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自分がやってきたことだけなんでも書く、ジャンルむちゃくちゃマガジン

果たして「並ぶことができる」は偉いのか!?

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僕は本当に「並ぶ」という行為が嫌いである。
—おこちゃまなのだ!!

– 終 –

・・・まぁ、もちろん電車に乗る際に並んで順番に、降りる人が先!!とかは全然守れますし、何かしら必要があって並ばなければならないという場合には大人しく並ぶことはできます。

ただ、たとえば「行列のできる飲食店」などのような・・・そのサービスを享受するために数時間単位で並ぶというのが解せないのです。

なので、先日投稿しました「子供ファスト・トラック」の時に書きましたが、「子供に並ぶということを覚えさせる」みたいなのは全然賛同できないわけですよ!

ヤツらは並ばせたい

そもそも僕らはなぜ「並ぶ」のか??

それは「ユーザーが並んでくれる方が企業が嬉しいから」に他なりません。

たとえば飲食店。
店頭に誰一人お客が並んでいないお店と、いつ行っても行列が出来ているお店・・・どちらの方が期待値が高いでしょうか!?

答えは「並んでいるお店」なんですよね。
なんとなく「そっちの方が当たりなんだろう」「みんなが並ぶぐらいだから満足度が高いんだろう」っていう行動心理の裏を突かれているわけです。

ゆえに、「混んでいるから仕方なく並ばせる」のではなく、あえて行列を作らせる方向に舵を切っている可能性もあります。

現にディズニーランドではアトラクションがどれだけ空いていても、どうにか並ばせるようにキャストが細工をしていますのでね、、、

もしかしたら「あれだけ並んでようやく受けられたサービス」というところに付加価値を付けようとしているのかもしれませんね。

並ばせるのは企業の怠慢

ただ僕は、やっぱりそれって違うと思うんです。
うまく企業に踊らされてるだけじゃん!?って。

本当に価値のあるものなら、「並んで得た価値」なんて関係ないはずなんですよ。

並ばなければゲットできなかったものだから価値がある??
あなたにとっての価値って「並ばなかったからゲットできなかった人」がいて初めて成り立つの???

本来であれば遊園地なんかも「あそこの遊園地は人がたくさん入ってるのに、うまい仕組みで全然並ばずに遊べるらしい!」っていうのが正しいと思うんです。

それをせずに、平気で「3時間待ち」とかを掲げて。
ユーザーもそれを疑いもせず並んで・・・。

これが果たして本当に「えらいこと」なんだろうか??

おわりに

なので僕は息子にも「我慢して並ぶことができる偉い子になれよ」なんて教育は絶対にしないと思ってます。

もちろん冒頭で書いた通り、自分がどうしても得たいもの、体験があって、それが並ばないと得られないのであれば我慢するしかないですけどね。
並びたくもない、でもあれは欲しい・・・みたいなのは許さんぞ息子よ。

ただねー・・・なんていうか、「本当にそんなに並ぶ価値ある??」っていうものが世の中にはたくさんありますよ。。
あんまり実名出すべきじゃないけれど、スウォッチの例の時計だって「〇日」っていう単位で並んだ人がいるとかいうのを聞くとね・・・「あなたの時間は本当にその程度の価値しかなかったのか???並ぶ時間があったら他に何ができた???」とか考えてしまいます。

飲食店もそう。
うちの実家の方に日本一有名なパン屋さんがあって、土日にはすっごい行列が出来てるんですよ。

以前、知人が好意で並んで買ってきてくれたんですけど、、、別に普通だったもん。。。
あれはやっぱり「並んで買った」という優越感を持った人のみが美味しく感じるのではなかろうか、、、

まぁ、その辺の価値感はもちろん人それぞれなので、僕は他者が自らの意思で行列に並ぶこと自体には全然、是も非もござぁせん。
ただやっぱりどうしても「並べることが偉い」とか、それを正義であるかのように語られるのはちょっと違うんじゃないかなと思ったとか思わなかったとか。

追記

↑で「企業の怠慢」と書きましたが、現実にはそんな単純な話ではないとも思ってて。

サービスって簡単に満足を得られることが続いてしまうと、飽きるのも早いと思うんですよね。
だからまぁ、遊園地とかも「あれもこれも乗れなかった」というのがあれば「また次回」という風にも繋がってくるわけで・・・まぁ、存続のためには仕方ない部分もありますわな。

   

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