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なぜ「センス」で勝負をしてはいけないのか?

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僕は若い頃、よく「センス」で勝負をしていました。

たとえば写真。
絞り値とか、その手の技術を学ばずして、それっぽい廃墟みたいなのを撮るとか、白黒フィルム使ってみるとか・・・要するに「手軽にプロっぽく」を目指していたのです。

あとは絵画とかイラスト。
僕は美大受験をしたのですが、デッサンの腕を磨くなどもせず、一番の難関である芸大の試験において「発想力」「奇抜性」だけで勝負かけました。

それから音楽でしょ、仕事でしょ・・・etc…etc…

まぁ、挙げて行けばキリがないです。

それもこれも多趣味器用貧乏、そして飽きっぽい、理屈っぽい(=水平思考に頼りすぎ)みたいなところが影響しているのかなと。

でも最近ようやく真理に辿り着けたというか、「あ、やっぱそれじゃダメなんだな」と気づけたのでシェアさせてください。

それはプレバトを観ているときに起きた

バラエティ番組の「プレバト」ってあるじゃないですか。
タレントさんが素人ながら俳句やら絵画やら、スタンプアートやらを頑張って、それでプロに評価してもらう・・・ってヤツ。

最近アレを観ていて「あー、この人、テキトウにやったな」とか「手を抜いたな」みたいな部分がなんとなくわかるようになってきたんです。

特に僕はちょろっと絵を勉強してきたことがあるので余計に、絵画とかスタンプとかのヤツは「どんな心理状態で仕上げたのか」まで想像できるようになりました。
(もちろん想像の域をでませんがw)

・・・まぁ、なんだったら俳句もわかるよ!
「流るる」とか「削りし」とか・・・なんかそれっぽい雰囲気のワードチョイスをしただけの句だと「ダメだろうなぁ~」ってw

んで、僕がそれに気づけるからどう、とかいうお話じゃなくて。
問題は「僕ごときに気づかれているようなセンス勝負・・・プロには絶対にバレてる」ってことなんです。

プロほどセンスを磨いているのじゃ・・・

思い出すのは美大の受験です。

その絵画を評価するのはプロなので、僕が付け焼刃的に表現した「センス」なんて「はいはい、センスセンスw」って思われてるわけですよ。
もう鼻で笑われてたんです。絶対。

なんていうか・・・僕が思いつくようなセンスなんて、その人たちはもう既に通り越してるんですよ。
もっと上の方で、一生懸命そのセンスを努力で磨いてきた人たちだから、その地位を勝ち取れたわけで。

だから、地道な努力もせずに勝ち上がろうとするやつの作品や仕事といったところには心を動かされることなんてないんだろうなーと。

ふかわりょう「センスで勝負するな。」が真理

そういえばだいぶ前のYoutubeで、ふかわりょうさんがAマッソさんたちに「センスで勝負するな。」と語っていたのを観て、すごく共感したのです。

この時のふかわさんは「テレビは団体芸だから」ということで、それを乱さないように・・・というような感じで説明されていたので「センスで勝負してもバレるぞ」みたいな意味ではありませんでしたが・・・個人的には「センスの塊」みたいなふかわさんが「センスで勝負するな。」っていうのがすごく熱かったのです。

「天才が一人で泳げるような場所じゃない」っていうのも良かったぁ・・・。

結局のところ、孤高のアーティストを気取るならセンスで勝負していったらいいんですよ。
誰に認められる必要もないし、自分のセンスだけをひたすらに信じていけばいい。

だけど、ひとたび「社会」に出てしまったら、やっぱそこはそれこそ「団体戦」みたいなもので。
個人のセンスがズバ抜けているからって「だからなんだ」って話になるんですよね。

おわりに

ま、言い訳になりますけど・・・なんか器用貧乏な人って若いうちにそのセンスを認められがちなのよね、、、

要領良く作業できちゃうから「上手じゃん」とか言われたりして、褒められる方法がわかっちゃったりして。
そのうちそこへの近道を探してしまうというか・・・その結果がセンス勝負だったりするのかなって。

一方愚直に努力で勝負している人っていうのは、なかなか目がでないかもしれないけれど・・・周りが「応援したくなる」んですよね。

そりゃそうだよね。
僕だって、手抜きで勝とうとしている人のことなんかよりも頑張ってる人の方が好きだものね。

もちろん「みんなが認めたくない人」なら、プロだって認めるわけにいかないわけですよ。

なのでまぁ・・・安易にセンスオンリーで勝負してはいけない、と。そういうお話なのでありました。(努力しようぜ!)

   

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