僕はなぜR-1グランプリを見逃してしまうのか?【ワクワクしてない】
毎年M-1は始まる前からソワソワしだして確実に録画もするようなワタクシですが・・・なぜかR-1は見逃してしまうのです。
本当に個人的な感想で恐縮ですが・・・R-1はなんていうか、ワクワクしないのよね。。。
なんでなんだろうなぁ・・・。
見たら見たで「フフッ」ってなるし、面白いのに。
なぜか「お祭り感」が少ないような気がするのです。
そこで、なぜR-1はあまりワクワクしないのか?を考えてみました。
R-1がワクワクしない理由3つ
僕が思うに、以下3つがその理由なんじゃないかと。
- 爆笑することがない
- 審査軸もブレ気味?
- そもそも「ピン芸」という曖昧さ
※あくまで主観です
爆笑することがない
どうしてもピン芸・・・つまり一人でやっている以上、漫才のような「掛け合い」が生まれづらく、「ネタがヒートアップして大爆笑」というところに辿り着かないのかな~?という気がします。
どちらかというと静かに始まって静かに終わる・・・「フフッ」「クスクス」というニヤニヤするようなネタに寄りがちなのかな?と。
シニカルなネタとでもいいましょうか。
※陣内さんのネタみたいな音声にボケさせて突っ込んでいくスタイルだと漫才に近いんですけどね!
ゆえに若干「笑いに対する期待値」みたいなものが下がりがちなのかも?と思いました。
・・・まぁ、そうは言っても大喜利とかって「お題に対してボケる」という一人完結型の笑いで大爆笑することだってあるのよね。
だから「ピンだから爆笑できない」ってわけじゃないんだろうけど・・・。
審査軸もブレ気味?
で、そういうネタが多いからなのかはわかりませんけど、単純に「笑いの量」というところだけで審査できてないような感もあるのかなと。
今回大会でいうと優勝した田津原理音さんのネタが、面白いかどうかの前に「ステージでやるネタなのかどうか」という理由で低い点数にされているなどが気になりました。
テレビの前で見ている視聴者は「ステージでやっているかどうか」というところはあまり気にしていないんですけどね。
(というかテレビで観ている以上「テレビのネタ」なのでw)
要はそこらへんの審査軸というのが視聴者と審査員とで合ってないと・・・やっぱり見ていて退屈になってしまうのかな~。
※Web記事では「YouTubeでやるようなネタをステージでやる意味」みたいなのが問われてましたけど、、、あれはまぁ、「YouTubeの開封動画ありき」でのパロネタってことなんだと思うんですよね・・・。
笑いってその辺の「前提の教養」みたいなところで評価が大きく左右されるのが難しいっすね、、
そもそも「ピン芸」という曖昧さ
んで!
そういう審査の軸がブレブレになってしまうそもそもの原因が「ピン芸日本一決定戦」というところにあると思ってて。
「ピン芸ってなに?」とw
一人で何か面白いことをやれば何でも(たとえそれが「コンビのネタを一人で出来るようにアレンジしたもの」だったとしても)OKという、ある種「異種格闘技」「バーリトゥード」なのかと思いきや、「面白くてもステージ用のネタじゃないと気持ち悪い」みたいな評価もあったりするわけじゃないですか。
もうその「ピン芸日本一」という肩書そのものがブレブレなんじゃないのかなぁと。
極論で言えば、漫談、浪曲・・・一人で芸事をやればピン芸なわけですもんね。
そうなると決勝に残る人達も玉石混淆、烏合の衆・・・となっても不思議ではない。
(この辺、W-1にも通ずるところがありますな、、)
ゆえに、視聴者もイマイチM-1ほど「笑う」というところに期待ができない→ワクワクできないということになってないでしょうか。
※まぁ、言うてM-1もマジカルラブリーさんの電車のネタとか「これが漫才か?」という論争はありましたが、、、
おわりに
もしかしたらそういったところが「R-1優勝の旨味がない」と言われるような部分にも繋がってきているのかもなぁ~なんて考えてしまいます。
M-1優勝者のような、他のバラエティ番組に呼べば”絶対的な賑やかし、笑いに繋がる人達”であるとは限らず、「R-1優勝者は使いづらいんだよな」みたいなw
まー全部妄想ですけども。
とにかく僕は・・・なぜかR-1を見逃してしまうのだ!!
(いまはTVer見逃し配信とかあって便利ですぞ)
追記
WikipediaによるとR-1は「一人芸で誰が一番おもしろいか」を決める大会だそうです。
・・・が、R-1の「R」は「落語」を意味するそうで・・・もうその辺がブレブレなのももしかしたらアレなのかも・・・?
さらに追記
ようやく見逃しみたけどサツマカワRPGさんのネタもクッソ面白かったなぁ、、、