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いじめの罪を許すのは、国なのか世間なのか被害者なのか?

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      2021/09/18

オリンピックの楽曲提供の件で過去のいじめ自慢を掘り返されてる小山田氏の件を受けまして。

報道を観ていて感じるのは、みんなが憤慨しているのって「過去にいじめがあった」ということではなく、「それを武勇伝として語っていた」ということなのではないかと思いました。

いじめというのは多かれ少なかれ、誰しもが体験していることではないでしょうか?
僕自身も加害者になったこともあるし、被害者になったこともあるので、そういうものなのだと思っています。

許されるか否かはさておき、人間界以外でもいじめというのが起きていることを考えれば、これが生物の本能に従った行動であると言えるのかもしれません。
(逆に、理性がある人間だからこそいじめが起きるのはおかしいやん、とも言えますが!!)

ただ、やっぱりそれを誰かに自慢するように語ることなんてないと思うんですよ。
それが子供の時分ならまだしも、大人になってから雑誌のインタビューで・・・っていうのがすごく気持ち悪いわけで。。。

・・・あ、年齢だけ大人で、中身が子供だったのか、、、
その時の小山田氏本人も、インタビューを起こしたライターも、それの掲載を許可した編集者も・・・みんな大人の皮をかぶったガキんちょだったのである。

んで、こういうのがあった時って「じゃあ過去にいじめをしたヤツは一生許されないのか??」みたいな話になってくるんですよ。

今回の件も小山田氏は「反省してる」みたいな感じで謝罪されてて。
それを受けてなぜか部外者の茂木健一郎さんが「よし、許す!」みたいな、尾木ママさんが「いや、許さん」みたいなのがあったじゃないですか。
※原文そのままというわけじゃなく、こういうニュアンスのことを言ってたよね、って話です。

これもどうにも気持ち悪いというか。
ちょっと「うーん」と唸ってしまうのであります。

加害者が償う罪とは・・・?

今回の件とは直接関係ないですが・・・前にひろゆきさんとゆたぼんさんのお父さんの応戦ってあったじゃないですか。Twitterで。

元はゆたぼんさんの不登校の是非みたいな話だったのが、お父さんが昔犯した罪を著書で武勇伝のように書いていて。
で、それに対して「刑務所で罪を償ってきたから(チャラ)」みたいな感じになってたやつ。(テキトウ)

これはテキトウに「こんな感じのやりとり」とか言ってちゃダメですね。
やりとりはこんな感じ↓。

これに対して

これやね。

本人は「チャラ」とは言ってないけれど、要は「服役したから罪は償ったで」っていうことだと思うんですよ。

日本のルールで言えば、裁判所が決めたルールに則って、一定の期間”反省”をすれば許されることになってますけど、それは本当に「許された」といえるのでしょうか???

被害者の胸には残り続けるのよ

「罪は償いました。反省しました。」みたいなのって、どうも加害者側の視点というか。
こういうのって本当は被害者側が「彼も反省しているみたいだし、今回の件は許します。」みたいなのを以て「許された」といえるわけでしょ?

なんか勝手に「服役したから許されてる」みたいなのはやっぱり違うよなと思うのです。

いわばそれは、自分が犯した罪に対しての「罰」を受けただけであって。
許す許さないの話とはまた次元が違うわけですよ。

「罪を償ったから許してやれ」と国が言ったから、「あれだけ反省してるんだから許してあげたら」とみんなが言ったから・・・だから許せる、というようなモノではないはずなのです。

いじめをしたヤツは一生許されないのか

で、この件。

じゃあいじめをしたヤツは一生公の場に出るような事をしてはいけないのか??

私見ですが、その答えは「イエス」だと思ってます。

というか、本人の口からそんなことが発せられるのであれば、その時点で「反省してない」って思われても仕方ないんじゃないかな・・・。

もし、被害者が「小山田くんがどうしても可哀想だから、みんな許してあげて。過去のことは全部忘れてあげて!!」って言うのなら、それはそうしなければならないわけですよ。
むしろ被害者が許しているのに、第三者が許さないっていうのは意味がわからないし、気持ち悪いですし。

逆に、被害者の気持ちがそうなってないうちは、加害者は表舞台には出ちゃいけないってことじゃないのかなぁ・・・?
単純に「それぐらいの罪である」・・・ということだと思うのですが。

だってそうじゃん?
もし自分が被害者だったら、「反省してますぅ〜」みたいな感じで公の場で調子こいてる加害者を観たら不愉快ですもん。

公に出なくたって才能を活かせる仕事なんて腐るほどありますし・・・今後の人生はそっちで、っていう選択肢もあるわけですし。

むしろ、そこまで人生を好き勝手楽しんできた結果がそれなんだから、以降は日陰の人生だったとしてもトントンじゃね・・・?

おわりに

ま、そんなことを思った・・・という話でした。

この手の話ってずっとモヤモヤしてて。
どこかで吐き出したかったのですよ、、、

いじめではないけれど、辻敬太さんの過去の事故の話もね。
加害者が「終わったこと」って言ってるけど、被害者にとっては終わってないわけで・・・。
(これすっごい胸糞なのよね・・・第三者の僕が言うことじゃないけど)

Kippoっていう田中宏さんの漫画でも、若い頃に抗争で奥さんのお腹の子供を殺されてしまった人が、大人になって丸くなってて・・・その時の首謀者たちのことを「今更どうこうしようとは思わない」としつつも

ただ・・・コレだけは覚えといてほしいんじゃけど・・・・・・

なんぼ時代が変わろーと・・・あの日の悲しくて苦しい出来事は・・・・・・・・・・・・

一生 完全に消えるコトは ないんじゃ

と語るシーンがありまして。
まさにこんな感じなんじゃないかと、、、

だからなんていうか、加害者は故意だろうとそうでなかろうと、なるべく公で調子ぶっこかないべきだと思うのです。
(許しを請うなんてもってのほか)

「一度罪を犯した人は二度とチャレンジができない」とか、そういうことじゃなくて。
もっと被害者の気持ちに寄り添ったら「調子こかない」という生き方もあるのではなかろうか。。。

追記

第三者が何言うてんねーーーーん!って話ですよね。
そう、僕は小山田圭吾でもなければ、いじめの被害者でもないのだ。

特段「悪は絶対に許さないマン」というわけでもない。

でも、それが「東京オリンピックで使われる音楽」みたいなところに出てきてしまうと、途端に日本国民にとっては「自分ごと」になってしまうのであーる。

要は海外から見て「日本て過去にこういうことしてる人をそういうオフィシャルの場で使えちゃうの?被害者の気持ち考えたことあるん?」っていう印象になってしまうことを国民が良しとするか否か・・・という話ですな。

もちろん「過去にどれだけ悪いことをしても反省すればワンチャンある国・・・それが日本!」という印象付けを行っていくというのも間違いではないんだろうけども。
今回の件で言えば多くの国民が「不快だわー・・・いじめ自慢、なーんか不快だわー・・・」って感じたというだけの話なのかなーと。

   

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      2021/09/18

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