現役”器用貧乏”が語る、子供が将来苦悩しない為の育て方
2020/05/23
器用貧乏というのは、「なんでもそこそこ器用にこなせてしまうため、ある特定のジャンルに特化する事のできない貧乏人」のこと。(僕しらべ)
このブログがまさにそうで、ジャンルがバラバラのめちゃくちゃですよね。
器用なので興味があることにちょいちょい手を出せてしまう反面、いろんな知識が浅く広く身についていくのです。
もしかしたら
なんでもそつなくこなせて良いじゃん?
って思う方もいるかもしれません。
・・・が!
現役器用貧乏の本音を言わせてもらうと、なかなかに「ツライ」です。
以下、その苦悩と、子供をそう育てないためにどうするか??についてまとめました。
なぜ器用貧乏はツライのか
僕は本当に、子供のころからなんでもそこそこ出来ました。
例えば勉強なんかは小学生の頃は授業をほとんど聞かなくても80~100点は取れていたし、 絵を描けば市のコンクールに入選するし、 ピアノを習っていたおかげで音楽も得意…みたいな。
唯一、身体を動かすのが苦手でしたが、中学生になる頃には体も成長し、 クラスで中~上位に入るぐらいの身体能力も手に入れます。
そういうこともあって、なんとなく自分の中でも「だいたいのことはテキトーにやっておけばできる」という想いが生まれてきます。
興味が続かない
それだけ聞くと「恵まれている」とか「いいことじゃん」って思うかもしれません。
でも・・・本当に「片足」しか突っ込めないんですよね。
どっぷりハマる前に飽きちゃうんです。だから全部中途半端。
なぜか?
それは「テキトーにやっておけばできる」という自負があるため、「一つの事に熱くなる」という経験をあまりしてこなかったのが原因だと思います。
きっとスカしてたんですよ。
「そこそこの努力でできるのに、熱くなる意味なくね?」みたいな。(思ってはないけどw)
おかげで、同じ土俵に「自分よりもどっぷりハマって、それを愛してやまない人」っていうのがいると身を引いてしまうというか。
「僕が本当に好きなのはこれじゃないのかも・・・」という自信消失に繋がり、次の興味へと移動して行くわけです。
「その道のプロ」になりづらい
僕は不幸なことに、「いろいろなことに片足を突っ込んでは次の興味に行く」ということを繰り返しながら大人になりました。
それはこのブログを見てもらえばわかるとおりで、あれをやったりこれをやったり・・・と本当に節操がなく、、、「多趣味」と言えば聞こえはいいんですが、一つとて「これ!」と腹をくくれるものがなかったのです。
でも残念なことに、大人になって仕事をするようになると「その道のプロ」にならなければなりません。
もうそこは「興味がない」とかじゃないんです。
料理人になるなら誰よりも料理が上手なプロにならなければいけないし、イラストレーターなら誰よりも上手に描けなければいけない。
そして、「誰よりもそれを好きにならないといけない」と思うんです。
形だけでも。
(なぜならプロに仕事を頼みたい人は、その人がそれを好きであると信じたいから)
僕は、それらのことが出来ませんでした。
つまりどの道においても「プロ」になれなかったのです。
もしあなたが会社の社長で人を雇いたいと思ったとき「特定の問題を根底から解決できるプロフェッショナル」と「なんでもそつなくできるアマチュア」だったらどちらを雇うでしょうか?
器用貧乏は自分でやりがち
また、器用だと「人に物を頼む」ということをしなくなりがちです。
何か悩み事があった時に、自分で解決しちゃうんですよ。ちょっとやればできちゃうから。
たとえばウェブデザイナーでもないのにホームページを作っちゃうとか。
たとえば腕時計の電池が切れたから自分で電池交換をしちゃうとか。
僕だったらiPhoneの修理とかを嬉々としてやってました。
こういうのって一見、「お金が節約できて良い事じゃん」って思えるかもしれません。
・・・でも、結局はそこに「自分の時間」を取られちゃってるんですよね。
挙句、アマチュアクオリティのものができあがる、と。
時は金なり、なんで・・・自分の時間を取られても平気な器用貧乏さんは、やっぱり貧乏なのだと思います。(極論)
子供はどうやって器用貧乏に育つのか
さて、いったいどうやったらこういう器用貧乏マンが育ってしまうのか?
僕なりの見解を書いておきます。
もちろんこれが正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも僕はそう育ってきたということに違いはなく…何かの参考になれば幸い。
オール5を目指して頑張った子供時代
僕は母を尊敬していますし、ここまで育ててくれた事に感謝しています。
この気持ちに偽りはありません。
でも、僕が器用貧乏になったのには、母の教育が少なからず影響していたのでしょう。
母が僕を育ててくれた当時は情報も少ない時代でしたので、「子育てはオールマイティな人間を作る事がベスト」だと信じて疑わなかったのだと思います。
当時僕がよく言われた言葉の一つに 「○○さんちの子は通知表がオール5だったって」 というのがありました。
勉強もスポーツも芸術も、全部出来るからオール5なんです。
要するに母は、僕を「何をやっても出来る人間」に育てたかったんですよね。
子供の頃の僕はいつしか「僕は何でも出来る人間にならなければいけないのか」と思うようになっていきました。
それは本当に夢への近道?
僕は8歳ぐらいの頃に「漫画家になりたい」という夢がありました。
当時本当に漫画家になりたかったのかは定かではなく、ただ「絵を描くのが好きだった」ということ、よくドラえもんの漫画を読んでいたことを覚えているので、8歳児の頭で出した結論がそれだったんでしょう。
そんな僕に母がくれたアドバイスは「漫画家は頭が良くなければなれない。だから、まずは勉強しなさい」でした。
今思えば、母は漫画家になんてなったことがないんだし、漫画家になる方法なんて知らないわけですよ。
だからそういうしかなかったんだと思います。
また、当時の漫画家として母が知っていた手塚治虫先生がお医者さんだったというのも影響していたのではないでしょうか。
子供の頃の僕にしてみたら母親の話が「世界」なわけですから、その言葉を信じるしかなく、僕は勉強を優先させることになったのです。
結果、僕はいま漫画家にはなっていません。
なので、漫画家になる近道が何なのか・・・当時の母のように答えを持っているわけではないです。
でも、漫画家になるのに必要なのは本当に「勉強」だったのでしょうか?
絵も上手で、頭も良い人間でなければ漫画家にはなれないのでしょうか?
答えがNoであることは、成功している漫画家さんたちを見れば明白です。
むしろ漫画家になりたかった僕に今の僕が言える近道は「漫画を描いて、人に読んでもらうことじゃない?」ってことかなぁ。
わからんけど。
少なくとも「なんでもそつなくこなすことができるから漫画家になれる」とは思えないのです。
個性や興味を尊重すること
・・・まぁ、何が言いたかったのかというと、「なんでもできるように」とオール5を目指して勉強をするような育ち方をすれば、なんでもできる子が育つわけですよ。
その能力に差こそあれ、「突出して何かができる」という子にはならないのではないかと思います。
もちろん中にはなんでも本当にプロ並みに器用にできてしまって、多方面でプロとして活躍できる人間というのも存在していますが・・・ほんの一握りなんじゃないかなぁと。
だって恵まれすぎでしょ?そんなん。
だったら、その子が興味を持てることに対して一極集中できるような育て方っていうのがプロを育てる方法・・・逆にいうと「器用貧乏にしない方法」なのかなぁって。
子育てをしていると、どうしても「あっちの子はもうこんなに話せている」とか「あの子はあんなに上手に歩いている」とか比べてしまいがちなんですよ。
でもうちの息子とその子たちは違う人間なんだし、そのぶん他のことに強い興味を持っているのかもしれないわけですよね。
そういった部分を尊重して伸ばしてあげること・・・それがもしかしたら将来強い武器になるのではないでしょうか。
おわりに
といっても!どっちが良くてどっちが悪いのかはわからないですけどね。
僕は器用貧乏でツライと思う部分もあるけど、逆に言えば一点集中でプロになった人だってツライのかもしれないし。
そっちの人間になったことはないので、これはもうなんとも言えないところ。
たとえば職人になってしまうと、その技術が不要になった時に「つぶしが効かない」って可能性もありますしね。
※馬車を造る事に長けていた人は、自動車が登場した時にめちゃくちゃ焦ったと思います。ヘンリー・フォードを恨んだことでしょうw
本当に多方面に何でもプロ並みにできるほど器用なヤツなら、どんな時代になろうとも生きていけるでしょう。
問題なのは僕みたいに中途半端で器用なやつで・・・もしそんな器用貧乏を育てるぐらいなら「一点集中」させる子育てがいいんじゃないかな~と思った、そんなお話でした。
・・・まぁ、器用貧乏を親のせいにするような僕の言葉にどれだけ信憑性があるかはわかりませんがw
2020/05/23