ると一気に白ける文章になってしまっている事ってあります。
人が集まるところに広告を投下したい
じゃあなぜそういう感じの文章になってしまうのか?というと、
おそらくは「手っ取り早く、人が集まるところに広告を投下したいから」だと思います。
つまり、読み手の利益になる情報を与えたいのか、
それとも自分の利益にしたいのか、という天秤があった時、
自分の利益の方に傾いちゃってる状態なのかなと。
僕もそうなりがちだからすごくよくわかるんだけど、
読み手からすると、「あれ?急にこの人自分の利益に走りだしたよ」ってなっちゃうわけですよ。
人って、残念ながら、自分の利益には興味があるけれど、他人の利益には基本的に興味がないです。
むしろひいちゃう。
「ああ、この人、良い事言ってると思ったけど、結局はそれを売りたいだけだったのね」
ってなっちゃう。
売りつけられるのはストレス
社会の仕組み的に、”物を売る事”は何ら悪い事ではないし、日常的に僕らも物を買っているわけなんだけど、
買う側としては「売りつけられる」のはめちゃくちゃストレスなんですよね。
だから洋服とか見に行った時に、店に入ったすぐぐらいのタイミングで店員が寄ってくるとウザいわけ。
飲食店でオーダーが終わってるのに「これもオススメです」とか言われるとウザいわけです。
オススメされるのとか、店員さんが対応してくれるのが悪いんじゃない。
「もっと上手に売ってよ!」ってことですw
だから、疑似的にでも
「自分が欲しいから買う」
っていう状態を作ってあげなきゃいけないわけなんですね。
それが簡単に出来りゃ苦労しないんだけどw
広告を貼れなくても、その記事を書いたのか
そこで意識した方がいいなと思ったのが、
「広告を貼れなくても、その記事を書いたのか?」ということ。
例えば僕だったら、「プーケットの美味しい店」みたいな記事って、
今のところ貼れる広告がないけれど書いちゃったわけです。
こういうのって、記事の性質が純真じゃないですか。
何かを売ってやろうでもないし。読み手に利益を与えたいだけ、みたいな。
軽い自己満足みたいな部分は否めませんが。
じゃあ、クレカのアフィ記事を書く時に、
果たしてアフィリンクを貼れなかったとしても同じ記事になっていたか?
これを意識するだけでも文章の信頼性って違ってくるんじゃないでしょうか。
※それで自然な記事が書けたら、その最後に広告貼ればいいんじゃね?みたいな。
おわりに
アフィリエイトも「手法」ばっかりが注目されて、
ライティング技術を高める事とかに力を注いじゃいがちだと思います。
でも、忘れちゃいけないのって、
買ってくれる人がどんな気持ちで買うのか?
自分だったら、どんな誰からどう紹介されて買いたいのか?
といったあたりなんじゃないでしょうか。
ブロガーさんに限らず、記事を書いている人は、
その記事に集まる人が何を期待しているのかを考えて、
その人たちの信頼を裏切らない努力が一番根底に必要なのかも、と思いました。
2019/12/14