福島の3.11赤飯の件
2026/03/22
福島県の小学校でお赤飯を廃棄したお話。
結論から言うと、みんなクレーマーに屈しすぎ。
信念に基づく行動か否かではなく、「厄介なのに絡まれて面倒だから」という理由で選択をしているのではないか?
赤飯が捨てられた
この一週間ボコスカに叩かれまくってきたと思うので、今さら取り上げることでもないんですが・・・
福島の小学校で3月11日に卒業式が行われ、そこでお赤飯が出される予定だったのですが、一本のクレーム電話によって5つの小学校でお赤飯(2,000食超)が廃棄になった、という問題。
なんでも「3月11日にお祝いの赤飯出すのはどうかと」っていう電話だったそうで。
そもそも何が問題かというと、忘れもしない3月11日・・・東日本大震災があった日ですよ。
今年はたまたまその日が卒業式とかぶってしまったそうで、まぁ市教やら学校やらの配慮が足らなかったと言えばその通りなのかもしれない。
世間の人が忘れたとしても、被災当事者たちにしてみたらとても大切な日なわけで。
その日にお祝いムードを出されるのは耐え難かったと言われても納得できます。
ただ・・・
じゃあアータ、もうどの日すらもお祝いできなくなる可能性あるけど大丈夫?
誰かの誕生日が誰かの命日であることなんてザラというか。。。
そもそも「こじつけ」なんですよ。
誰も東日本大震災で亡くなった方や大変な目に合われた方に向けて「おめでとう!」なんて言ってないですから・・・。(そんなイジワルなの、ネット民だけだよ)
「それとこれは別」っていう考え方が出来ないと、あなたがやってる全てのことも必然的に誰かを傷つけていることになりませんか・・・?
屈しすぎである
で。
もうこういうクレームが入ってしまうことは仕方ないと思うんですよね。
その感情はその人のものだし、ましてや冷静になんてなれてないんだろうから、他者が「クレームなんて入れてんじゃねー!」っていうのは違うのかもしれない。
ただ!!
そのクレームを受けて、お赤飯を取り下げてしまっては・・・結局のところ「そういうことだった」ってなりません??
そこは「心中お察ししますが、それとこれとは別なんで!」って突っぱねないと。
弱者だの強者だのでくくりたくはないですけども、最近はどうもこういう弱者ぶった人の意見が強引に通りやすいというか。
弱者に寄り添う社会もいいけれど、「弱者だったら何を言っても許される」という環境になってしまうのは良くないんですよ。
SNSなんかだと正義を盾に石を投げつける行為が正当化されてますけども、実世界もあんな風になっちゃいませんかね?
(ああいうの見ると「どっちが正義やねん」「誰が弱者やねん」って思っちゃうけどもw)
おわりに
結果的に今回の件なんて、当の卒業生たちにしてみたらなんだか苦い思い出になっちゃったわけでしょ?
自分が生まれるよりも前にあった震災の日と卒業式の日がたまたま被ってしまったがゆえに、お祝いの席で缶詰パンが支給されたっていう。
こんなこと言っちゃいけないかもしれませんが、きっと震災で天国に旅立たれた人たちも嬉しくないって!
この手のクレームに対して判断を下せる立場にある人は賢いはずですので、安易にクレームに屈することのないようにしてほしい次第です。
追記
ところで「赤飯がおめでたいもの」って誰が決めたん?
もち米に小豆混ぜて炊いてごま塩ふっただけのご飯やで・・・?
たまたま祝いの席で出されるものが「めでたいもの」になってしまうなら、もう毎日何も食べられなくなる可能性あるで・・・?
2026/03/22








