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就活に成功するためには「勉強しなさい」ではなく「失敗しなさい」と教育した方がいい

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      2019/12/14

僕の母は、今でこそあまり口うるさい事を言ってこなくなりましたが、
子供の頃には二言目には「勉強しなさい」と言っていたと思います。

おかげで僕はそこそこ名のしれた大学に進学することが出来ました。
ただ、就活では思いっきりしくじりました。

もちろん母のせいにするつもりは毛頭ありませんし、
子供が生まれた今、母の愛情は身を持って実感しています。

それでも「勉強しなさい」ではなく、違う言葉だったら、違う未来が待っていたかもしれない・・と思うんです。

「勉強しなさい」が育てるもの。「失敗しなさい」が必要なわけ。

「勉強しなさい」
そう言われて育った僕や、僕のまわりに集まった人たちは、
幼稚園や小学校の頃から賢かったヤツらばかりでした。

高校に進学した時には、「中学の時は学年で1番だった」なんてヤツがゴロゴロいて、
大学に進学して、就活になった時に「ある程度の学校以下の人は履歴書で足切りされる」という話を聞いた時には、間違っていなかったんだと思いました。

でも実際に就活が始まると、僕の前に見えない大きな壁が立ちはだかっていたんです。

自尊心という名の大きな大きな壁

それまで”勉強”さえしていればクリアできた事ばかりでした。
親や先生の教え通り、勉強ができればいい学校へ進学できるし、
勉強が出来たから受験できる会社がある。

だけれど、就職するという事はイコール勉強できるという事ではないんですね。

要は会社にとって必要な人間であるかどうか?ということ。
極端な例で言えば、体を使って家を造る大工さんのような仕事で、
体力があって勉強が出来ない人と、体力がなくて勉強が出来る人、どちらが必要か?と言えばそりゃ前者なわけです。

勉強が出来ても、その会社の利益になりそうなアピールが出来ない人は、
東大出だろうが早慶出だろうが要らないわけ。※僕はそんないい大学じゃないけど。

そんな事、誰も教えてくれなかったから知る由もなく、
僕は名のある大手の会社を数社だけ受けて、なんとなく「受かるっしょ」みたいな気持ちでいました。

結果は惨敗。

まわりの友達が小さい会社からどんどん内定をもらって、必死に就活しているのを見て
「あんなに必死でだせーなぁ」なんて思ってたぐらい。本当にダサかったのは自分なのに。

自尊心と言う名の大きな大きな壁が、「いい大学出る予定なんだから、受かるでしょ」みたいな気持ちを作ってしまったんです。

面接で苦笑いされた大失敗

そんな僕がすごく覚えているのが、某大手機械メーカーの試験を受けた際、
「当社に入ってあなたがやってみたい事はなんでしょうか」
のような質問をされた時のことです。

当然答えとしては、その会社が行っている事業の分野で、その会社の利を活かして新しい需要に繋がりそうな事を言えるとか、
時代を見て、その時代に必要とされることをその会社で叶えていきたいとか、
そういうような事だと思うんです。

でも僕は「僕、新しいOSを作りたいんですよね」なんて言ってました。

当然面接官の方たちはポッカーン。
でもって苦笑いして「ハハ・・OSですかw」「それはいったいなぜ?」みたいな感じに。

当時の僕の考えとしては「OSと言えばWindows。でも日本産の新しいOS作ったらすごいよね!」みたいな感じだったんです。
そんなことを面接で言えちゃうようなヤツ、採用したいよね!みたいな。

でも冷静に今考えたら、んなわけないですよね。

そもそも需要を無視してますし、
「作りたいから作る」では会社が成り立ちません。

苦笑いされたことで我に帰り、顔を真赤にして試験会場を後にしたことを今でも覚えています。
※そして今でもシャワーを浴びながら思い出しては「クソッ!クソッ!」って言ってますw

ビル・ゲイツが言う「自尊心なんて興味ねーぞ」

そこでビル・ゲイツが言ったという言葉が胸に突き刺さります。

世間は、君の自尊心を気にかけてはくれない。
世間は、君が自尊心を満たす前に、君が何かを成し遂げることを期待している

もうまさにこれ。

僕が作りたいから作る。
僕がその会社に入りたいから入れてくれ。

こんなのは単なる自尊心を満たす為だけの話をしているわけなんですよ。
面接という大切な場で。

でも会社側、面接官は僕がどうなりたいかなんて興味ないわけです。
僕だってアカの他人が「一流企業に入りたい」って言ってたって、何の興味もわかないし。

だからこそ「あなたが当社に入社したら、当社にどんな良いことがありますか」っていう質問があるんですね。

実際に”何が出来る”っていう約束が出来なくてもいい、
「僕はこういう人間だから、こういうことが出来ます」と宣言できればいいわけです。

本当に出来るかどうかなんて、誰にもわからないし。
だったら、「こいつだったら本当に出来るんじゃね?」って面接官に思わせればいいだけのこと。

それなのに「僕は勉強してきたから、この会社に入りたいんです」なんて言われても・・・面接官は苦笑いするしかないんですよね・・あぁ思い出すだけで恥ずかしい。

母に言って欲しかったのは「失敗しろ」

今思い返して、母に言って欲しかった言葉があるとしたら、
「勉強しろ」ではなく「失敗しろ」だったなと思います。

失敗は強いです。本当に強い、自分だけの武器です。

「僕はたくさん失敗してきたから、失敗から立ち直るだけのパワーがあります」
とか言えちゃうしね。

失敗することは自分の力量を知る手段にもなるわけです。
僕の場合、就活中に失敗をして、就活中に力量を知ったから、そこからの挽回がすごく難しかった。
結局第二新卒で小さい小さい会社に就職する事しか出来なかった。

小さいころ「漫画家になりたい」「バンドマンになりたい」と夢を語った時、
「難しいから勉強しなさい」じゃなく、「とりあえずやってみ。失敗してみ」って言われていたら、
その後どんな人生だっただろう・・?って思ってしまうんです。

おわりに

僕はそういう経験から、自分の息子にはどんどん失敗させようと思っています。
ただ、親の教育が必ずしも子供に100%影響を与えるとは思わないので、あくまで自分自身(僕)が後悔しないためにやるだけ。

母の時代には、そういう教育をするしか方法がなかったのかもしれないし、
今は今で自分の人生を嘆いてもいないから、安易に間違っていたとも思わないし。

そもそも人生は80年ぐらいあるかもしれなくて、就活なんてその前半で起きる小さなイベントでしかないわけだから、失敗したからって死ぬわけじゃないんだけど。
どうにも最近就活に失敗して死ぬだとか、一流の企業に入れないから恥ずかしいだとかいう話を聞いて、なんか変だなと思い、書きなぐった次第です。

   

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      2019/12/14

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