タイヤロックから学ぶ習慣と依存の関係性。
2021/04/26
車を買った時に、盗難防止と思ってタイヤをロックするヤツも買いました。
毎度毎度ロックするのが面倒なんですが、しなければしないで不安になる。
ここに習慣と依存の関係があるなと思いました。
タイヤロックから学ぶ習慣と依存の関係について
当時僕は自分の家を持っていなかったので、よくある月極の駐車場(砂利が敷き詰められているヤツ)を借りていました。
家からは少し離れたところだったので、そこに車を停めてみると何とも言えない不安に襲われてきまして・・・「○○(車種名) 盗難」とかで調べまくったんです。
そしたらまぁ、出るわ出るわ。
「駐車場に置いていたのに盗まれました」やら、「盗んだヤツを下手に追いかけない方がいい」やら。
で、そんな情報の一つに、 「盗むのが面倒だと思わせるのも抑制になる」というのがありました。
それで導入したのが前述のタイヤロックです。
かなり頑丈ですし、切断するにも大きな音が鳴るだろうし・・・タイヤロックがついているだけでもそこそこの抑制力はあるだろうと「安心を買った」わけですね。
習慣化からの依存
それからは毎日車から降りるたびにタイヤロックをかけ、 また乗るときにはロックを外し・・・という生活を数か月繰り返しました。
「ロックめんどくせぇ・・」
そのうち、おそらくみんなこういう気持ちになると思いますw
が、同時に 「今日ロックを忘れたせいで盗まれたら泣ける」という想いも産まれてしまうのですよ。
ハナからロックなんかしていなければ「いつ盗まれるか」とビクビクしているだけだったのに。
下手に一度ロックなんかしたもんだから「外した日に限って盗まれるんじゃないか・・・」という状態になってしまった、というわけ。
つまり「ロックをかける」という習慣から、「ロックがないと不安」という依存に進化してしまったということです。
これはビジネスにも生かせるのではないだろうか!?
習慣の力
実はこういった話が以前読んだ「習慣の力」に見事に書いてありました。
たとえば今日ぼくらは歯を磨かないと気持ち悪くて仕方がないですよね。
歯だけじゃなくて、頭髪や体を洗わなくても同じ。
でもこれって、たかだか100年ぐらいの歴史が作った「習慣」に他ならなくて。
僕らは子供のころからそういう育てられ方をしているから、その習慣に「依存」しているというわけなんです。
もっとわかりやすい例で言えば、ウォッシュレット。
僕が子供の頃には全然主流じゃなかったので、どの家庭にもありませんでした。
もちろん学校にもなかったし、初めて就職した会社にだってなかったです。
でも今や、ちょっとした商業施設のトイレならだいたいウォッシュレットがついてますよね。
これに慣れてしまうと、「ウォッシュレットがなく、ただ紙だけでお尻を拭いていた時代が本当にあったのか?」と思ってしまう人がいても不思議ではありません。
つまり人は「当然」のように君臨する習慣に対しては依存してしまう傾向にあるということです。
ということはこれ・・・仕事に関しても自分で「これをやらないと気持ち悪いよね」というルールを作り、習慣化する事ができれば、そこに依存してルーチン化出来るようになるのではなかろうか。
おわりに
僕、カギをかけて家を出ないと、すごく不安なんですよ。
なんだったら「あれ?カギかけたっけ・・!?」と気になって家に戻ることもしばしば。(で、鍵かかってる)
でも実は、カギをかけてないから即座に泥棒にはいられる・・・なんてことは滅多にないはずです。
だって泥棒だって「常にどこの家のカギがかかっていないのか」を知っているわけじゃないですからね。知らんけど。
そう思うと、極論を言えば1週間ぐらいカギをせずに部屋を開放してても大丈夫なんじゃないかとも思うのです。
※何の責任も持てませんが・・・。
結局は車のロックも家の鍵も、 自分で自分が作ったルールに依存しているということ。
こうした「習慣による依存」を「どちらかというと嫌なこと・やりたくないこと」に設定すると「嫌だけどやらないと気がすまないこと」に昇華して、結果的に物事がうまく進みだすんじゃないかしら・・・。
2021/04/26