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多趣味・器用貧乏をポジティブに考えるための3つのこと。…と、向いている仕事について

僕は自他ともに認める”器用貧乏”だ。

たいていのことなら「やればできる」と思っているし、実際に本当にできないことなんて”さかあがり”ぐらいしかない。
※逆上がりに関しては子供の頃から一度もできたことがなくて、先日「大人になったしできるかも!」とチャレンジしてみたら全身の筋肉がヤバいことになった。

器用貧乏ゆえに、器用貧乏マン特有の悩みというのを抱えてきた。
それは「特定の分野でのプロフェッショナルになれない」ということだ。

熱しやすく冷めやすいという性格も器用貧乏になるために一役買っており、何かに興味が出た時にはものすごいスピードでそれを習得できる反面、そこそこできるようになったところで飽きてしまうために「プロフェッショナルになるためのスキルや知識」が育たないのである。

そのため、息子をはじめとして色々な人に「器用貧乏になるな。スペシャリストになれ。」と説いてきたのだが・・・最近は少し考え方を改めるようになってきた。

器用貧乏なら、器用貧乏でいいじゃないか。
それを活かせる仕事だってある。

いや、多趣味・器用貧乏マンじゃなければできない事だってあるはずだ。

・・・というわけで。
もし同じように悩んでいる人がいたら、以下の考えを参考にしてみてください。

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多趣味は無趣味・・・ではない

完全に決めつけで書いてしまうけれど、器用貧乏な人は「多趣味」な傾向にないでしょうか。
たとえば僕なら、ギターも好き、電子工作も好き、ミニカーも好き・・・食べるのも漫画を読むのもスケボーに乗るのも・・・とにかく「好き」と言えるものが多いんです。

おそらく器用貧乏と多趣味の因果関係としては、「飲み込みスピードの速さ」が関係していると思われます。
要点を掴むのが早いため、いろいろな事柄への導入がスムーズなんですね。

・・・さて、よく言われる言葉で「多趣味は無趣味」というものがあります。
果たしてこれは正しいのでしょうか?

僕が思うに、その答えはNoです。
「無趣味が無趣味」なのであって、「多趣味は多趣味」に他なりません。

本当に趣味がない人っていうのは世の中に存在しているわけで、僕ら多趣味勢が「無趣味」を名乗るなど、烏滸がましいのであります。

器用貧乏はゼロサムで考えられがち

ではなぜ「多趣味」の人間は「無趣味」だなどと言われてしまうのか?

それはおそらく「あっちもこっちも手を出してたらそこまでどっぷりもハマれないし、無趣味みたいなもんだろう」という考え方が前提にあるのではないかと思われます。
(これに関してはグゥの音も出ないわけなんですが・・・)

ただ、この考え方って「ゼロサム思考」に他ならないんですよね。

どういうことかというと、「あっちもこっちも手を出してるヤツは、1つに集中しているヤツには勝てない」っていう決めつけをしているということ。

これは「人間の能力は誰しも平等で、興味の深さと広さには限界がある」という前提に基づいているわけであって、その前提が崩れるのなら成り立たないルールなんですよ。

もっと簡単に言うと・・・たとえば手塚治虫先生とかレオナルド・ダヴィンチとかって、医者でもあり漫画家や画家、哲学者でもあったりしたわけでしょ?
一人の人間で複数のプロフェッショナルになるということは不可能ではないんです。

最近でいうとホリエモンとかがいい例ですよね。
あっちこっちに興味出していながら、あっちこっちで結果出してるっていう。

これは逆に、多趣味・器用貧乏気質の人間じゃなかったらできない偉業なのではないでしょうか。

つまり器用貧乏とは「多才」なのだ!

(まぁ、彼らは常人とは違うからこその偉人なのだけれどw)

そもそもどっぷりハマれなかったら趣味じゃないという考えがおかしい

そもそも・・・ですよ!
どっぷりハマれるものだけが趣味、なんていう考え方がおかしいんです。

例えば僕だったらソシャゲを空き時間で暇つぶしにポチポチやってます。
別に好きってわけじゃないし、どっぷりハマってないけど・・・これもある意味趣味ですよね。

逆に、漫画を読むのって大好きなんですよ。
「大好きって言えるほど読んでいるのか?」と言われるとなんとも自信を持っていいのか悩んでしまう部分もあるんですが、僕がそれを好きであるという気持ちに偽りはありません。

「好きだと思う気持ち」を否定するヤツが一番ウンコなんだから、キミは自信を持って良いんだよというお話

だったら「漫画を読むのは好きだし、趣味かな」って言ってもいいんじゃないかと。
(たとえ誰もが知る名作を読んでいなかったのだとしても)

浅く広い知識は悪・・・ではない。

多趣味になると、どうしても知識が浅く広くになると思われがち。

あながち間違いではないのかもしれないけれど、それははたして「悪」なのか??

知識が浅くて狭いと、そりゃーあんまり使い道がないかもしれない。
でも・・・広いんだぜ?

多趣味・器用貧乏は聞き上手

僕は自分の人生を振り返ると、そこそこいろんな趣味を持つ人に話を合わせることができたなぁ・・・と思ってます。
これって、いわば「タモさん」なわけですよ。

今は無き、笑っていいとも!の「テレフォンショッキング」のMCをできるわけです。

逆に?
趣味の幅が狭い人であれば・・・「最近スケボーにハマってんすよねえ~」とか言われても「あ、そう。・・・。いったんCMで~す。」ってなっちゃうじゃない。

そう考えると、物は使いようで。
多趣味・器用貧乏を輝かせられるフィールドもあると考えられるのです。

飽きっぽいんじゃない。ゴール設定が低いのだ。

僕は長らく自分の性格を「熱しやすく冷めやすい」→「飽きっぽい」と決めつけていました。

何か新しい趣味を見つけても、数か月後にはもう飽きちゃってるんですよ。

でも・・・これって本当に「飽きっぽい」ということなのか?と根底から疑ってみたのです。
すると一つわかったこと・・・というか、仮説が浮かびました。

それは「ゴール設定が低い」ということです。

僕らは短いスパンでゴールを繰り返していた

例えば「飲食店を開業する」という夢があったとします。
僕は実際にその夢があって、過去に叶えました。

普通の人なら、「飲食店を開業する」の中には70歳、80歳になっても板前としてお店で腕をふるっている自分・・・という姿を思い浮かべて行動に移すのではないかと思われます。
それゆえにスタートアップも遅かったり、夢が完全に叶うのが30年後、40年後・・・というスパンだったりするのでしょう。

でも僕の場合は違いました。
「飲食店を開業する」という夢の大部分を占めていたのは「やってみたかった」ということだったんです。

つまりは「やってみないとどういうもんかわからない。だからとりあえずやってみたい。」という気持ちがスタートであり、そこから得られることがあったならもうゴールみたいなもんだったわけですね。

他の人がどう思うかはわかりませんが、僕にとって「一度ゴールした夢」というのは今までほどの輝きがないのが普通です。
そのため、次に輝く夢というのがチラつき始める・・・というわけ。

ゴールは誰が決めるもの?

こういうことを言うと「あの人は途中で投げ出してしまっている」「あなたは結局何をやっても続かない」と周りの人は言うかもしれません。

でも、「そう思うならそうなんだろう・・・お前の中ではな」とでも思っておけばいいんです。
そもそもゴールって、誰がどう決めるものなんでしょうか?

たとえば先述の飲食店であれば、どういう状態になればゴールなのか。
それで安定して生活できるようになればゴール?店舗が全国展開できればゴール??

飲食店なんかに「安定」なんてありえないですし、結局は自分で「こうなればゴール」というのを設定するしかないんですよね。

大切なのは「おれは小さなゴールを決めまくった」ということを自分で認めてあげることなのではないでしょうか。

※余談ですが、僕の友人には「いつまで経っても自分を認められないマン」がいます。
彼の知識やスキルはそこらのプロに匹敵しそうなものなのに、自分で決めたゴール設定が高すぎてクリアできず「ワイはダメなヤツなんや・・・」となってしまっている。
これは本当にもったいないことだと思うのです。。。

そんな多趣味・器用貧乏マンに向いている仕事は・・・

多趣味・器用貧乏マンの特徴をまとめると

  • 知識・興味が浅く広くある
  • 飲み込みスピードが圧倒的に速い
  • 小さくゴールをたくさん決めて行ける

みたいなところかなと。

ではこれが向いている仕事は何か??
僕が思うに、それは「点と点を結ぶ仕事」だと思います。

世の中に点在する技術と需要を結びつける

世の中には多くの技術屋、職人さんがいます。
僕ら器用貧乏マンがクリアしてしまった低いゴールの先を突き詰めていった尊敬すべき職業の人たちです。

前述した「ゼロサム思考」でいえば、この人たちはその道を究めるために「その他の趣味、知識」を犠牲にしてきています。

それがどういうことかというと、「まわりの世界を知らない」ということ。

逆に言うと、この人達が持つ技術を潜在的に欲していながらも、そんな技術があるということを知らない人というのも世の中にはごまんといます。

こうした「世の中に点在する技術と需要を結び付けて新たなサービスを作る」というのは、幅広い知識や興味がある多趣味・器用貧乏マンにしかできないものでしょう。
そして、これからは点と点を結ぶサービスが重要だとスティーブ・ジョブズも生前語っていたということもあり、今後も世界においては必要とされる存在となりえるのではないでしょうか。

技術や知識の翻訳家

僕が社会人になってからずっと不満に思っていたことがあります。
それは「職人は説明がクッソ下手」というものです。

どの分野にも技術や知識に優れた専門家っているじゃないですか。
なんでも知っていて、この人に聞けば間違いない、みたいな。

でも、そういう人達って総じて説明が下手なんですよ。
下手というか・・・「相手も知っている”てい”でしか話せない」という感じ。

「親にスマホの操作を教えてあげようとしたが、うまくいかなかった」という経験はありませんか?
あれとかもスマホを使えない側からしたら僕らがプロフェッショナルに見えて、「タップ」とか「アプリ」とか、「もう何言ってるのか・・・そもそもわからないところがわからん」ってなってる可能性があるんです。

んで、なぜそんなことが起きてしまうのかというと、権威と素人の間で興味の差がありすぎるから・・・だと思うんですよね。

権威にしてみたら専門分野の知識についての興味は100ですよ。
一方、その分野に全く関わってこなかった人なら興味が1~10とかの可能性があるわけじゃないですか。

その人たちが会話しようとしても、そりゃー成り立たないわけで・・・「この専門家の人、何言ってるかわからん」となってしまいがち、と。

そこで重宝されるのが、30~50程度の興味を持てる多趣味・器用貧乏人間なわけです。
どっちの立場にも立てるので、うまくその間を取り持ってあげることができるんですね。

具体的には・・・

ではそういう職業って何があるのかというと・・・いろいろあるとは思うのですが、具体的な一例を挙げると「システムエンジニア」とかがそれに近いかなって思います。

要望を出すお客さんがいて、それを設計、プログラムというところに落とし込んでいくという中間に立てる人間。
お客さんはプログラムに関する興味がないので「何がどこまでできるのか?」というのを知りませんし、設計者やプログラマーというのは「お客さんはどういうことがしたくてそのシステムを欲しがっているのか」というところに頭が回らないことがあります。

その中間に立って、「どんなシステムなら実現可能か」「本当にその機能は必要なのか」「コストの割にあっているのか」などを多角的に考えていける人というのが世の中には必要なんですね。

もちろんこれはあくまで一例であって、たとえばイベンターなどの企画職、マネジメント職、営業職などにも必要なポジションはあるでしょう。

要は多趣味・器用貧乏マンって「オールマイティな歯車」になれる存在だと思うのです。
可能性は無限大だな!

おわりに

というわけで、多趣味・器用貧乏をポジティブに考えたらこんな感じになりました。

まぁ、実はこれ、僕がちょっと前に無茶苦茶悩んで導き出した答えなんですよ。
「ワイ、あれもこれも手を出し過ぎて、何も身についてないんじゃないか」と落ち込みましてね・・・「あ、でもそんなこともないか」と辿り着いたのがここだったんです。

とかく僕らって「自分がいるフィールドの中」だけで物事を考えがちだと思うんですよ。
でも先日、フィールドの外の人と話をしたときに散々「おまえは天才か」と言われまして。

僕にしてみたら、自分がやってきたこと、その「浅い知識」「低いゴール設定の技術」で提案をしただけだったんですが、相手にしてみたら「今はそんなことができる時代なのか」と目からウロコだったんだそうです。

僕もその人も「井の中の蛙」だったんですね、結局は。

自分のフィールドの外に目を向けると、自分が輝ける場所というのがあるかもしれない・・・ということです。

追記

ちなみに・・・専門的に職を極めた人の言葉というのは、僕ら多趣味・器用貧乏マンにとっては辛辣な時があります。

彼らにしてみたら、それを極めたことこそがその人を形成するものであり、それが自信に繋がっているため、自己防衛のために僕らを傷つけることもあるのでしょう。

でも彼らが知識や技術を縦に掘り続けてきた間、僕らはそれを横に広げてきたという誇るべき武器があることを忘れてはいけないのです。

   

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Comment

  1. ロードランナーK.K. より:

    オ、オレの為のコラムじゃないよね…
    お疲れ様でふ
    オレも浅く広く側の人間です!w
    かけたよさん、心の友よww
    自己肯定出来たのは同じく割りと最近ですよ
    十人十色を受け入れられるようになったのも、子供が生まれてからかなぁ
    それまでは、いかに対面した人間にマウントを取るかばかりを考えるような面倒な輩でしたねw
    誤解を恐れずに言うと、浅く広く側の人間は興味対象の大まかな情報を知れればいいのであって、そこから実際始めちゃうのか、どの程度までハマっちゃうのかは放っておいて欲しい訳で(勝手だなw)
    仰る通り、深く掘り下げてる側の人達は往々にして不親切な人が多く見受けられますし、そっちの世界へ誘うこともあまりないように「個人的」に感じます(皆が皆そうじゃないですけどねゴメン)
    あと、ハードルを高く設定しちゃう人は仕事であれ人間関係であれ大事な部分が疎かになってたりして、傍から見て「あぁ~…」ってなっちゃう
    真面目で良い人なんだけど、高めのプライドがそうさせちゃうのかなぁ
    自分も上手く出来てないですけど、人間関係とか物事を客観的に考えられない人が多いのもまた事実なんですよねぇ
    世渡り上手になんかなりたくないけど、面倒くさくても周囲の人達と上手く調和していきたいと思う自分は孤独好きな独りよがりなおじさんですw

    • kaketayo より:

      ロードランナーK.K.さん

      コメントありがとうございます!

      ち・・・ちがうよ・・・?

      なんていうか、僕のためというか、もう一人の僕に向けて書いているというか。。。
      心の友よー!!!www

      >いかに対面した人間にマウントを取るかばかりを考えるような面倒な輩

      いやー・・・心が痛い。
      僕も本当に2~3年前ぐらいまではそんな感じの人間だったように思います。。。(今でも完全に抜けきったわけじゃないけどw)

      >興味対象の大まかな情報を知れればいい

      そうなんですよね。
      ハマるかどうかはそこから決めるというかw

      よくないのは、それで「わかった気になっちゃう」っていうところで・・・そこらへんだけイキらないことを心掛けないとなぁと思っております。

      >皆が皆そうじゃない

      今回の話とは逸れるかもしれませんが、この「皆が皆そうじゃない」というのに気づけたのもここ半年ぐらいの話で。
      僕はどうしても「この手の人はこういうタイプの人間」というカテゴライズを勝手にしちゃってたんですよね・・・。

      でも本当に乳輪十色・・・じゃなかった、十人十色なんだよなぁと。自分がそうであるかのように。

      >ハードルを高く設定しちゃう人は仕事であれ人間関係であれ大事な部分が疎かになってたりして

      これも全員が全員そうというわけではないけれど、その傾向にある友人・知人がいるなぁw
      まぁ、その人その人の「役割」みたいなのが人生にはきっとあって、バランスタイプと一極集中タイプと・・・ってのに分けられるから世の中がうまく回っているのかもしれない。きっとそうだ!

      >世渡り上手になんかなりたくないけど、面倒くさくても周囲の人達と上手く調和していきたいと思う自分は孤独好きな独りよがりなおじさんですw

      ああ~・・・この一文になんか全部が入ってますねえw
      こうした自分の中の矛盾というか、そういうのも含めて認めてあげることが必要なんだと思う次第でございます。

  2. ロードランナーK.K. より:

    追伸
    お風呂入って思い出しました
    逆上がりはね、腹筋・背筋をバキバキに鍛え上げれば自力で回れますよ👍
    オレも小学生の頃は不可だったけど、中学で部活始めてバキバキになったらいつの間にか可になったもんです
    Don’t think, feel.
    逆上がり以外にも、泳ぎ方、人付き合い、授業をサボる方法etc…息子さんに色々教えてあげて下さい

    • kaketayo より:

      ロードランナーK.K.さん

      逆上がりのアドバイスThanksです!!

      僕はそういう基礎体力的なところが疎かだったので、自分の身体を支えるだけの筋肉が備わってないんですね、きっと。
      中学生になったらできると思ってたんですけど・・・結局できなかったなぁ。(で、大人になって急にやって筋肉つる、と)

      >泳ぎ方、人付き合い、授業をサボる方法etc…

      最後のヤツは自分でうまく学んでくれると信じて・・・w

      ただ、何か嫌なことがあっても思い詰めなくていいんだよ?っていうのはしっかり伝えてあげたいというか。
      僕がチャランポランでもここまで生きてこれたのをお手本に、人生を楽しんでほしいなと思います。