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私としては「高齢者に優しい社会」が希望である

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ちょっと前に迷惑系YouTuberのへずまりゅう氏が池袋だかの選挙で使用したポスターに「高齢者に厳しい社会へ」という文言が掲げられていました。

高齢者の行為・・・たしかに目につきますよね。
なんていうか、世の中の役に立たないくせに邪魔ですよね。

出生率が下がっているっていうのにいつまでも長生きしやがって!
僕らがおじいになる頃には年金もそんなにもらえないんだぞ!!

・・・もし、こんな風に考えている方がいたら、少し考えてみて欲しいのです。
「それ、ポジショントークじゃね?」って。

誰でも赤ちゃんから始まり高齢者になる

高齢者に厳しい社会なんて嫌ですよ。
だって、いずれは自分も高齢者になるんだからね・・・?

高齢者をまとめて邪魔者扱いしている人は、この事実を忘れているんじゃなかろうか。

先日のスープストック・トーキョーにおける離乳食の無償提供の話題の時にも「赤ちゃんがいる店内でなんか食事をしたくない」という発言をしていた人がいました。
もちろんそれは個人の感想だし、そう思う事や発言することは勝手だと思いますが・・・結局その人の発言っていうのは自分が赤ちゃんだった時のお母さんの気持ちだとか、もし自分が母親・父親になった時のことだとかを想像できていない故のものじゃないかなと思うんですね。

単なる想像力の欠如。
つまり未熟であるということです。

同様に・・・自分もいずれ高齢者になるということがリアルに想像できていない人による「高齢者に厳しい社会」なんて、誰が推せるものかと。

「今」が死ぬまで続くと思ってない?

高齢者になれば必然的に体が衰えを感じ始めます。
今、あたりまえにできているようなことができなくなるわけですよ。

たとえば「強風で倒れてしまう」などが実際に起きるんです。
それで骨折・・・なども。信じられないっすよね・・・。

当然、視界だって狭くなりますし、耳も遠くなります。
後ろから車が近づいていても、ギリギリまで気づけないまま道路の真ん中を歩いてしまうのも仕方がないのです。

※この辺は、アスリートから「なんで100mを10秒台で走れないの?」とか言われてるようなもんだと想像してみて。

さらには世の中の比率的に「自分より若いヤツ」ばっかりになるんですよ・・・。
いいですか?病院に行っても、役所に行っても、お店に行っても、対応してくれるのは価値感が全く異なる若造ばっかり。

そういう若造が中心の世の中になっていくので、自分たちには理解できない文化やツールが溢れるわけ。

さらには友人知人も徐々に死んで行って、心身ともに「孤独」を感じるようになる、と。

それなのに、さらに「高齢者に厳しく」???

僕だったらそんなの、絶望しか感じられないかも。
人生の最後が絶望で締めくくられるのが君らの希望なん???

高齢者に優しい社会こそ理想的なのでは・・・?

これは少子化の話の時にも書きましたけど、人は「今の生活が脅かされる」ということにとても恐怖感を抱くわけですよ。
保有効果とか言うんです。

幸福感の低さが出生率の低さなのではないか?みたいな話。

いいですか。
高齢者に厳しい社会を実現するということは、若いうちの「今」は生きやすくなるかもしれないけれど、将来への不安が増すことにも直結してきます。

国民が将来に不安を抱くことが多くなれば、それだけ経済が後退していく可能性もあるんじゃないかと。(妄想でしかないけれども)

だからなんていうか・・・逆なんですよね。
何の役にも立たないかもしれないお年寄りや子供に優しい社会っていうのが理想的なんです。

ましてや肉体的にハンデも何もないような若造が「高齢者に厳しく」なんて軽々しく口にするもんじゃないのよ。

おわりに

言うて!!!

高齢者とひとくくりにはできないですけどね。
マジでいなくなった方がいい人ってのもいるので。。。特に政界とかにね・・・。

あとはほら、時代(文化)が変わっていっているというところにも歩み寄りは必要だと思ってます。
もうね、道端に痰を吐いたり、排水溝にタバコをポイ捨てしていい時代ではないのよ。
「おれが若いころはこうだった!」じゃないんですよ。あなたも少なからず「今」を生きているの!(そんなだから「老害」とか言われんのよ!)

なのでまぁ「高齢者に厳しい社会」を実現するのではなく、「クソみたいな高齢者で権力持ってるヤツに厳しい社会」とかの方がいいんじゃないかなぁ~!とか思いました。おしまい。

   

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