声の大きい人や数で圧倒できる勢力が「正義」なのか?
ここ数日、経済学者の成田悠輔さんがキリンのCMに起用されたことで「キリン不買運動」が起きていたそうで。
結果的にキリンは成田さんをCMから降板させることにしたという報道を拝見しました。
ことの発端は、過去に成田さんが少子高齢化への解決策として「高齢者は老害化する前に集団自決みたいなことをすればいい」というような発言をしたことで。
それに怒っている人たちが「お年寄りを差別する人間をCMに使うのか」と抗議していたみたいですね。
まぁー・・・キリンとしては「正義」に屈した感じでしょうか。
ただしこの「正義」、本当に正しいことなのか?
それとも「声が大きいこと」「数で圧倒していること」で勝ち取ったものなのか?
個人的にはそこらへんがちょっとモヤっとしております。
死ねなんて言ってない
成田悠輔さんって非常に頭が良い方なので、お話をさらっと聞いていても理解するのが難しかったりするとは思います。
(わかりやすく説明してくれる人・・・っていうイメージなんですけどね~)
なので、僕は成田さんの発言をその言葉通りに受け止めてはいけないとも思うんですね。
で、今回問題視されている過去の発言っていうのも、政治家の失言にも近いというか。
インパクトのある部分だけ切り抜かれて拡散されているだけで、実際の思惑とは違うと思うんですよ。
たしかその話って「高齢者が権力者として居座り続けている」ということの問題提起で。
それを辞めさせるぐらいの声があがらないと日本の少子高齢化なんて解決できませんよ!っていう意味の比喩として「集団自決」っていう言葉が使われただけだったんじゃなかったかと。
軽々しく「お年寄りが全員死ねばうまくいくと思うんっすよねー」なんて言ってないのよね。
なので全然お年寄り差別でもなんでもないっていうか・・・。
言葉の上澄みだけを拾うのと、その本質を見るのとでは全然意味合いが違ってきちゃうんじゃないかなと。
理解できなくても多数が勝つ
ただ・・・「本質を見ろ」なんていうのはあくまで「全員が理解できる」という前提の話であって。
おそらく日本人口の半数以上は「理解できない」のだと思ってます。
極端な例でいえば、幼稚園児と「少子高齢化の解決策」について議論しようと思っても話が成り立たないのは想像に難くないわけで。
日本語は読めても理解が追い付かない・・・という大人がいることも事実なんですよね。
ゆえに、見出しに直感的に怒って、大きな声で抗議できる人がいれば、そこに賛同する人も集まってきて・・・それが「正義」かのようになってしまう、と。
まぁ・・・正義なんていうのも見る角度によって簡単に変わってしまう価値感ではあるんですけども。
今回のキリンCM騒動でいえば、「揚げ足取り」というか・・・難癖付けた人の意見が通ってしまっただけ、という感が強いのかなーと。
要は「ゴネ得」に近いと思うんですよ。
不愉快だーって騒いだ人だけが得をする仕組みというか。
逆にいうと、日本人の半数以上が本質なんて理解できないということを知っているからこそ、キリンもクレーマーに屈した・・・ってことなのかもしれませんが。
(文句言ってくるやつの言う事聞いちゃったほうが早いもんね)
おわりに
ま、なんかそんなことを考えたよーって話です。
最近でいうとR-1の吉住さんのネタが炎上したのとか、ザコシさんのネタ動画を公式が消したのとか、ダウンタウン松ちゃんの報道の件もそうかなって思いますねー。(主観ですが)
特に吉住さんの件なんて、「デモ活動」というテンプレートを使っただけで「デモあるある」じゃないんだから。
言ってみりゃ「誇張しすぎたデモ活動家」っていうネタでしょw
(もしもこういうヤツいたら変だよね、可笑しいよね、っていう)
それに文句つけちゃうってことは「デモやってる人はみんなあんな感じの過激派です」「お笑いが理解できません」って言ってるようなもんじゃんね。
なんかねー・・・。
東スポの見出しだけを見て騒いでいるような感覚に近いんだよなぁ。
みんなが簡単に騙されるようなことがなければいいんですが。
追記
そもそも民主主義は多数決で決まる側面があることを考えると、どれだけアホだったとしても「味方に付く人が多い方が強い」わけで。
インターネットの普及によってその傾向が強まってる感があるのかなと思いますねぃ。