ブログが書けたよ!

自分がやってきたことだけなんでも書く、ジャンルむちゃくちゃマガジン

覚えること、調べること、考えること・・・どれが一番大切なのか?

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先日、息子が小学校のテストの穴埋め問題ができずに落ち込んでいました。

本人曰く「僕は覚えるのがニガテなんだ」とのことで・・・。
暗記問題になると途端に難しく感じてしまうのだとか。

実は我が家は両親ともに暗記が結構ニガテでして。
単純に「歴史の年号を覚えんかい!」みたいなのって全然できなかったりするんですよ。

なので息子くんの気持ちは痛いほどにわかるのであります。

さらにいうと、単純な暗記というのは応用力に欠ける可能性があるんですよね。

たとえば理系の人なら「256×256が65536」というのは直感的に覚えていると思うんです。
あとは「1+2+3+・・・+10=55」みたいなのも。

でも、じゃあそれが他のシーンで使うのか?と言われると、そんなことってないわけで。
必要であれば電卓を使うなり、計算するなりで解決出来る問題なのであります。

・・・ん?
そう思うと「暗記」って全然必要なくね???

必要になったら調べればいいだけじゃん・・・?

覚えてなくても、調べられれば問題ない?

そうなんですよ。
暗記って本当に意味がなくって・・・たとえば「672年に壬申の乱が起きた」みたいなのも、それが671年だったっけ?何の乱だっけ??となっても本来は問題ないはずなのです。

大切なのはそういう出来事があった、ということや、その出来事の中身でしょう?
・・・それが何年に起きたのか?なんていうのは調べれば済む話なのです。

それじゃテストで高得点が取れない

覚えていないと困るシーンがあるとすれば・・・それは「テスト」だろうと思います。

僕が子供の頃のテストといえば、辞書の持ち込みや電卓の持ち込みが禁止されていました。
ゆえに、英単語を覚えていなければ英語のテストは全く太刀打ちできないし、計算ができなければ算数の問題も解けなかったわけですな。

テストで高得点が取れないとなぜ困るのかというと、良い進学先に進めないとか、企業の入社時に足切りされてしまうとか・・・そういう弊害があるからです。

なんかおかしいよ!

でもそれってどうなんでしょうね?

実際にサラリーマンになってからも、僕は仕事のシーンにおいていろいろ調べながら作業をしてたんですよ。
今だって難しい言葉なんかは調べながらブログに書いたりしてるし・・・。

なんだったらお店でレジ打ちしてる人・・・一切暗算なんてしないでしょ?
むしろ暗算したら叱られるレベルっていうか、、、みんなレジの電卓を信用しているので、そればっかり使うわけです。

それなのにテストの時だけ「調べちゃいけない」「電卓を使っちゃダメ」みたいなのってすごくおかしくないですかね・・・?

調べるためには覚えている必要がある?

ただ、一つ思うのは・・・調べるということをするためにもある程度の覚えは必要かな、というところです。

たぶん知識がゼロの状態の人だったら、わからないことが合った時に「何を調べたらいいのかがわからん」っていうレベルになってしまうと思うので・・・。

たとえば「速度を求めるにはそういう公式がある」とか、それぐらいは覚えておいてもいいのかもしれません。

なので!
調べられる人なら、必ずしも覚えてなくても良いのではないか!?と思うのであります!!

※事実、僕も大学の頃のテストでは普通に辞書類の持ち込み可、ネット検索可だったりしました。

ただ、いちいち調べてるとどうしても時間がかかるため、覚えてる方が解答にたどり着くまでは早いです。
そして何より「覚えてる方がカッコいい」ですけどね!

ナニコレ「ぱあまや」を本当に若い子はわからないのか!?

考える、はどうよ!?

さらにいうと、覚える・調べると並んで「考える」っていうのも大切だと思うんですよ。

前述の壬申の乱の件なんかまさにそうなんですけど・・・僕が中学生の頃のテストって

「壬申の乱が起きたのは西暦何年か」

みたいな問題だったわけです。
で、みんな「672年・・・壬申の乱!!!」と何度もぶつぶつ復唱しながら覚えました。

※実際には「ぼくらの七日間戦争」の決め台詞だったから覚えてただけなんだけどw

でも大人になって、「では壬申の乱とは何だったか?」と言われると、、、案の定覚えてなかったのです。
そして、それが後の世の中に何をもたらしたのか??など、その背景的な部分はまったく知らなかった。

僕はこれ、当時「考える」ということを放棄していたからなのかなと思うのです。

とにかく暗記ばかりで考える余裕がなかったのかも

中学生ぐらいの頃って、英単語覚えたり、漢字覚えたり、年表覚えたり、公式覚えたり・・・とにかく脳を「覚える」という部分でフルに使っていました。

僕の脳みその容量が少なかったのかもしれませんが、覚えるという以上のことが出来なかったのではないかと。

でも本来は歴史の背景とかを考えることができれば、もっとスッと頭に入ってきたんじゃないかって思うんですよね。

そして考えることができれば応用も効くようになるだろうし・・・。

基本的な教養なくして、考えられるのか否か

・・・ただ!!

僕が今そう思うのは、「覚える」ということを通じて基本的な知識を身につけてきたからこそであって、それがない段階の少年少女にいきなり「考える」というフェーズに飛ぶことができるのかどうかはわかりませんな!

色々なことを知って、いろいろな世界を見たからこそ考えられるということもあるわけで。
672年に壬申の乱があったことを知らない子は、その背景に何があったのかなんて考えられるはずもないですし。。。

となると、やっぱ「覚える」っていうのは一番最初に必要な教養なのかもしれませんな、、、

おわりに

・・・なんそれ!!!!!

なにこれ。なにこの記事!
結局自問自答して、最初に戻ってはいおしまい、、、みたいな。なんそれ!

まあ・・・あれです。
日々こんなことばっかり考えてモヤモヤしております。(よって頭もハゲ気味です(因果関係なし))

   

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