結婚式は加害性を持っているけれど、挙げる側はそんなこと気にしなくていいんじゃね?
「結婚式の加害性」というキーワードがトレンドに上がっていて、面白くて読みふけってしまいました。
トレンドの経緯についてはこちらの方のツイートが詳しく、わかりやすかったです。
「結婚式の加害性」のトレンド、経緯わかった。
①「同性婚を認めないのは合憲」判決を受けて #結婚の自由をすべての人 訴訟の弁護士が(同性愛者の友人に)「祝ってくださいなんて言える?」とツイート。https://t.co/Yn0VVxRCUg— 勝沼悠 (@katsunumayu) June 27, 2022
つまりは
- 同性婚は認めない判決
- →同性愛者を結婚披露宴に呼ぶのは、当人たちにとっては「耐え難い」と想像(当該弁護士)
- →そんなもん、結婚披露宴に呼ばれた同性愛者だけの話じゃねーや(と、別の人のツイート)
- →「お金ないのに結婚式に強制的に呼ばれて3万搾取されるのツライ派」と「幸せのおすそわけだから」派の争い(話の曲解)
こういう流れであってますでしょうかw
個人的にはLGBTQへの配慮ばかりがなされる世の中もどうかと思う・・・というか。
同性愛者が婚姻を認められないことと、異性で結婚することになった人を祝うことっていうのはまた別っていうか・・・。
その辺を同軸で考えてしまうからおかしなことになるんちゃうかー?と思うんですが・・・どうでしょうか。
もう、そういうことを言いだしたら「焼き肉うまい」っていう発言自体、普段焼き肉なんて食べにいけない僕の心をエグることになるわけで、、、
当該の弁護士さんは
私が結婚披露宴をした十数年前、私は正直そんなこと1ミリも考えなかった。そして今、考えなかった自分のことを恥ずかしいと思ってる。#結婚の自由をすべての人 訴訟で川田中や麻智テレサ、もうお二人の代理人として活動することで、あのときの自分を償いたい気持ちもあるんだと思う
— 佐藤倫子 (@sato__michiko) June 25, 2022
披露宴をした十数年前にはそんなことを1ミリも考えなかった、そのことを恥ずかしいと思っている・・・と振り返られていましたが、もしそうなんだとしたらそもそも「弁護士としてツイッターにおいて理路整然と発言ができる」ことすらも誰かを傷つけてしまう可能性がある・・・というところまで考慮しなければならないような気もします。
ね・・・世の中にはどうしても頭が悪くて、クソリプしか送れない人、そもそもスマホの使い方すらわからない人っていうのもいますからね。。。
・・・って、考えすぎィ!!!!!!
弱者に寄り添いすぎィ!!!!!
(・・・とは、ならないのかなぁ。。。それともLGBTQだけ特別なのかしら)
ま、その問題は難しすぎるのでさておき・・・僕は確かに「結婚式」には加害性があるとは思うのであります。
結婚式は誰もが嬉しいわけじゃない!!!!
誤解を恐れずに言うのなら・・・結婚式なんて、「誰でも呼ばれたら嬉しい」わけじゃないんですよ。
「幸せのおすそわけ」なんて言葉に反吐がでる・・・って人も少なくないと思います。
なんだよ”おすそわけ”って!
・・・いやまぁ、実際に参列するとね、当事者たちがすごく幸せそうで、こっちも(心に余裕がある時なら)「良かったなぁ~うんうんうん^^」って思えますのでね。
たしかに幸せをおすそわけしてもらってるのですが。
そう・・・これ、「心に余裕がある時限定」なんすよね、、、
大切な人が亡くなった直後でも参列できる?
たとえばなんですけど、大切な人が亡くなってショックを受けている最中、結婚式に呼ばれて「幸せをもらったわー」なんて状態になれると思います??
答え:なれない
聖人君子でもない限り、いや、聖人君子だったとしても・・・さすがにそれは無理じゃないでしょうか。
それと同様に、自分の気持ちがめちゃくちゃ落ち込んでいる時に、「他者の幸せそうな姿を見て幸せになろうぜ?」なんて言われても無理でしょ。
つまり、「結婚式は幸せのおすそわけだから」とか無神経に言えちゃう人っていうのは、その時の自分の状態が「余裕がある」ってことなんですよ。
※逆に「死にたいぐらい落ち込んでたけど、結婚式に参列したおかげで元気が出た」って人の証言があるなら聞いてみたい。
お金がなくても喜んでお祝いできる!?
あとはご祝儀を包むだけのお金が手元にない時。
「3万円も用意できないのかよw」って思う方もいるかもしれませんが・・・用意できないんですよ!!
それこそ完全に「自分主体」でしか物事を考えられていないというか、、、
世の中には急な3万円の出費に怯える層っていうのが一定数いるわけです。
結婚式の仕組みがすごいのは、「友人」とか「親族」っていうくくりだけで、お金持ちも貧乏人も一律「3万円以上」は包んでいくのが常識になっているというところで。
(ご祝儀は参加費という役割を持っているので仕方ないですが)
その時たまたま病気で職を失っていて収入がない人でも、事業がうまくいかずに年収100万円に届かない人でも、みーーーんな半ば強制的に3万円・・・親しい間柄ならそれ以上が懐から飛んでいくわけですよ。
お金に余裕がない状態は心に余裕がない状態と近似にありますから、、、結局のところ幸せのおすそわけは貰えない可能性が高いのであります。
でも、挙げる側の独断で良い!!!
だからと言って・・・「じゃあ諸々配慮して結婚式をやめようか」とか「あいつは今大変そうだから呼ぶのをやめようか」とか、そういうことを考える必要はないと思うんです!!
冒頭の話題に戻りますけど、結婚式をやりたい人達と、呼ばれる人達。
これを同軸で考えてしまうとおかしなことになるんですよ。
やる側はそりゃー人生の最高潮、一番調子ぶっこいてる時なので・・・もう浮かれまくってやりたい放題やったらいいと思うんです。一生に一度のチャンスでしょ?
「これで傷つく人がいるかもな・・・」とか考えだしたらキリがないですし。
じゃあなんですか?
世界ではまだ十分な栄養が取れないで死んでいく子たちが毎日いるのに、あなたたちは自分たちだけ幸せに結婚式を挙げるんですか???
その披露宴で出されるステーキ・・・食肉にされるためだけに生まれて死んでいった牛たちの気持ち、考えたことある??
そういう話になっちゃうじゃないですか。
もうね、人間なんてそもそもエゴな生き物なので、挙式・披露宴をやる側は独断でやったらいいんですよ。
・・・で!!!
招待された側は、そっちはそっちで独断で考えたらいいの。
それまでの人間関係っていうのを加味して、「こいつの式には出たくねえ」って思えば出なくていいし。
嫌いな上司の結婚式とか・・・出たくないけど出ないとあとあと問題になるし、、、みたいな葛藤だって、最終的には自分の利益で決めてるじゃない。
「問題になったってかまわん。わしゃ出席せん!」っていうのも自由だし「問題になるのが嫌だから出席する」っていうのも自由。
「3万円の出費はきついし、今はちょっと元気ないんだけど・・・でもこいつの式にだけは出ておきたい!!」っていうのも実際ありますからね~!!!
おわりに
冒頭のLGBTQの件もそうだけど、なんか最近はみんな他者の人生に入り込みすぎというか。
「この人だったらこう考えるかもしれない」っていうのを尊重しすぎな気がしております、、、
実際にツイッターを眺めていたところ、LGBTQ側の意見には「それでも私は結婚式に呼ばれたい」って人もいて。
それみたことかとw
「耐え難い」・・・なんていうのは”強者の勝手な哀れみ”だった可能性も捨てきれないわけですよ。
もちろん優しい世の中になること自体は全然反対じゃないんですけど・・・もっとみんな自分で判断させたらいいんじゃないのかしら?
ノイジーマジョリティの意見に左右される必要ないですよ。
ちなみに僕ら夫婦はそういう諸々もあって、「海外挙式」を選択しました。
ダメもとで友人知人に声をかけたところ・・・なんと妻の友人が2人も参列してくれたんです!すごい。(普通海外まで参列なんてしないと思ってた)
帰国後には国内でレストランパーティだけやらせてもらったんですが、オリジナルソング作ってきてくれた友人なんかもいたりしてめちゃくちゃ幸せだった半面、参列してくれなかった10年来の友人とそこで縁が切れるなんてこともありました。
でもまぁ、人生ってそういう一つ一つの選択の上に築かれるものなのでね・・・。
結婚式以外でも僕は友人を傷つけるような発言をちょいちょいしちゃってるし、、、
もうちょっと”気楽に覚悟を決めて”生きたらいいんちゃうかーと思います。
追記
そうそう・・・今回のツイッターでの意見の中に
「結婚式に加害性を感じている時点で病んでるから精神科行った方がいい」
っていうのがいくつかあったんですけども・・・僕はそれすらもちょっと危険な気がしておりまして。
「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」という感じがしなくもないのですが、どうでしょうか??
僕は「結婚式に加害性を感じること=病んでいる」とも思わないし、逆に何も疑わずに「結婚式=幸せのおすそわけ」と結論づけてしまう方が楽観的すぎるとも言えるわけで。
それこそもうちょっと多様性を認めていくことが必要なんじゃないかと思いました。(おしまい)