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幼稚園児の「七夕のお願いごと」が「新型コロナがなくなってほしい」だった

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      2021/09/27

今日は一年に一度の「たなばた」の日です。

もともと貴族が短冊に(七夕とか関係なく)願い事を書いていたところから派生して、七夕の日には書道の上達などの願いを笹の葉に吊るすようになったとかなんとかいう歴史があるそうなのですが、今ではなんとなく「七夕の日には(1年間の)お願いごとを短冊に書く」みたいなのが日本の風習になっていると思います。

息子の幼稚園でも例外なく、「七夕だからお願いごとを書きましょう」っていう話になったそうで、うちの息子は自分の将来の夢「〇〇になりたい」を書いていました。

一方、クラスでは半分以上の子が「コロナがはやくおわってほしい」と書いていたそうです。

これはねえ、もう仕方ないというか。
今の子供たちのリアルなお願いだとは思うんですよね。

でもなんか僕はこれを聞いてちょっと寂しかったのです。

なんか、なんかなぁ・・・と思ってw

(きっと先生が「お願いが思いつかない子は『コロナがおわってほしい』とかでもいいんだよ~」と提示したんじゃないかとは思いますが!)

それでふと思い出した記憶がありました。
僕が小学校を卒業するときの話です。

将来の夢は「お金持ちになりたい」?

僕が通っていた小学校では、卒業式に一人一人壇上にあがり、大声で「ぼくの将来の夢は〇〇です!」というのを発表する・・・というのがありました。

これの予行練習の時のこと。
クラスの半分以上の男女が「お金持ちになることです!!」という夢を語ったんです。

それを聞いた担任の先生、教室に戻ってから大激怒w

余談ですが・・・当時の先生って本当に、ありえないぐらい大激怒してたんですよ。
今の先生がどうかは知らないけれど・・・。

「将来の夢がお金もちって、どういうことじゃああああああ!!!!」みたいな。

今思えば「その辺は自由じゃん」って感じもするんですけど、きっと先生としては納得がいかなかったのでしょう。
「お金持ちになる」ということが「夢」であることに。

結果ではなく過程?

その頃の僕らは特に貧しい生活をしていたわけではなかったと思うんです。
バブルもちょうど弾けたぐらいの時期で、子供にお金の心配をさせる家庭ってそこまでなかったんじゃないかと。

なので「お金に苦労している」→「将来はお金持ちになって苦労のない人生を送ろう」ってことでもなかったはずなんですよね。

現に、地元の土地持ち=お金がある家の子すら「お金持ちになりたいです!」って言って怒られてましたから。。。
家の経済状況どうこうが子供たちの夢を縛っていたわけではないんだろうと思います。

もちろん、「お金持ちになる」が「夢」であっても、何の悪いこともありません。
ただ、、、「夢っぽくねーなー!」って想いが先生の中にはあったんでしょうね。

たしか「『お金持ちになりたい』じゃなくて、『何をしてお金持ちになりたいのか』を考えなさい」というミッションが与えられたのを覚えています。

※結果、予行練習では「お金持ちになりたい」と言っていた子たちが、本番ではこぞって「プロ野球選手になって1億円プレイヤーになりたい」のような夢を語ることになったのでありました。

お金と紐づかない夢が夢なのかしら

当時の同級生たちは先生に叱られてしぶしぶ夢を考えていましたが・・・僕はなんとなく先生の言いたいことってわかるんですよね。

やっぱさぁ、夢って輝いてるものであってほしいじゃないですか。

きっとね、「君たちの将来に十分なお金があるとして・・・そのうえでやりたいことや叶えたいことってなんだろうか?」と聞かれていたら、また違った答えが得られていたのかもしれない。

ほんと、お金って夢を語るうえですごく邪魔なものよね。
これさえなかったらもっとみんな自由に夢をかなえられたんじゃないかと思うのに。

ちなみに僕はというと、予行演習の時から一貫して「バンドが組みたいです!」との夢を語っておりました。
当時、ブルーハーツにだいぶ傾倒しておりまして・・・あんなのがやりたかったんですよ。

その夢は「バンドを組む」という意味では高校に進学して叶うことになったんですが、思い描いていたのは「バンドで成功する」みたいなもので、結局その夢には挑戦することもなく今に至っております。。。

叶わなかった夢よりも、挑戦しなかった夢が輝いて見えるのだ。

僕らは子供たちに夢を見せてあげられているのだろうか

んでまぁ、僕が何を言いたかったのかっていうと・・・子供たちには「純粋なやりたいこと」や「夢」があんまりないのかな?と。

たとえばほら、僕らが幼稚園のころの卒園文集なんかにはみんな「けーきやさんになりたい」「おはなやさんになりたい」みたいな純粋な夢を描いていたと思うんですよ。
そういうふうな輝かしい夢があってもなお「コロナよなくなってくれー」っていうのがお願いごとになってしまったのか、それともやっぱり夢を見られていないのか。

もし夢を見ることができないのだとしたら、それは大人にも原因がある・・・というか、大人が全ての元凶かもしれなくて。

子供たちが「あんな大人になりたい!」「あんな楽しそうなことがやりたい!!」って思えるようなことをできているのか?
将来に希望を感じさせてあげられているのだろうか?

そんなことを考えてしまったのです。

※そもそもあの短冊に将来のお願いを書くのが正解かどうかはわからんけどw

おわりに

まぁでも、新型コロナウィルスって本当にものすごく鬱陶しいので、、、とっととなくなってくれというのは全世界共通の願いだとは思いますけども!

なんとなく、コロナがなかったらみんなは七夕に何をお願いしていたのかな~?と気になった、そんなお話でした。

ちなみに・・・子供たちのなりたい職業ランキングでYouTuberが上位ランクにいるというのを聞くと、YouTuberって夢を与えてるんだな~って思いますよね。
※もしかしたら「簡単に稼げそう」みたいな、やっぱり「お金」に関する夢なのかもしれないけど。。。

一方「ブロガー」っていうのは上がりにくそうで・・・子供たちよ、こりゃある意味ブルーオーシャンかもしれんよ!!!

追記

七夕に聴きたい曲は・・・これだ!

   

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      2021/09/27

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