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ポケモンGOを批判する人は「人と違う感性のおれ、カッコいい」と思ってるだけで何も生み出さない可能性

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      2020/05/04

ポケモンGOが7/22にリリースされて早一週間。
一気にニュースやワイドショーでも取り上げられるようになって、本当に”社会現象”と言えるような状態になっていますね。

特にポケストップやジムがある周りには(僕も含め)不自然に立ち止まってスマホの画面を上にスワイプする姿が目立つようになりました。

リリースから数日は「運転中のポケモンGO、検挙数○件」のような、まるでポケモンGO自体が悪かのような扱いをされていましたが、果たしてこの人たちは「ポケモンGOがリリースされたから、はじめて運転中にスマホを触った」のだろうか?と疑問です。

 

このあたりはその人その人のモラル感の問題だと思うんですけどね。

これに関しては永江一石さんの「 飲酒運転とポケモン運転を比較したら「ポケモンより酒を禁止しろ」になりますね」という投稿にも書いてあって面白かったです。

自転車に乗ってポケモンGOやってるヤツは、いままでも自転車でLINEやってたはず。いまに始まったわけじゃない。こういうヤツは平気で路駐するし、平気で吸い殻や空き缶を捨てるし、立ちションベンはお構いなしだし、酔ってゲロは吐くし、下手したら野ぐそまでするヤツだ

若干断定的で極論過ぎるとは思いますが、ほんとこういう感じ。
ポケモンGOが一種の引き金のようなものになるのかもしれないけれど、その引き金を引く素質はそもそも持ち合わせていたってことですよ。

こういうのは突き詰めていくと、「自動車事故が起こるから車は撤廃すべきだ」とか「地球が汚れるから人間は絶滅すべき」という話になっていって、「いやいや、そうじゃないでしょ」って思うわけです。

ポケモンGO批判と経済効果

と、まぁそんな感じで批判されがちなポケモンGOですが、
僕が思うに、批判している人は、そのブームの裏にあるパワーみたいなものを軽視してませんでしょうか。

「日本を元気にする!」みたいなスローガンってよく見かけるけれど、
個人的にはこれほどみんなが元気になっている姿って、なんか久しぶりに見たなと思うんです。

だって、本当に街を歩けばみんながみんなスマホの画面観て歩いてますからね。
危ないっちゃ危ないけれど、それだけ多くの人間が熱中できるものって、物凄い経済効果を秘めていると思いませんか?

なんだったら東京オリンピックよりもみんなの関心は高いんじゃないの、これ。

そういう現象をさておいて「公園に人が集まって気持ち悪い」とか「ブームに振り回されないおれ、カッコいい」とか「危険だから排除すべし」とか言うのって、

だから景気は良くならないんじゃない?

って思っちゃう。

自分の給与が上がらないのは会社の業績が上がらないからです。
会社の業績が上がらないのは、サービスや商品が売れないから。(サービス業とかの場合は。)

サービスや商品が売れないのは、「そのものに魅力がないから」と思いがちですが、
どちらかというとみんなのハードルが上がってしまってちょっとぐらいの魅力じゃ騒がなくなった、ってのが大きいんじゃないでしょうか。

もっと社会全体で「うっひょおぉぉー!ポケモンGOすんげえええええ!!!」ってなれば、
主に任天堂まわりの経済が潤って、そこらへんから景気が良くなったりしないんでしょうかね?

うん、もっとマクロとかミクロとか勉強しなきゃダメだ。

 「飽きた」という人が多い理由

ちなみに友人から早々「ポケモン飽きた」というLINEが来まして。

僕はそれに対して「言ってもソシャゲの域を出ないからね」という返信をしてしまいました。

ポケモンGOをやっていて感じるのは、モバマスとかと同じような感覚。
要するに純粋にモンスターを捕まえて、育てて楽しいというのではなくて、他者と競っていかに優位に立てるか?みたいな。

これって結局のところ青天井だし、他者に比べてゲームを進めるのが困難な状況にある人から飽きていくのは目に見えています。

※その点、ツムツムとかはゲーム性が高くて、もっと流行っても良かったのになーと思うんですが。

そんな「飽きた」という声に対しても先ほどの永江さんのブログでは

ポケモンは20年以上続いているよく練られた戦略ゲームです。戦略を考えないで単に集めても全然つまらない。囲碁を少しやってみて黒と白の陣地をひっくり返すだけでつまらない、囲碁なんてすぐに廃れるっていうのと同じじゃないですか?

と書かれていて、なるほどと思いました。

ソシャゲって無料で出来るから参入障壁が低いわけです。
昔のゲームのように数千円も払って買っていないから、ちょっと触ってみてすぐに「飽きた」って言えちゃう。

でも確かに僕はポケモンの属性も知らなければ、そのキャラの背景も知らない。

たとえば「コイキング」というモンスターをゲットした時に、弱いヤツなのに進化させるのにアメが400個も必要だった、という場面に出会ったときのこと。
(ゲームをやっていない人の為に補足すると、「モンスターの進化」もゲームの醍醐味の1つで、たいてい10数個~100個程度の”アメ”で進化できる)

友人に「なんでアメ400個も必要なの?」と聞いたら、

初代ポケモンにおいて結構序盤で入手できるコイキングを頑張って進化させると、ギャラドスっていう強いポケモンになるからじゃね?

とのこと。

そうだよな。なるほどな。
前提として知っていると知らないだと、そりゃ楽しみ方も違うだろうし、
表面だけなぞった人と、奥まで理解した人では感じ方も違うと思います。

モンスターごとの属性があるなど、戦略的に楽しめるものを知ろうとしなければ、楽しみ方はある一定のラインで終わってしまうわけですね。

おわりに

というわけで、ポケモン批判をするのも「飽きた」とするのも、もうちょっと目線を変えて考えてみない?というお話でした。

正直僕の妻は「気持ち悪い」と言っていますし、僕自身駅前で立ち止まってポケモンをやるのを恥ずかしいと思っているのも事実です。

でも、こういう社会現象の先に”動く経済”ってあるんじゃないの?って思ったら、
批判するような立場の人はこれを無視しちゃいけないような気がする。

そんなお話でした。

とはいえ、まだまだ日本ではリリースされたてで何とも判断がつかない中でコメントせざるを得ないような状況なわけで、大変だなぁとは思いますが。
このムーブメントが社会をどう変えていくのか(それとも変えないのかw)、楽しみなところです。

   

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      2020/05/04

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