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中学校に進学せず、ゲーマーを志すことの是非

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先日、とあるYouTuber(ゲーマー)の子が「中学校に行かない」と宣言したことで話題になっていました。

でまぁ、一般的に「義務教育である中学に進学しない」となると「とんでもないことだ!」と思われがちだと思うんですが、そのご家庭では東大卒のオトンと、海外の大学を出ているオカン(しかも会社を経営している)を含めて親子3人で話し合って出した結論とのことで、「なんか大丈夫そうw」と思わせられました。

・・・などというと「うちは親が東大じゃないからオワタ」とか、そういう発想になってしまうかもしれませんけども、決してそういうわけじゃないと思うんですよね。

要するに「人生をどういう尺度で見ているかって話に過ぎない」のかなと。

子供なんて大人になるためのチュートリアルだ

うちの子って、失敗するたびにすごく落ち込むんですよ。
それも「こんなことで?」っていうくだらないことでもわりとガッチリ落ち込むの。

で、そういう時に僕は必ず「子どもなんて大人になるためのチュートリアルだからね」ってことを息子にコンコンと伝えてます。

チュートリアルっていうのはゲームで最初にプレイするアレですよ。
だいたいゲームの流れとかコマンドを覚えるためにやるヤツ。

そこでゲームの動かし方をある程度でも理解しておかないと、いざ本番が始まった時に詰むんですよね。
「あれ?エイムってなんだっけ・・・」みたいな。

逆にいうと本番が始まる前のチュートリアル段階っていうのはいくら失敗してもOKじゃないですか。
誰もチュートリアルでうまくいかなかったからって落ち込まないでしょ・・・?

つまりこれって「ゴールをどこに設定しているのか?」って話だと思うんです。

ゴールは「(楽しく)生きる」こと

ゴールを目先のところに設定していると、自分がした失敗がすごく大きなものに感じられてしまうんですよね。

でも、自分のゴールがたとえば「天才的な発明をして世に名前を残すこと」なのであれば、些細な失敗なんてエジソンのソレじゃないですか。
9999回の失敗なのではなく、10,000回目に成功するための方法を試しただけっていう。

なので、子どもの頃の失敗なんちゅーもんは「大人になった時に失敗しないようにするためのもの」だと思っておけばいいんです。

これ、究極をいうと僕らのゴールっていうのは誰しも「死ぬまで生きること」だと思うんですよ。
死ぬ時になって初めて自分の人生が「成功だったか失敗だったか」がわかるわけで。

なるべくその時に「成功だったなー」と思えるように生きる・・・というのが僕ら大人の目標であって、それをするための準備期間が子どもであると言えるのかもしれませぬ。

趣味とは種まきである

そういう観点で考えると普段ずっと気になっていた「趣味って意味あんのか?」っていうところも腑に落ちてくるというか。

かの両津勘吉でさえ

なんの得にもならないよ悪かったな!
これは趣味というレジャーなんだから口だすな!!

と麗子に怒鳴っていましたけども、実は「なんの得にもならない」なんてことないんですよね。

前に岡田斗司夫さんが「60歳を過ぎたら人生の伏線回収が始まる」という話をしてたのを思い出します。

60歳からの人生の伏線回収という話

つまりね・・・60歳になった時に自分が何をやれるのか?
自分の人生や仕事、生き方全部において、どういった選択を取っていけるのか??っていうのは、そこまでに培ってきたものに左右されるわけじゃないですか。

趣味っていうのもそこに含まれるわけですよ。

仕事をしていてふとした時に「あ、これ知ってる」ってなるようなことがあって、自分が大切にしてきた趣味がその根底にあると気付かされたり。
誰かと会話をしている時に趣味で得た知識が役に立ったり。

まぁ単純に趣味を通じて仲良くなる人がいたり・・・ってこともありますしね。

上では60歳と書きましたけど、このゴールは80歳でも100歳でもいいんです。
その時に向かってせっせと種まきをしていると思えば、趣味って「何の得にもならない」なんてこたぁないんだなぁーと。

おわりに

で、冒頭の話なんですけども。

その少年が向こう数年というレベルで人生を考えた時には、中学校に行かないという選択をしたことに後悔する日が来るかもしれないとは思います。
たとえば周りの友達がみんな中学、高校と進学しているのに自分は・・・みたいなことを考えてしまうかもしれない。

でも、彼の人生が80年とかあるんだとして。
その序盤の数年をゲーマーとして本気で打ち込むっていうのは、全然ありなんじゃないの?って。

逆に、中学行ってるのに全然勉強ができないとか、友達ができなくて社会性が育たないとか、スポーツに打ち込みすぎて他のことがおろそかになっている子とかっていないんですかね?

いずれにしろ中学生も高校生も大学生も、結局は大人になるためのチュートリアルでしかないので。
大人になって自立して・・・っていう時までに必要なことがクリアできていれば、その順番とか濃さっていうのは特に問題ないんじゃないでしょうかね。

ただ!!!

そういう明確な「打ち込みたいこと」がないのであれば、やっぱり普通に中学行って勉強したり恋愛したり・・・っていう方がぬるゲーだと思いますが。

   

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Comment

  1. poncha2016 より:

    自由と、義務と、権利。

    これらをはき違えたり、勝手に解釈したり。

    個人的な意見ですが、

    冒頭の例・・・
    ずるい父親と、ずるい母親の間で生まれた、ずるい子供が3人で悪巧みして、義務という一種の責任逃れをしているようにも映ります。

    税金を払わない自由や、町内会費を払わない自由へ発展しないことを望みます。

    ひとりならセーフ?

    全員がやったらどうなる的な???

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