何の意味もなさない「葬儀におけるお経」が苦手である
お葬式にいくと、お坊さんが「むにゃむにゃ」と唱えるお経を長い時間かけて聞かなければならず、不快な想いをしている人も少なくないと思います。
特に子供なんかは正直で、「ねー、まだ終わんないのー。ながいー。」とそのまま不満を口にして、親から「もうちょっとだから我慢しなさい!」なんて叱られたりしてますよね。
ぶっちゃけ、僕はお経には意味がないと思っています。
誤解のないように言っておくと、お経そのものや、それを読むことに意味がないと言っているのではありません。
その本質を知れば知るほど、特に現代においては「無駄だなぁ・・・」と感じてしまうのです。
そもそもお経ってなぜ読むの??
仏教って、学校で習わないじゃないですか。
なので、多くの葬儀参列者はなんとなーくしか知らないと思うんですよ。
現に僕がそうだったんですけども、なんか死んだら天国やら地獄やらがあって、お経読んでもらった人はあの世で幸せになれて〜、みたいな。
だから死んだ人のためにも、参列者が我慢してお経を聞かなければならない・・・と。
そんなふうに思っている人が(おおげさじゃなく)たくさんいると思うんです。
少なくとも僕の周りの人たちはお経の意味なんて知らないし、考えたことすらないみたいで。
「みんながそうしてるから、自分もそういうもんだと思ってやってる」ってレベルなんですよね。
お経は残された人のためのもの
そもそも!
仏教の教えでは「天国」(仏教では極楽浄土やね)にいけるのか「地獄」行きなのか・・・っていうのはもう生前の行いで決まるわけですから、、、「お経を読んでもらったから地獄行きのやつが極楽行ける」みたいなのはないはずです。
じゃあなぜ読むのか?というと、供養・・・すなわち魂を元気にしてやるためのもの、ってのが一つの理由だそう。
もう一つお経を読むのには理由があって、それは「残された人への教え」っていうことなんですね。
大切な人が亡くなって、残された家族や友人たちに「死ってこういうものなんやで」っていうのを教えてくれてるの。そういうありがたいお言葉なのお経は。
じゃあなんであんな意味わかんないことむにゃむにゃ言ってんの
ありがたいお言葉なのであれば、僕は聞いておいて損はないのかなーと思うのですが。
いかんせん、お坊さんが読むお経って全然意味わかんないんですよ。
なんかむにゃむにゃ言っててさ・・・「聞いて貰おうって気ある??」って感じに。
普通は誰かと話をする時にあんなむにゃむにゃ言ってたら「は!?」「ハッキリ話せよ!何言ってるかわかんねーよ!!」って怒られるでしょ?
だからお経だって、そんなにありがたい言葉なのであれば、現代の日本語ではっきりと伝えてくれればそれで良いはずなのです。
ではなぜあんな意味わかんないことをむにゃむにゃ言っているのか!?
それは経典に書いてあるからだ!!!
その答えは、意味わかんないことが経典に書いてあるから!なのであーる。
そもそもインドで生まれた仏教の言葉(サンスクリット語)が、中国を経由した時に漢字になって。
それにルビふったやつが日本の仏教のお経なんですよ。
だから「般若波羅蜜多(はんにゃーはーらーみーたー)」ってのは元々「プラジュニャーパラミッター」の当て字なんだとかなんとか、、、
もちろん中には「もっとわかりやすいお経にしましょうよー。そうしないと聞いてる人たちにも意味ないよー。」って言うお坊さんもいらっしゃるそうなのですが、まぁ・・・大きな流れとして「これでいいじゃん」ってのがありますからね。変わらないですよね。
なのでみんなは何も疑いもせず、意味のわからないむにゃむにゃを長時間聞かされてありがたがるのであーる。
僕はなぜお経に意味がないと思うのか
僕がお経に意味がないと思うのは、上で書いたとおり。
つまり、聞く側に教養がないのだから、誰も本当の意味でお経を理解しないままに、ただ形式としてお経を読んでもらっているに過ぎない(可能性がある)と思うから。
なんだったらインド→中国→日本と経由するうちに、微妙に解釈も違ってきているみたいな話もあって。
えー、そんなんでも本当にありがたいんかいな??と疑問に思って調べてみたところ・・・素晴らしいお寺さんのブログにたどり着きました。
頂いたお手紙の中に、「聖書は全て日本語で書かれているのにお経は漢文のままだ」と批判がありました。しかし、それはキリスト教が「教えてあげる」という立場に対して、仏教は「知りたいなら自分が動け」という立場なので仕方ありません。
意味の分からないお経で、自身の安心(あんじん)が得られるなら、それで良し。意味が分からず、調べて安心が得られるなら、それで良し。意味だけで納得できず、出家し安心が得られるなら、それで良し。己が己で判断出来たもの、それはそれぞれに真理なのです。[出典]なぜ、お経は意味が分からないのか
なるほどなるほど。
つまるところ、お経の意味なんてわからなくとも、その内容がどうであろうとも、それを聞いた人が「これで安心」って思えるならそれでいいじゃん、っていう懐の広さが仏教だということなんですね。
・・・すげーな。
言ってしまえば、上で書いたような「お経を読んでもらえば天国にいけてー」みたいな間違った解釈だとしても、その人がそれを信じることで救われるのなら、もうお経は意味を成していると。
逆に言うなら僕のように「意味ねーじゃん」って思っている人にとっては意味がないってことの裏付けでもあるわけなのです。
とかく現代社会では宗教に頼らずとも心の安寧を保てる人は少なくないと思いますので、その人達にとってもやっぱりお経ってただの不快なものでしかないんだろうなぁ〜。
おわりに
そういうわけで、家系的には仏教徒でありながらも、そこにありがたみを感じていない僕は異教徒みたいなもので。
そういう理由からお経に意味を見いだせず、無駄だなぁと感じてしまうのであります。だからあの時間が嫌いなのだ。
ただし、僕は宗教社会ではなく人間社会で生きているがゆえ、今後も葬儀でお経が読まれるのであれば、空気を読んで神妙な顔をしてむにゃむにゃとわけのわからない言葉を聞き流すのである。
Comment
今井美樹さんの旦那さんじゃないんですぅ…
お疲れ様でふ
いいですねー
トガってますねーw
嫌いじゃないっす👍️
皆違って皆いい
むしろオレもそちら側の人間な訳で
むにゃむにゃ終わってからの有難いお説教なんか聞かされた日には…
真理か
深いですな
答えは風に吹かれている(ボブディラン)ってとこなのかな
ところで、関東方面は「むにゃむにゃ」って呼んでるんですか
こちらでは「なむなむ(南無南無)」って呼んでるんですよw
むにゃむにゃの最中は実況動画みたいに巨大モニターに現代語翻訳を流して、そこに参列された方達が「住職キタ━(゚∀゚)━!」とか「見た目に反して声が高い━(゚∀゚)━!」とかコメントすれば皆の関心を集めるのではないでしょうか
それか木魚じゃなくドラムセットに置き換えるとかね
YOSHIKIさんみたいに上半身裸でやるとか
不謹慎と怒られるかもですけど、お経をあげるシチュエーションってある種のお祭りみたいなもんだと思うのね
皆で一堂に会して送り出そうよってこと
だからむにゃむにゃはお楽しみ会の余興だと思えば楽になれるよ多分
現状コロナの関係もあって、だいぶ簡素化された感はありますけどね
仏教寺も時代とともに徐々に変わりつつありますよ
音楽フェスやってたり(行ったことないけど)、お茶会(カフェ化)したりね
うちのいとこ(住職)はお寺の門戸を広げたいって言ってました
物理的にじゃなく精神的なね
人がお星様になった時と、お墓参り位しか行かないじゃないですかお寺って
だから今の時代、何かしらの拠り所(気軽に立ち寄れる場所)にしたいって話でして
なるほど
今みたいに進んだ科学や医療、娯楽も無い封建(封鎖)的な世の中が長く続いたからこそ、むにゃむにゃに皆こぞって頼って勢力を拡大出来たんだろうなぁ
あと、お坊さん自体が厳しい修行を経た後にむにゃむにゃを皆の前でご披露されているので、あまり責めないであげてw
まぁ、たまーにお金に執着したり、べらぼうに偉そうな態度をとる輩もいるんだけどね
最後になりますが、オレがお星様になった時は奥さんと子供達だけで送ってもらえればそれで十分なんですけど、世間体もあるから、簡単にザックリやってくれとは言いましたw
「うちの親父は幸せ者だった」と皆に伝えてくれと
ロードランナーK.K.さん
コメントありがとうございます!
僕はギターが好きなくせに国内外のギタリスト全然知らないんすよね、、、
たぶんギターそのものが好きなだけなんだろうな。。。(ミニカー好きだけど車知らないみたいなもん)
>トガって
ないないないない!!
いや、今回のは至って温和な意見かと!?w
意味がある人にはとっても意味があるし、そうでない人には意味がない・・・みたいな感じかなと思うのですが、一度従兄弟さんともお話させて頂きたいw
>むにゃむにゃ
これは・・・すんません、僕の「揶揄」です。。。
なんか眠くなる言葉というか、眠そうというか、、、何言ってるかわからんというか。
子供に説明するときは「お坊さんがなむなむしてくれるからね」と言ってますw
>ドラムセットに
あ、これがエンターテインメントとして成り立つのなら、それもありですよね。
そもそも木魚が当時においても「厳粛なるもの」だったのかどうかもわかりませんし・・・。
(もしかしたら「いい感じの音が出るアイテムがあんすよ」みたいな感じで採用されただけかもしれん)
仏教が広まる前の葬儀ってどんなのだったんでしょうね。
村のみんなで火を焚いて、歌ったり踊ったりしながら弔ったのかなぁ。
>お寺の門戸
物理的にじゃないのはわかるわ!wwww
急に「門を大きくしたいのよー」って話をぶっこまれても困りますしw
僕がお世話になってるお坊さんも、もっとお寺を気軽に来れる場所にしたいって言ってました。
それでヨガやったりお茶会したりしてて、たまに参加するんですけど・・・お婆ちゃんしか来ないっすねw
ただ、じゃあ今の時代で「お寺に行く必要性」があるのか?というと・・・特にないと思ってて。。。
あ、でもお寺ってすごくシーンとしてて・・・そこでヨガとか瞑想とかするとすごく多幸感に包まれることは体験済みです。
なので、それをもっと推していって、お寺の居心地の良さみたいなのが伝わるといいですね。
>あまり責めないで
責めてないもん!!!
あ・・・でもそうか。
「全然意味わかんないんですよ」とか、ちょっと喧嘩売ってる感じになってますね、、、すみません。
一応僕の中ではブログ記事後半にあったお寺さんのブログの紹介が真理といいますか・・・。
「お経なんて意味ねーぜー!」って思ってる方に共感してもらったうえで、その本質を知ってほしいなという想いはありました。
どっちかというと「お坊さんが悪い!」のではなく、「何も考えずにありがたがってる僕ら・・・どうなん!?」っていう気持ちです!!!
>お星様になった時は
妻のお父さんが本当に家族葬で、うちの息子をいれて全員で5人という小さな葬儀でした。
お墓もありません。
それでもちょいちょい思い出しては話題にあがってます。(大事マンブラザーズか!!!)
うちの母親も葬儀はしないでくれって言ってるんですよね・・・。その時にはその意見を尊重したいなと思いますし、僕の代になったらうちのお墓ももう要らないかなって。。。
でも亡くなった人に「お別れの儀式をしたい」と思っている方もいるかもしれないし・・・難しいところですな。真面目か!真面目か!真面目かっ!!!!!