映画JOKERはバイオレンスよりも「悲しい物語」でした!ホアキン・フェニックス版ジョーカーを観た感想
2022/01/29
ついにホアキン・フェニックス版(トッド・フィリップス版というべきか)のJOKERがAmazon Prime特典としても解禁されまして、早速観てきました。
バットマンのジョーカーと聞くと、古くはジャック・ニコルソン版からジャレッド・レトのそれまで、とにかく狂気!という印象があって、今回の映画も「ジョーカーの生い立ちを描いたもの」という触れ込みから「バイオレンス色が強い作品なのでは?」と、やや憂鬱になりながら観始めたのです。
(若い頃から暴力的な映画はニガテなんすよ、、、)
でも本作を観終えた感想としては、「とにかくとにかく悲しい物語」という感じでしたね〜。
バイオレンスシーンももちろんあるんだけど、それよりも悲しいというのが際立ってました。
そして、ずるい。
あんな描写をされてしまったら、ジョーカーのとった行動が正しいような気さえしてしまうではないですか。
DC正史(があるのかどうかはさておき)とは違う、独立したifストーリーでありながら、どこか「ジョーカーの生い立ちはこうであってほしい」と感じてしまうような・・・そんな作品だったと思います。
というわけで・・・僕が観た感想をタラタラ書かせてくださーい。
映画JOKERはバットマンを知らなくても観れる
映画「JOKER」はアーサー・フレックというコメディアン志望の青年が如何にしてバットマンのスーパー・ヴィランであるジョーカーに変貌していくのかを描いた「ジョーカーの生い立ち」的な作品です。
そのため、なんとなく「DC作品やバットマン本編を知らないと楽しめないのではないか??」と不安になる方もいるかもしれません。
んがっ!!
本作はバットマンの前日譚を、またはジョーカーというキャラクターを利用した完全独立の物語であるため、バットマンを知らなくても楽しめるようになっていました。
むしろ映画にはバットマンが出てこないですし。
ただもちろん、スーパーヴィラン・ジョーカーがどういう容姿でどういう性格のどういう存在なのか??
ブルース・ウェインが何者なのか?
ゴッサムシティとは・・・?などを知っているとより楽しめるであろうことは間違いありません。
逆にDCファンこそ楽しめるのか謎
逆に・・・DC作品が大好きで、バットマンやジョーカーも作品でたくさん観てきたという人はどうなんでしょうね。
たとえばジョーカーが売れないコメディアンであるという設定は1988年のBATMAN: the killing Jokeという作品で触れられていたそうですが、緑の髪や白い顔・・・頬まで開いた赤い口などの理由付けがこれまでのバットマン作品のそれとは違うわけですよ。
あと本作だとブルース・ウェインの家系の印象が非常に悪いというかw
あの描かれ方だと、トーマス・ウェインの肩を持つ人っていないだろうなぁと。
そうなると後のバットマン誕生も素直に喜べないような、そんな気もするのですが・・・どうなんでしょうか??
でもこの作品ってめちゃくちゃに評価が高かったし、DCファンも納得だったのかな!
どこまでがジョークでどこからが現実だったのか?
さて、僕の鑑賞後の感想としては「どこからどこまでが妄想だったんだろう!?」というものでした。
おそらく物語の語り部はジョーカー本人であり、これが彼の口から語られたものなのであればこそ、「いったいどこからどこまでが実際に起きたできごとで、どこからどこまでが創作だったのか??」というのはハッキリしない部分なのではないかと思うのです。
というか、そういう仕掛けが映画の最後に隠されているんですよね・・・。
まぁ、この手の映画って「ご想像におまかせします(笑)」エンドなことが多くて、どういう風にも解釈できますし、どの解釈も間違ってないってことなんだと思いますが、、、
最後のジョーカーはジョーカーなん??
ここからはネタバレになります。(未視聴の方は注意)
映画の最後に登場するジョーカー、彼が一体何者なのか!?というのが視聴者を悩ませているわけですよ。
染め上げたはずの緑の髪になってないとか、自分が関与してないトーマス・ウェインの最期を知っているとか。
「なぜ???」となってしまう部分があります。
・・・まぁ、緑の髪は洗髪で落とせるアレだったのかもしれないし、ラストシーンがいったい時系列的にいつなのか?(たとえば緑に染めてから数ヶ月・数年後の可能性)もわかりません。
トーマスの最期もジョーカー自らが観た記憶であるとは明言されてないため、あのカットインに特に意味はないのかもしれませんが。
あえて意味をもたせるなら、あれはジョーカー本人ではなくトーマス・ウェインに発砲した「ジョーカー信者のピエロ」である可能性もあるのかな。
ジョーカーに心酔しすぎて、自分がジョーカーであると思いこんでしまっているとか?
(だから発砲前のセリフも、ジョーカーがマレーに放ったのと同じ「報いを受けろクソ野郎」というものだったのかなーとか)
まぁ、この辺はもっと深く観ていかないとわからないだろうし・・・いや、深く観ても理解なんてできない部分なのかもしれないので・・・深く考えない方がいいのかもですがw
本当にソフィーの件だけが妄想だったのか?
アーサーが想いを寄せていたソフィーの件は、全てアーサーの妄想だったことが物語の途中で明らかになります。
「たしかアーサーでしょ?」という発言や「お母さんを呼ぶ?」という発言が、それまでに関係を築いてきた2人の間には出ないものですし、映像でも「本当は2人じゃなくて1人だった場面」というのがしっかり描かれましたよね。
そうなるとじゃあ物語冒頭でマレーの番組で舞台にあげられたこととか、大スベりしたコメディの舞台で後半は笑いを取れていたこともやっぱり妄想ってことになるわけですよね。
まぁ、マレーの件は最後に番組に呼んでもらえたところで回収できてるし、ソフィーの件も妄想だったんだから・・・あのシーンも妄想に過ぎなかったというのがわかるわけですよ。
・・・となると?
この作品全体がアーサーの妄想であったとしても何らおかしくはないのかなーと。
「ジョーカーってこんなに悲しい生い立ちなんやで」っていうのを語って、憐れむ人をあざ笑いたい・・・みたいな。
ソッチのほうがすごくジョーカーっぽい気もするのです。
ジョーカーってこんなに悲しそうに笑うのかよ!
しかし、僕のイメージするジョーカーってもっとサイコパスっていうか。
人を*しておいて「HAHAHAHAHAHA!!」って笑ってる(目が笑ってない)みたいな印象があったんですけども。
本作のジョーカーはあまりにも苦しそうに、そして悲しそうに笑うわけですよ。
それが病気(トラウマ)のせいである・・・という設定ではあるのですが。
これがねえ、最後のシーンの笑いだけは・・・悲しそうでも苦しそうでもあり、狂気もあり・・・みたいな感じでめちゃ秀逸なんですよね。
※だからこそあのジョーカーは”黒い髪だったとしても”、アーサーなのである!(知らんけど)
おわりに
まぁ、そんな感じで・・・とにかくすごく面白かったです。そして悲しかった。
これは名作やな、、、
ただし、元気のある時にしか見られない感じではあるけどもw
そうそう、ホアキン・フェニックス氏ばかりに注目してしまいがちですが、マレー役のロバート・デニーロ氏もね・・・。
映画「タクシードライバー」の狂気と本作を無理矢理にでも繋げたくなってしまう感はあるのですが、うん、僕には無理だった。
・・・むしろキングオブコメディだったのか!?(僕はまだ観てないのだけれど・・・)
追記
全然関係ないけど・・・最近「スタンドバイミー」も観まして。金曜ロードショーだったかAmazon Primeだったかで。
あれに出てたお兄ちゃん(リヴァー・フェニックス氏)が、ホアキン氏の実兄だったんですよね。
そしてスタンドバイミーには若き日のキーファ・サザーランド氏も出ていて・・・なんか映画ってこうやって繋がっていくんだなぁ~と思ったとか思わなかったとか。。。
(とりあえずコリー・フェルドマン繋がりでグーニーズを、スティーヴン・キング繋がりでショーシャンクを観たというのは前も言ったっけ)
2022/01/29