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息子が幼稚園で同級生に「自粛」を促されたお話

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自粛・・・って、読んで字のごとく、「自分で」行動を制することを意味しています。

Google日本語辞書「Oxford Language」によれば

自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。

となっていました。
つまり「人に強制されるもの」ではないわけです。

だからまぁ、日本の新型コロナ対策における「自粛して~」みたいなのって抑止効果が薄いんでしょうね~。(知らんけど)

さて先日、息子の通う幼稚園で「大根を収穫する」というイベントがありました。
息子は幼稚園から帰ってくるなり、涙ながらに「これはどうなんだ!!」と訴えてきたことがあったので紹介したいと思います。

息子が「大根なんか抜かなきゃよかった!!」と大泣きしたわけ

大根の収穫というのは幼稚園における年次行事のうちの一つで、例年これぐらいの時期には園児たち(年長さん)が畑にいって収穫体験をさせて貰えるのです。

・・・が、今年は新型コロナウィルスの影響もあってなのか、「大根を抜くことができるのは代表で選ばれた数名のみ」ということになりました。
普段あんまり運が良くない我が家の息子くんなのですが、その日ばかりはその大役に抜擢されまして、みんなの見守る中で大根を抜いてきたのだそうです。

無事、大根を抜くことができて、息子は大喜びしたそう。

すると・・・普段からあまり仲の良くない(というか、性格的に合わないんだと思うw)クラスメイトが

大根抜くの、やりたくてもできない子がいるんだから喜んじゃダメだよ!!かわいそうでしょ!

と息子に自粛を促したのだとか。

僕だったら「え?頭だいじょうぶ?」って言ってあげるんですけどね・・・息子にはそれがどうにも悔しかったそうでw
結果、家に帰ってきてから大泣きし、僕に訴えてきたのでありました。

思い出すのは3.11よ・・・

それで思い出したのは、東関東大震災の時のこと。
津波によって多くの命が奪われ、特に東日本の人達は陰鬱としたムードになりました。

で、そんな中で、そこまでダメージを受けなかったうちの近所でも「さくら祭りは中止しよう」みたいな話になったのです。

それが「被災地救援で人手や材料が足りない」というならまだわかりますが、「辛い思いをしている人たちがいるんだから、自分たちだけ楽しいことをしてはいけない」っていう風潮だったんですよね。

まぁ、実際どうだったかはわからないけど、あちこちでそういう声が聞こえてました。

これが「自粛」なら、まぁ・・・好きにしたらいいと思うんです。
でもそれを強制してしまうのは、やっぱりおかしいなと。

・・・そもそも、被災された方たちは「自粛」を望んでいたのだろうか???

かわいそう、の範囲

息子とその話をしていて、僕は「日本に生まれていること」がいかに恵まれているのかを説明しました。

要は、今こうしている間にも、世界では飢餓で亡くなる子、戦争の犠牲になっている子などがたくさんいるわけです。
日本では軽い病気と診断されるようなものでも、宗教的な理由や経済的な理由でその処置ができずに死んでしまう子だっているでしょう。

そういう子たちのことを考えたら、君は「笑って過ごす」ということすらしてはいけないのか?
嬉しいという感情を表に出してはいけないのか???

人類という枠を超えて考えるなら、食糧になるべく飼われている動物たちは可哀想ではないのか?
害虫として殺される虫や、それこそ邪魔者扱いされている新型コロナウィルスだって「かわいそう」なんじゃないの・・・?

・・・という話をつらつらとw

「パパの話、なげえ」とか言われながらも、まぁ・・・なんか一応は腑に落ちたみたいで、「あした幼稚園に行ったら、あいつに言ってやる!」となっていました。(ちなみに翌日は土曜日で幼稚園は休みだったのである)

おわりに

自粛っていうのは、やっぱりあくまでも自分で決めることなんです。

だからまぁ、大根を抜くにしても「抜けなかった子がかわいそうだな・・・喜ぶのはやめておこう」つってムスッとした顔で体験するのも自由だし、「世界にはかわいそうな子たちがたくさんいるから、僕は笑わないで生きて行こう」みたいなのも・・・自分で決めたらええ!

ただ・・・せっかく園児のために用意した「大根収穫」というイベントですよ。
そんなつまらなさそうにやられたら、、、そこの農家さんが可哀想だったりするんですがそれは

   

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