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【未解決】「なぜごはんを残してはいけないのか?」を子供に説明するのがすごく難しかったお話。

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      2020/02/06

うちの息子、もうすぐ4歳になるんですが・・・いまだによくご飯を残します。

食に対する興味があんまりないのか、「まだおなかすいてなーい」「もうおなかいっぱーい」みたいな感じで、本当にちょっとしか口を付けないことがあるんです。
かと思いきや、めっちゃくちゃ食べてお腹をパンパンにしている日もあったりして・・・よくわかりませんw

僕や妻は子供の頃から本当に食べることが大好きだったので、親と子とはいえやっぱり全然違うんだなぁと思わせられます。

さてさて、提供されたご飯を「お腹がいっぱいだから」という理由で残すのは仕方がありません。
むしろ無理に食べてお腹を壊された方がこっちも困っちゃうし。

でも、自分で「あれもこれも食べたい!作って!」と言っておきながら、結局全然口を付けないで残す・・・みたいなのは、なんだか許せないんです。

そこで「ごはんは残しちゃダメ」という話を息子にしたのですが・・・どうもイマイチ、自分で腑に落ちないというか・・・すっごい説明をするのが難しかったんですね。

・・・いったいなんて言えば正解だったんだろう??

息子はわかったようなわからないような顔で「うん」と頷いてくれましたが、まぁきっとまだ理解できていないんじゃないかと思います。

「なぜごはん(食べ物)を残してはいけないのか??」

これを小さな子供にわかりやすく説明できる自信、ありますか?
今日はそんなことについて考えてみました。

なぜ、ごはん(食べ物)を残してはいけないのか

僕は物心ついた頃から、ご飯を残した記憶がありません。
腹八分目なんてなんのその・・・しっかり盛りつけられた分以上は食べてました。

最近では「意地汚い」とする風潮もあるそうですが、お茶碗にご飯粒が残っているのすら嫌で・・・綺麗に最後の一粒までしっかりと食べます。

一時期、アメリカにハマった時は「アメリカではご飯を残すのがマナーらしい」という噂に踊らされるも・・・現地に旅行に行ってもしっかり残さずに食べて帰ってきたぐらいですw

※ビュッフェとかでやらかしたことは何度となくありますが・・・やっぱり罪悪感はありました。

「ごはんを残してはいけない」というのが普通だった時代

というか、僕らが子供の頃って「ごはんを残してはいけない」っていうのが普通だったと思うんですね。

お母さんにもそうやって教わってきたと思うし、学校でも「昔の人は”あわ”や”ひえ”を食べるしかなかった」みたいな話を延々と聞かされて。
「白いお米を食べられることって幸せなんだ」と思ったものです。

そこから、お米だけじゃなくて食べ物全般に対して「残してはいけないんだ」という気持ちが芽生えていたのかな・・・と。

特に「なんでご飯を残しちゃいけないんだろう?」なんて考えることすらなかったように思います。

飽食すぎて、考える余裕が出来ちゃった?

そこで一つ浮かんだ仮説が「飽食すぎるから」というものです。

要は、食べる者で溢れているからこそ、「残す」ということに対しての罪悪感が薄まっているのではないか?ということ。

日本は世界でもトップクラスで食べ物を捨てている国なんだそうです。
僕も飲食店をやっていた経験があるので、すごくよくわかります。

食べるものがない時代であれば「ごはんを残しちゃダメ」っていうのは、特に理由がなくても誰にでもわかることだと思うんですね。
でも、捨てるほどに食べ物がある時代なので、「どうして残しちゃダメなんだろう?」と考えるような心の余裕が出来てしまったのではないでしょうか。

飽食の時代なんて、今に始まったことじゃない

ただ、僕らの親世代なんて、とっくに飽食の時代だったと思うんですよ。
「満足に食べられない」というような幼少期を過ごしたのは、もう僕のおじいちゃんぐらいの人たちなわけで。

※それでも「いや、(田舎の方は)普通に食べるものあったよ」というレベルだったそうですが・・・。

そう考えたら食を取り巻く環境なんて大して変わらないハズなのに、なぜ残すことに対しての感覚だけが変わってしまったのか?は謎です。

子供にはこうやって説明した

さて・・・前置きが長くなりました。
ここからは僕が実際に子供にどう説明したのか?と、その「腑に落ちない」感じについて触れていきます。

一生懸命作ったものだから

僕がこの話を息子にするとき、最初に説明したのはこれだったと思います。

「そのお野菜もお米も全部、農家の人が一生懸命作ってくれたものなんだからね!残したら失礼だよ!」

一聴するともっともらしい説明のような気もしますよね。
ただ・・・もし子供に「なんで一生懸命作ったものは残しちゃダメなの?」と聞かれたら、返す言葉もないかもしれません。

もちろん「いや、自分が一生懸命作ったものを残されたら嫌じゃない?」って”自分事”に置き換えたらわかるんですけどね。
でも生産者さんだって自分の手を離れて、それがお金に代わった時点で、その先の未来なんて知る由もないわけですし。

「じゃあ一生懸命作ってないお野菜だったら残してもいいの?」と言われたら、それも違う気がするし。

うーん・・・腑に落ちないぜ。

バチがあたるから

昔はよく、「食べ物を粗末にするとバチがあたるよ!」とか言われたもんです。
・・・ん?言われたってことは、やっぱり僕も物心がつく前に食べ物を粗末にしていたのかな・・・。

でもこれ、冷静に考えたら「バチってなんやねん」って話ですよ。
当然「罰」のことなんだけど・・・誰が誰に下すのかというと・・・神様なんですよね。

僕は無神論者・・・いや、「都合のいい時だけ神様にお願いする教」の信者なので、息子にもあまり神様ベースのお話ってしたくないんです。

なのでこれもダメ・・・と。

命を頂いているということだから

上の2つを足したような感じなんですが、この説明をしたこともあります。

「今日残したお肉・・・あれは実は豚さんなんだ。」
「豚さんが僕らに食べられるために死んで、その命を貰っているということ。だから残しちゃダメなの。」
「それと同じように葉っぱ(野菜)にだって命があるんだから・・・」

みたいな。

これ、大人なら「そうかー、無駄にしちゃダメだよな」って思えるはずなんですが、やっぱり3歳ぐらいの子供だと「なんで命は大切なの?」ってところがまずわかんないんですよね。

で、それを説明しようとしてもまた「えっ・・・なんで命は大切にしなきゃいけないんだろう??」って悩んじゃうという。

食べられない事態が来た時に悲しいから

この頃、ちょうど息子がアマゾンプライムビデオで「のび太の日本誕生」を見ていたからか・・・、のび太くんが雪山で遭難している時に「残したラーメンのスープ」を思い出すというエピソードも息子に話しました。

要は、あとで食べられない時が来た時に「あの時なぜ残したんだろう」と後悔しないように食べようぜ・・・ということですね。

ただこれ・・・今残すことと、あとあとで食べられないことって、全然関係ないんですよね。
それこそ「バチがあたった」のならありえますけど。

というわけで、どんな説明をしても息子からは「お、おう・・・」というような反応しか得られなかったわけです。

結局は「なんとなくもったいないから」なのかなぁ。

いろいろ息子に教えつつ考えても、自分で納得する答えには辿り着けませんでした。

親が自信を持って発言していなければ、子供も納得できないんじゃないかと思います。

でもなぁ・・・考えれば考えるほど、よくわからない。

動物たちなんて、本能のままに狩りをして、本能のままに残したりするのに、決してバチはあたってないと思うし・・・。

そこでもう一つ考えたのが・・・食べ物以外にもモノをすぐに捨てようとする息子に対して「それ、タダじゃないんだよ!」という発言をしたことでした。

つまり「お金払ってんだから、無駄に捨てるのは辞めて!」ってことなんですよね。

そりゃー僕らにしてみたら、自分の時間を犠牲にした対価として得たお金ですから。
それを無駄にされたくないのは当然のことだと思います。

でも子供はお金を稼ぐ大変さを知りませんからね・・・。
結局はこれも「???」って感じになっちゃってましたけど。

でもやっぱり、タダだったとしても残したくはない

それでもやっぱり・・・もしも自分がお金を払ったんじゃないとしても、なんだか食べ物を粗末にするのって気分悪いんですよねえ・・・。

なんでなんだろう?

これって「なんとなく」のニュアンスの問題であって、理屈で説明できるような事ではないのかもしれません。

おわりに

というわけで、何の答えもでないまま・・・ただ僕がこう考えたよ、ってだけのお話でした。

誰か答えを知っている人がいたら教えてください。

この問題に関しては、息子が大きくなった時にまた本人としっかり話し合ってみたいですね。
息子も何かを理由に「残しちゃダメ」って思うようになっているかもしれないし。

もしかしたらそこに答えがあるかもしれませんしね。

追記

余談ですが、妻と知り合ったばかりの頃、お弁当についていたお新香とか、レストランで出てきたパセリとかを無意識に残してしまい、妻から「なんでそれは残していいと思った?」って言われたのを思い出しました。

ご飯とかお肉、お魚は「残しちゃダメ」って感覚のあった僕も、「パセリはOK」みたいな感覚があったんですねw

・・・ハンバーグに添えられてたクレソンとかは余裕で食べてたのになぁ。

   

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      2020/02/06

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Comment

  1. Hot5 より:

    難しい問題ですね。

    まず、残すことは悪いことなのか、ってところからですが、神がいないのだから究極的には悪いとは言えませんよね。
    でも、ぼくも管理人さんも親として残すことはなんも悪くないよ、とは言いにくいですよね。
    なので、次は人間が作ったルールに頼ろうと思ったんですが、子供の食べ残しを罰する法律もなさそうです笑
    ならばもう、モラルとかマナーを出してくるほかありません。
    が、モラルとかってめちゃんこ曖昧なんですよね。
    図書館では大きな声で話しちゃダメとか、お年寄りに席を譲りましょうとか。善悪の境界線がゆるいし強制力もありません。
    でもでも、ぼくはこれが大切だと思っています。
    その人の品とか美意識はここで決まるとさえ思っています。
    罰せられるからしないとかじゃなくて、誰かが可愛そうじゃん、とか、そんなのダサいからやらないよ、って感覚がとても大切だと思うし、親とはそういったミームのような価値観を次の世代へ繋いでいくものではないでしょうか。そうして、好かれるミームは残り、嫌われるミームは淘汰されてゆくのかなぁ、と。(残念ながらなくなりはしないけど、劣勢にはなるかな)

    結論としましては、管理人さんの考える理由で食べ残しは駄目だよ、と教えることは、ひいてはお子さんにどんな人間に育って欲しいのかというテーマと直結するので、答えはそれぞれ、といったところでしょうか笑

    • kaketayo より:

      Hot5さん

      コメントありがとうございます!

      >そんなのダサいからやらないよ、って感覚がとても大切だと思う

      いやー、これですこれ!
      これが正解なんですよね。

      ダサいって定義や美意識も人それぞれなので、結局は親からのバイアスがあって子供に根付いていくものなんだろうなと。

      >ひいてはお子さんにどんな人間に育って欲しいのかというテーマと直結する

      そうですね!
      成長過程で息子がどう感じていくかは本人の自由ですが、少なからず「パパはこういうの、ダサいと思うな!」っていう教え方でいいんだろうなと思いました。

      それは逆に言えば、息子の価値観は僕ら親からの影響をモロに受ける部分だろうとも考えられるので・・・下手なことは言えないんだろうなぁ。