夢に悩む人が読むべき漫画「デッド・オア・アニメーション」!最終回を読んだ感想
2023/08/08
ジャンプ+をいつも楽しく読ませて頂いてます。
昨年末あたりからスタートした「デッド・オア・アニメーション」が、ついに完結しました。
絵に関わっている人も、そうじゃない人も、学ぶべきことがたくさんあったマンガで、終わってしまったのがとても惜しいです。
というか単純にもっとこの人たちを見ていたかった。
綺麗に終わった最終回ですが、これはこれでまたグッと来るものがありました。
というわけで、デッドオアアニメーション最終回の感想です。
最終回の感想
アライブペンシル第∞支部にて、取締役の「江本表」とその弟である「裏」がやっと手を組み完成させた、”お日様帽子さんの遺作”である「龍×虎」映画版。
チュウさんから「成功する条件を満たしてる」と言われていたにも関わらず、結果として売り上げはまずまず。
仕事の世界においては「『みんなが頑張った』『出来が良かった』ということは売り上げに直結しない」ということを物語っています。
ムゲプロ時代のアニメーターが「(画力や動きじゃなくて)宣伝や流行で勝ってる」と評した表さんの手腕をもってしても、作品を成功させるのは難しいということなんですね。
こだわりが強くたって、売れなくっちゃ会社を存続できないわけで。
会社がなければアニメを世に出していくのも難しいわけです。
さて、そんな最終回は主人公・純が通うファミレスのおねーちゃんによる
「叶わないかもしれない夢に立ち向かう価値ってあるんですか?」
という問いに答えるシーンが、一人ひとりのキャラクターを映していてグッときました。
チュウさんの場合「叶わなかったとしても価値はある」
チュウさんはさすがに優しいだけあって、大人が言いそうなことを言ってますね。
・・・ってか、チュウさんリアルだとこんななんだw
実際に、僕らが生きていくうえで行動することに、一つたりとて無駄なことなんてないんでしょう。
失敗するということは、次に成功するための種であって、チャレンジする時は決して「デッドオアアライブ」ではないからです。
僕はエジソンの言う「1,000回のうまくいかない手段を試しただけだ」という話が大好きで、失敗を恐れて挑戦できない人は、自分が幼少の頃に上手に話せなかったり歩けなかったりしたことを忘れているだけだと言うことに気づいてほしいと思っています。
現に新薬を開発している研究者とかだって、なんども実験に失敗することで成功に近づくわけですからね。
たった一回で成功・失敗を決めて、「失敗したから終わり」なんて考え方はそもそも愚かしいわけです。
鉄郎さんの場合「叶わなかったら調整する」
で、僕はこの鉄郎さんタイプ。
とりあえずやってみる。
で、ダメだったら「こういうことじゃなかったかも」と整えていく。
鉄郎さんが何話か前に「大人になると言い訳ばっかりうまくなる」って言っていたけれど、言い訳がうまくなるのは「それだけ経験(失敗)を重ねたから」だと思うと、一概に悪いことだとは言えないんじゃないかな。
ただ、この会社の人たちのように熱い人の前だと、こんな感じの意見はゴミクズ扱いされてしまいそうですけどねw
失敗に捕らわれてしまって身動きがとれなくなってしまうような人は、鉄郎さんの「また探しゃあいい」という言葉を思い出すようにしてほしいです。
それぐらい簡単で単純なことなんだよ、と。
思い詰めちゃダメ絶対。
静くんの場合「必ず叶えるんだよ」
静くんは、「らしいなぁ」と思いました。
裏さんに近い。
こういう風に言える人がやっぱり強いわけで、成功をガンガン勝ち取っていけるんでしょう。
ただ、もしかしたら本質は一緒で「失敗は”終わり”じゃねえ」と言い換えることもできるんじゃないでしょうか。
要は「最終的にどうやったとしても夢を叶えたもん勝ち」というか。
鉄郎さんは軌道修正して自分に合ってる道を探せ、という方向性だったのに対し、静くんは軌道修正せずに道をぶっとくして突き進め!って感じ。
裏さんだったら「軌道修正せずにそのまま無理矢理進んでいけ」って言いそう。
練馬の暴風雨の場合「ビッ」
そして練暴w
「叶わない夢にも価値はあるんだべか?」と青純が言ったか言わないかぐらいで中指突き立てたんだろうなと想像がつきます。
夢について語ったのは、あとは表さんと裏さん。
表さんは「価値があるかどうか」ではなく、夢を一人で抱えるなというアドバイス。
裏さんは「描けば見えてくる」と、夢なんかあとからついてくるもの、というような考え方でした。
夢は心の病だべ
「叶わない夢にも価値はあるのか?」
この問いに対して、結局青純は第一話で登場した父の言葉を持ってきていました。
夢は心の病。
これはもう本当にその通りで、チャレンジして叶えるか、チャレンジして敗れるか、チャレンジせずに敗れるかしか治療法はないわけです。
多くの人は「チャレンジせずに敗れる」を選びます。
なぜなら、チャレンジしなければ「夢に敗れてる感覚」がなく、痛みが少ないから。
チャレンジしないでいるうちに、いつの間にか想いが風化していくわけです。
これは悪いことでもなんでもありません。
誰にでも思い当たる節はあるでしょう。
でも、一つだけはっきりしていることがあるとすれば、「チャレンジしなかったら絶対に夢が叶うことはない」ということ。
だからなのか、純は「敗れてもいいって思えれば・・・気は楽になるんじゃないかな・・・」とまとめてました。
「もっと気軽に挑戦しなよ」ってことを言いたかったのかな。
そのうえで「全力で模索中」。
つまり、やるからには本気でチャレンジしようぜ!と。
夢に踏み出せない人、クリエイターになりたい人のバイブル
僕はこのマンガって、夢に踏み出せずに迷ってしまっている人やクリエイター職に就こうとしている人のバイブルとなりえるんじゃないかと思います。
夢に踏み出せない人は、何かしらの足枷が邪魔しているわけです。
たとえば純だったら、苦しい家計で頑張っている父や病気で入院している母など。
でも、自分の人生は自分の人生ですからね。
誰にどうこう言われる問題じゃありません。
僕はこどもが生まれて、ハッキリわかりました。
「こいつにはこいつの人生があるよな」って。
やりたいことがあるのなら、なんでも飛び込んでみろ・・・って親心としては思うんです。
・・・それにお金を出せるかはわからないけどw
そしてクリエイター職に就こうとしている人には、静くんや裏さんたちクリエイターと純・表さんたちの関係をよく見ておくことが勉強になるのではないでしょうか。
作品は、クオリティが高ければ売れるというわけではありません。
売れなければ、会社が存続できなくなり、描ける場がなくなるわけだから。
作中でクリエイターの人たちは「売れなくたっておれらの給料は変わらない」みたいなことを言っていましたが、それは社畜クリエイターが陥りがちなとんでもない間違いです。
かといって、本気じゃないヤツが作ったものでは人の心を動かせないってのも確か。
世の中って、ナメてるとバレるんですよ。
僕は自分でナメた事業をやって失敗したことがあるので実証済みですw
このマンガはそういったことを教えてくれるという意味で、バイブルになるんじゃないのかな。
若干ドラマチックに仕上がり過ぎでリアリティに欠けるところはありますが、それもマンガを面白く読ませるためには必要なことだったと思います。
おわりに
というわけで、デッドオアアニメーションの最終回の感想でした。
振り返ってみると26話とかなり短命なマンガでしたが、とても面白かったです。超オススメ。
冒頭でも書きましたが、せっかくキャラが立っていただけに、もっと静くんと鉄郎さんの関係とか、練馬の暴風雨との絡みとか、彼らの日常を見たかったという名残惜しさが残りますね。
あとは純が晴れてお父さんお母さんに会いにいける日なんかも見たかったなぁ・・・。
とにかく作者先生、おつかれさまでした。
次回作も期待しています!
2023/08/08