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世の中の「善意」は高見から見下す人の「余計なお世話」なんじゃないか。

 - 雑記

   

スマートニュースに掲載されていた「Amazon Prime Nowを使ってみた 配達員の姿を見て、切なくなった」という記事を読んで、なんとも言えない違和感を感じました。

記事の内容は「Amazon Prime Nowの車を見かけて、なんだかもの悲しさを感じたものの、同時に興味がわいてきて、使いもしないものをオーダーしたら50歳前後の真面目そうな人が届けにきて可哀想だった。胸が傷んだし、今後は使い方を考えよう」というもの。(かなり偏見を持って要約してますが・・)

なんとも言えない違和感というのは、「余計なお世話っしょ」って事だったんじゃないかと思う。

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善意が余計なお世話である理由

世の中の働いている人っていうのはみんながみんな合理的な仕事につけるわけじゃない。
というのも仕事の需要と人材の供給バランスがあってないからじゃないかと思うんだけど、
いわゆる「勝ち組」の人からしたら「なんでこんな仕事してんの」っていう仕事をしている人がたくさんいるのが現実。

もちろんその人たちがいないと成り立たない仕事もあるんだけれど、
僕はそうじゃないものもあると思う。

60代の母は生活の為にスーパーでレジ打ちをしている

僕の母は60歳を過ぎて、以前いたスーパーが閉店になったので他所のスーパーの面接を受け、今レジ打ちの仕事をしています。
理不尽なクレーマーに頭を下げながら、安い時給で持病と戦いながら働いている。

もしそんな彼女に「60歳を過ぎた婆さんが必死でレジ打ちしているのは可哀想だ。」なんて発言をする人がいたら、勘違い甚だしいと思うわけです。

より合理的にするにはセルフレジをどんどん投入するとか、それこそ日用品をオンラインで買えるようにもっともっと普及するとかの方法もあるでしょう。
世の中がそうなれば、60歳を過ぎた母はレジ打ちなんていう可哀想な仕事をしなくて済むようになる。

でも、本人がそれを望んでいるか?と言われたら、決してそんなことはないんです。

母はもう既に、新しい事を自ら学習して、より新しい仕事に就こうなんて想いはない。
レジ打ちのように慣れた仕事だからこそ、60歳を過ぎたいまでも自らの仕事として行えるわけです。

本来は年金と貯金だけで生きていけると思っていたんだろうけれど、
時代がそれを許してくれなかったというか、極々質素な生活をしない限りは、働かざるを得ないというのが現状らしい。

そんな母から「可哀想だ」という外部の意見のせいで仕事を奪って欲しくないと思うんです。

年老いてその仕事をしている事は、自ら選んでいるということ

僕はたまたま身近に年老いても体力を使う仕事をしている人がいるからよくわかるけれど、
スーパーのレジ打ち以外にもたくさんそういう例はあります。

例えば新聞の配達員もそう。
深夜から早朝の、本来は寝ていたい時間に起きて、毎日雨の日だろうとスクーターを走らせて新聞を配達している60代の人も知っています。

雨の日に濡れて、風邪を引いて休もうもんなら時給が発生しないから、体に鞭打って働くしかない。

でももし新聞社に「60代以上にあんな仕事をさせるのは酷だから雇用するな」なんて言ったら、
その人には死ねと言っているようなものです。保育園に入れなかったのとはワケが違う。

勘違いしてはいけないのは、僕の母もその人も、自分から望んでそういう人生を送っているということ。
「望んで」というと誤解を招くかもしれないけれど、節目節目での選択は自分が行ったということ。

もちろん大学に行かせて貰えなかった母は、考える能力が低いわけで、正しい選択を出来なかったと悔いる事もあるかもしれない。
でもそれだって、程度の大小こそあれ、どのレベルの人にもある事です。
僕だって自ら望んで今の僕になっているわけだ。

本来あるべき形が叶わないのなら、現実を良くする方がいい

お金がどこから発生するのかを考えると、世の中がこういう状態になってしまっているのは仕方がない事なのかもしれない。

本来は、年老いたら勝手にお金が沸いてでて、誰もが幸せに暮らせるっていうのが一番なんだけど、
そもそも受給のバランスだってあるし、人の生き死にのタイミングだって測れないわけで、誰をいつどうやってお金に不自由しない状態にしてあげるのか?なんて決めることが出来ないと思います。絶対に。

そう思うと、Amazonもスーパーも新聞配達も、仕事を欲している人に仕事を与えているという事は素晴らしい事だし、その人たちが望んでその仕事を選んだことを「もの悲しい」とか勝手に思って心を傷めるのは、どうも”高見から見下している人の自己満足”に過ぎないんじゃないかと思ってしまいました。

おわりに

世の底辺にいる人たちからは、上辺にいる人たちの姿は見えづらいと思う。
逆もまた然りで、上から見ててもなかなか本当の底辺の気持ちには気づかないだろうとも思います。

その人の為を思って、良かれと思ってやりたい「善意」が、
結局はその人にとっての「余計なお世話」になってしまうのはよくある話。

そう思うからこそ、”資本主義的に”どんどん物やサービスを無駄に使っていく事こそが、今の時代の本当の助け合いなんじゃないの・・?って考えのもと、無駄遣いをしていきたいところです。

・・そんなお金がないから節約しちゃうんだけどね・・。

追記

そもそも、本人たちはそこまで悲観してない気もするんだけどね・・。
勝手に30代40代の「いい仕事」についてるヤツらが憐れんでるだけで。

僕の義父は70歳過ぎても楽しみながらスーパーで肉を切るバイトをしていたし、
友人の父親も70歳過ぎて現役で楽しく警備員をしているし。

どうして他人の人生を他人が憐れむような事になってしまうのか・・ちょっと謎。

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